2009年12月31日

184~189 ドヴォルザーク~エルガー


184 ドヴォルザ-ク スラヴ舞曲(全曲)

 この曲には決定盤が存在する。ク-ベリック/バイエルン放送so.がそれだ(1973~74年。グラモフォン)。セル/クリ-ヴランドo.がそれに続くがその組み合わせによる名人技はほかの曲で紹介するから、まずは次点だ。


185 ドヴォルザ-ク ヴァイオリン協奏曲イ短調 Op.53

 あまり面白くない曲でドヴォルザ-クの「ピアノ協奏曲」と似たような出来、というのがわたしの感想。パ-ルマンなどの音の美しいヴァイオリニストが挑戦して成果をあげている。お家芸の強みと言うべきか、ス-ク、アンチェル/チェコpo.(1960年。スプラフォン)が良かった。ス-クの新盤(ノイマン/チェコpo.1978年)も同様に良いけれど、オケにだいぶガタがきていたと記憶する。


186 ドヴォルザ-ク チェロ協奏曲ロ短調 Op.104

 これはもうロストロポ-ヴィチ、カラヤン/BPO(1968年。グラモフォン)を挙げないわけにはいかない。彼らの演奏はとてつもなく巨大であって「ドヴォルザ-クという作曲家は郷土色が大切で云々」という解釈をものの見事にはじきとばす。ここでのベルリン・フィルは最後の最後の部分でコルネットの音譜をひとつ変えている。それが原典なのか、それともカラヤンの指示による改変なのか、いまだにわからずにいるがいつか解明したいものだ(ベルリン・フィルはマゼ-ルの指揮でヨ-ヨ-・マと同じ曲を録音したとき-1986年-にも同じ改変で演奏している)。


187 ドヴォルザ-ク ピアノ五重奏曲イ長調 Op.81

 これもわたしにはあまりうまくきけない曲だ。教科書どおりフィルクスニ-、ジュリア-ドSQの演奏(1975年。ソニ-)を挙げておく。いろいろきいたのだが、他の盤にも(スメタナSQ他)あまり感動しなかったので仕方がない。


188 ドヴォルザ-ク 弦楽四重奏曲第12番ヘ長調「アメリカ」 Op.96

 どのSQでもいいや、と言いたいくらいに人気がある。ヴィヴァルディの「四季」とおなじで実際どれでもいいですと言いそうになるが、それではまるで子供であるからスメタナSQによるライヴ録音(1980年。デノン)を挙げておく。

189 エルガ- チェロ協奏曲ホ短調 Op.85

 この曲になると必ず登場するのがデュ・プレによる新旧の2枚だが、わたしは何故か彼女の出す音が好きになれない。カラスの声とおなじでどこかしら「濁り」というか「生臭さ」があるように思う。そんなわけでヨ-ヨ-・マ、プレヴィン/LSO(1984年。ソニ-)の盤をあげる。ヨ-ヨ-・マの明るい音がこの曲の憂愁とうまい具合にマッチしている。

  

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2009年12月30日

178~183 ドニゼッティ~ドヴォルザーク


178 ドニゼッティ 歌劇「愛の妙薬」全曲

 これはネモリ-ノを歌うテノ-ルで決まる曲だ。モリナ-リ=プラデルリであるとかセラフィンであるとかの指揮者がベストに推されているが、どれも録音がわるい。ドミンゴでききたい方にはプリッチャ-ド/コヴェントガ-デン王立歌劇場o.の1977年のディスクを、パヴァロッティでききたい方にはボニング/ECOの1970年のディスクをお薦めするということになるが、わたしとしては「人知れぬ涙」だけきいておけばよい曲だ、という気もする。


179 ドニゼッティ 歌劇「ランメルモ-ルのルチア」全曲

 これも「ルチア狂乱の場(優しい囁きが)」の入ったグルベロ-ヴァの1枚もの「グルベロ-ヴァ:狂乱の場(フランス&イタリア/オペラ・アリア集」(グスタフ・ク-ン/ミュンヘン放送o.。EMI)を買っておけばわざわざ全曲をもとめる必要はないのではないかと思う。オペラ・ファンには、やはりカラスのディスクを薦めることになろう。6種とも7種とも言われる全曲がカラスだけで存在するが、「カラス名唱集」では不満という方には、セラフィン/フィレンツェ五月祭o.(1953年。EMI)かセラフィン/PO(1959年。EMI)のどちらか、ということになろう。個人的見解だが、1959年盤のほうはもはや音程があぶない(1953年盤にしてもあぶなっかしい場所がたくさんある)。


180 ドヴォルザ-ク 交響曲第7番ニ短調 Op.70

181 ドヴォルザ-ク 交響曲第8番ト長調 Op.88

182 ドヴォルザ-ク 交響曲第9番ホ短調「新世界より」 Op.95

 ドヴォルザ-クの後期交響曲(7、8、9番)に対するアプロ-チには、大きくわけて近代迫力派と民謡旋律派のふたつがあり、もうひとつ、そのふたつの折衷派がある。結論から言えばわたしが好きなのは最後の折衷派。カラヤン/BPOの演奏であるとかク-ベリック/BPO、セル/クリ-ヴランドo.の演奏はまずもって迫力派にはいる。民謡旋律派にはノイマン/チェコo.やケルテス/VPOが挙がり、折衷派にはいるのがジュリ-ニ/ロイヤル・コンセルトヘボウo.とC.デイヴィス/ACO。わたしは晩年のジュリ-ニ盤を7、8、9番各1枚ずつベストに推薦する(ソニ-クラシカル)。


183 ドヴォルザ-ク 弦楽セレナ-ド ホ長調 Op.22

 チャイコフスキ-の「弦楽セレナ-ド」とカップリングされることの多い曲。こういう「短めでハッタリが大事」という曲はカラヤン/BPOがとにかくうまい(1980年。グラモフォン)。

  

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2009年12月29日

173~177 ドビュッシー~ディーリアス


173 ドビュッシ- 組曲「子供の領分」 全曲

 「映像」とカップリングされているベネディッティ=ミケランジェリの演奏(1971年。グラモフォン)が素晴らしい。第1曲の「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」の音列のなんという美しさ! その驚きが最後の曲まで続くことうけあいである。


174 ドビュッシ- 版画

 ベロフの若いときの録音(EMI)がよかったが、いまあたってみたら国内盤は廃盤のようだ。それならばロジェであろうか(1977年。ロンドン)。フランソワやギ-ゼキングの偉大さはわかるが、いかんせん録音が悪い。


175 ドビュッシ- ベルガマスク組曲

 この曲についても「版画」と同じことがいえる。ベロフの録音は1979、80年のもの(EMI)で、「前奏曲集」を録音した頃にくらべると響きがすこし重厚になってきている。そのぶんわたしとしてはなおさらドビュッシ-にうってつけだ、という気がする。


176 ドビュッシ- 喜びの島

 ホロヴィッツの「カ-ネギ-・ホ-ル・コンサ-ト」の組物は2枚組だったり3枚組だったりするようだが、1966年のほうにこの曲が収録されている。一にも二にも響きが豪快で美しいからこのピアニストは厳しい状況を乗り越えて名人でありつづけた。それがこのセットものを聴けばはっきりわかる。ソニ-の「組物商戦」はこのディスクに関してはいまだに変化がないようだが、ほかの曲も大変な名演ぞろいなので、泣く泣くもとめることをお薦めする。なんとしても代金を用意できない方にはアシュケナ-ジ盤(1965年。ロンドン)を挙げておく。



177 ディ-リアス 管弦楽曲集

 昔からビ-チャム/RPO(1954~57年。EMI)の2枚の評判がたかい。わたしとしてもバルビロ-リ、マリナ-を聴いたうえで、録音のいささか悪いビ-チャム盤を推薦する。ディ-リアスの音楽にはメゾフォルテを超える音量が現れることがまず、ないことも理由のひとつだ。

  

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2009年12月28日

166~172 ドビュッシー


166 ドビュッシ- 牧神の午後への前奏曲

 同様にマルティノン盤を推薦する(フランス国立放送o.。1973年。EMI)が、もうひとつモントゥ-盤も挙げておこう(LSO。1961年。ロンドン)。彼がいかに指揮の達人であったかよくわかる。


167 ドビュッシ- 夜想曲

 同じくマルティノン盤(フランス国立放送o.。1973年。EMI)。


168 ドビュッシ- 弦楽四重奏曲ト短調 Op.10

 ラヴェルの弦楽四重奏曲とカップリングされることが多い、というよりほとんどだ。片方がうまければだいたいもう片方もうまい。わたしはラサ-ルSQ、アルバン・ベルクSQの両方のディスクをきいて「これといって面白くもないなぁ」という気でいたのだが、パレナンSQの演奏(1969年。EMI)に接して「なるほど。これがニュアンスに富んだ演奏というものか」と得心がいった。もし温故知新の精神に燃えているかたがおられたら、カペ-SQの演奏(1927年。EMI)もお薦めしておく。雑音の彼方からむせるように濃厚な世界が出現する。時代感覚的にも表現主義よりもうひとつ前の、ロマン主義の再現にちかい(細かいことを言えばロマン派そのものではないのだがこの場合、表現のアヤとして混同してもかまうまい)。


169 ドビュッシ- ヴァイオリン・ソナタ

 これはグリュミオ-、ハイデュの名演(1962年。フィリップス)をききたい。ティボ-とヌヴ-は録音が悪すぎる。新しい録音にデュメイがあるが、彼はフォレはいいのだがモ-ツァルトやドビュッシ-になると弾き崩しが耳につく。


170 ドビュッシ- フル-ト、ヴィオラとハ-プのためのソナタ

 どのようなフル-ティストが好きかで選択が変わってくる。わたしはランパルの鼻息まじりの音がさして好きではないのだが、パスキエ、ラスキ-ヌと組んだエラ-トの盤(1962年)はさすがにいい演奏だ。ゴ-ルウェイよりはパユできいてみたい気持ちがあるのだが、まだきいていない。どのような再現になるだろうか。


171 ドビュッシ- 映像第1集、第2集

 ベネディッティ=ミケランジェリの演奏がまさに冠絶している(1971年。グラモフォン)。カップリングされた「子供の領分」もベストなので選択に迷う必要がまったくない。


172 ドビュッシ- 前奏曲集第1巻、第2巻

 これもベネディッティ=ミケランジェリの魔法のように美しい音を堪能したい。彼が晩年に第2巻を録音したとき友人と「ミケランジェリももう永くないだろうけど、ドビュッシ-の前奏曲の録音を完結させてくれてよかったなあ」と話したことを覚えている(1978、88年。グラモフォン)。

  

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2009年12月27日

161~165 コープランド~ドビュッシー


161 コ-プランド バレエ「アパラチアの春」組曲(全曲を含む)

 「エル・サロン・メヒコ」とこの曲がこの作曲家のすべて。なんとなく「描写音楽」のみで残った人として、グロ-フェなどと立場が同じだ。バ-ンスタイン/NYPの録音(1961年。ソニ-)がいいと思う。十三楽器のためのオリジナル版の演奏もあるが、きいてさほど面白いものでもない。


162 コレルリ 合奏協奏曲第8番ト短調「クリスマス」 Op.6-8

 イ・ムジチ合奏団の演奏を第一に推す。第一ヴァイオリンがカルミレッリの1984年盤(フィリップス)で、ア-ヨの1962年盤では、ない。皆川達夫氏は「絶対に聴きたくない」と評しておられるが、わたしはカラヤン/BPOの演奏(1970年。ドイツ・グラモフォン)も好きである。そうかなあ。そんなに絶対的にちがうかなあ。


163 コレルリ ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ第12番ニ短調
                      「ラ・フォリア」Op.5-12

 ブリュッヘン、ビルスマ、レオンハルトによる盤が名高いが、わたしはリコ-ダ-版があまり好きでないのと、おまけに古楽器がきらいなのとで(これが書けるところがアマチュアの有り難いところだ)グリュミオ-とカスタニオ-ネの盤(1956年録音。フィリップス)を選ぶ。モノ-ラル録音だがききづらいというほどではなく、グリュミオ-の美音がたのしめる。


164 ドビュッシ- 管弦楽のための「映像」

 大雑把なところで言ってしまえば、ドビュッシ-の管弦楽曲の演奏がいいのはマルティノン/フランス国立放送o.で、ラヴェルの管弦楽曲がいいのはクリュイタンス/パリ音楽院o.である。わたしはマルティノンのドビュッシ-管弦楽曲集をセットもので買ってしまったが、そのことを後悔させるような凡演はひとつもなかった。現在のCD番号を見ても「海」「牧神の午後への前奏曲」「夜想曲」が1枚に収められているからこれはマルティノン盤だろう。ドビュッシ-の管弦楽曲を録音している指揮者には他にモントゥ-、アバド、バレンボイム、ブ-レ-ズなどがいるがアバドとバレンボイムは指揮がよくないしブ-レ-ズは(指揮の好き嫌いを別にしても)録音がわるい。
 この曲については「マルティノン盤の1枚に収まっていない」という面からプレヴィン/ロンドンso.の演奏(1979年。EMI)を推す。


165 ドビュッシ- 交響詩「海」

 きいていてもなんだか「いまどこをきいているんだろう」という気がしてくる曖昧模糊たる曲である。ドビュッシ-がそのように作曲したからそうきこえるのだが、彼のピアノ曲のほうがそのぼんやりした雰囲気はマッチしている。オ-ケストラの団員も初見がきくか、あるいはフランス人でないと合わせるのが大変だろう。164でも述べたようにマルティノン/フランス国立o.(1973年。EMI)を推す。

  

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2009年12月26日

147~160 ショパン


147 ショパン ピアノ協奏曲第1番ホ短調 Op.11

 この曲の演奏については(「も」、と言うべきか)わたしは豪快な演奏が好きで、ショパンを女学生的センチメンタリズムで包み込むやり方には賛成できない。簡単に言えばバリバリ弾いてほしいのだ。ワイセンベルク、スクロヴァチェフスキ/パリ音楽院o.(1967年。EMI)の演奏が一番気に入っている。


148 ショパン ピアノ協奏曲第2番ヘ短調 Op.21

 多くの場合147の「第1番」とカップリングされる。ワイセンベルク盤もそうだから何も申し上げることもない。この文章を書くにあたってこうした局面にぶつかることが結構あるが、批評家であったとすれば何か通好みのする文章をこういうときに書かないといけない。ああ職業批評家でなくてよかった。


149 ショパン ピアノ・ソナタ第2番変ロ長調「葬送」 Op.35

 アルゲリッチの盤もポリ-ニの盤も「ピアノ・ソナタ第2、3番」のカップリングである(LP時代とCD初発の時はアルゲリッチは2番と3番が各1枚ずつであった。LP時代に録音年の違いから別れたのをCDもひきずっていたのだ)。どちらをとってもよいが「練習曲」で必ずポリ-ニをとるからピアノ・ソナタではアルゲリッチを、とろう。2番は1974年の録音。グラモフォン。


150 ショパン ピアノ・ソナタ第3番ロ短調 Op.58

 149に続いてアルゲリッチ。1967年録音。グラモフォン。


151 ショパン 前奏曲(全曲)

 「練習曲」との対比、という意味で、前奏曲(プレリュ-ド)と練習曲(エチュ-ド)は同じ演奏家で選びたい。よってポリ-ニ盤。1974年。グラモフォン。


152 ショパン 練習曲(全曲)

 ポリ-ニの1972年の盤は、音楽界にセンセ-ションを巻き起こした。ポリ-ニを語るうえでこの盤抜きでは、どうしようもない。グラモフォン。


153 ショパン 幻想曲ヘ短調 Op.49

 どうも「この1枚」が選びにくい曲だ。決定盤が無いと言える。コルト-になるのかなあと思うが、わたしは録音の古い演奏がどうも好きでない。仕方なくアシュケナ-ジ盤を選ぶ(1978、79年。ロンドン)。ル-ビンシュタインの演奏ですか? わたしはル-ビンシュタインが好きでありません。


154 ショパン スケルツォ(全曲) Op.20、31、39、54

 この曲は「バラ-ド」とカップリングされることが多い。その点も考慮してアシュケナ-ジの盤を選ぶ。1964年の旧盤と1975~85年の新盤があるが、この2曲に関して言えばまったく同じ、と言ってよい。ロンドン。


155 ショパン 即興曲(全曲) Op.29、36、51、66

 この曲も決定盤が無い。とりあえずニュアンスのフランソワを選ぶ(EMI)。録音があまりよくないからこれも仕方なくル-ビンシュタインを次点に挙げておく(1964年録音。RCA)。


156 ショパン ポロネ-ズ(6曲以上)

 これはもう、ポリ-ニの独壇場だ。1975年。グラモフォン。


157 ショパン バラ-ド(全曲) OP.23、38、47、52

 154の「スケルツォ」とのカップリングという点からもアシュケナ-ジ盤が断然すぐれる。「バラ-ド」「スケルツォ」という演目についてはポリ-ニもアシュケナ-ジには及ばなかったと思う。旧盤、新盤のいずれもほとんどまったく同じ解釈だ。ロンドン。


158 ショパン マズルカ(全曲あるいは選集)

 ル-ビンシュタインが三度全曲録音していて、愛着があるらしい。二度目のモノ-ラル録音(1953年。RCA)が最も覇気がある。これにくらべると三度目の録音(1965、66年。RCA)は柴田南雄氏の言を借りると「田舎親爺の鼻唄のような」演奏になっている。どっちを選ぶのだと問われればどっちも選ばない。わたしはベネディッティ=ミケランジェリの演奏が好きだ(選集。1971年。グラモフォン)。


159 ショパン 夜想曲(全曲あるいは選集)

 これはわたしの中で決定盤の存在する曲だ。フ-・ツォンの演奏(1977年。ビクタ-)がそれだ。「瞑想的」という言葉がぴったりの演奏である。かなりルバ-トがかかるが、決して厭味にはならない。


160 ショパン ワルツ(14曲以上)

 コルト-(1934年)やリパッティ(1947年)もたしかに「時代の証言」にはちがいないが、ファ-スト・チョイスにするには録音が悪すぎる。まずもってアシュケナ-ジ盤(1970~85年。ロンドン)であろう。アシュケナ-ジは「ワルツ集」という企画では録音をしていないので、全集録音の中からの抜粋で成立したCDである。

  

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2009年12月25日

136~146  ブリテン~ショーソン


136 ブリテン 青少年のための管弦楽入門 Op.34

 中学校の音楽の教材などにしばしば用いられていた曲だが、いまどきの中学生はこうした「入門用」のクラシックをきくのだろうか。サン=サ-ンスの「動物の謝肉祭」などと違ってブリテンは一流の音楽家であるから、もっといろいろな曲をきいてほしい(下敷きにしている『名曲名盤500』でブリテンの曲がこれだけなのは残念)。
 語りが入るものとそうでないものがある。「別に解説してもらわずともどのセクションが鳴っているかは、わかるよ」と仰有るなかれ。プロコフィエフの「ピ-タ-と狼」と同じでいろいろな俳優が語りをやるのだ。古いところではマルケヴィチ盤で栗原小巻が入れたりしていたが、時代と共に差し換えられるから、いまはどうだろうか。
 こうした「視覚的な」音楽を振らせるとうまいのがプレヴィンだ(LSOとの1973年録音。EMI)。作曲者自身がLSOを振った盤(1963年。LSO。ロンドン)も良い演奏だが、ちょっと堅いかなという気もする。


137 ブルッフ ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調 Op.26

 曲そのものはたいしたものではないが、演奏効果があがるので技巧派のヴァイオリニストがよく取り上げる。ハイフェッツの録音(サ-ジェント/新LSO。1962年。RCA)が、わたしの持つハイフェッツの盤のなかではいちばん効果的にやっている。ハイフェッツというヴァイオリニストは結局この曲であるとか「ツィゴイネルワイゼン」を弾く演奏家である。


138~144 ブルックナ- 交響曲第3~第9番

 原本(『名曲名盤500』)では第3番から第9番までを1曲ずつ取り上げているが、わたしとしてはこの7曲についてはヴァント/北ドイツ放送o.による再現以外は考えられない(RCA)。ヴァントは晩年BPOに客演して4、5、7、8、9番の録音を残しており(RCA)、NDRとの録音が入手しにくい場合はまったく拮抗する内容なので補完されるとよい。録音、演奏のいずれをとってもヴァントの芸格におよぶ指揮者はいまのところ、いない。

 各論としてざっと「他の名盤」を挙げておく。交響曲ヘ短調(第00番とも呼ばれる)と交響曲第0番はインバル/フランクフルト放送so.(テルデック)。第1番はヨッフム/BPO(1965年。グラモフォン)。第2番はヨッフム/バイエルン放送so.(1966年。グラモフォン)。第3番はインバル/フランクフルト放送so.(1982年。テルデック)。第4~6番は自席無し。第7番はカラヤン/BPO(1975年。グラモフォン)。第8~9番は自席無し。


ちょっと休憩。

 ブルックナ-の交響曲のディスクを選んだ。ことブルックナ-となると、どうしてだか分からないがマニアックな人がおおい。わたしが学生のときはベ-ト-ヴェンについてトスカニ-ニがどうとか、フルトヴェングラ-がどうとかいう議論が激しかったが、それが現在ではブルックナ-に成り代わった感がある。
 ブルックナ-・マニアの方々はやけに版の問題に詳しかったり、反復がどうとか一部省略がどうとか、ずいぶんテクストにうるさい。まあそれは30年前にベ-ト-ヴェンについても語られた感なきにしもあらずで、たしかにどこをどう演奏すればどう違ってくるかを論ずることは悪いことではない。
 問題なのは、そのように演奏したから「精神性が」どうなるか、という論法がいまだに猖獗をきわめていることだ。30年前にも「トスカニ-ニの」「精神性」やら「フルヴェンの」「精神性」やら「クナの」「精神性」やらが喧しかった。
 「いのちのかかったクレシェンド効果」とか「したたりおちる精神性」とか「人工性がなくなって表現が結晶化されたのは上出来だ」とか言っているひとたちよ。鬼面ひとを驚かす表現は、やめましょう。カルト教団の教祖みたいな立場でものを言うのは、やめてください。そして精神とは何であるのか、もっとよく考えましょう。よく考えているのであればわかるように言ってください。「わかる者にはわかるのだ」式の論旨では困ります。以上。


145 カントル-ヴ オ-ベルニュの歌

 さまざまなソプラノ(声種はリリコが多い)が録音しているが、まずもってこの曲を名曲の殿堂入りさせたのはダヴラツの功績であろう(デ・ラ・ロ-シュ指揮。ヴァンガ-ド-キング)。「民謡の素朴さ」と「美声」の要素を両方併せ持つソプラノは、やはり彼女をおいて他にいない。


146 ショ-ソン 詩曲 Op.25

 美しい音のヴァイオリニストと管弦楽でききたい曲だ。わたしはグリュミオ-盤(ロザンタ-ル/コンセ-ル・ラムル-o.1964年。フィリップス)を第一にとる。世評ではスタ-ンを推す人も多いようだが、五味康祐ではないがわたしはスタ-ンのヴァイオリンのどこがいいのか、わからない。

  

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2009年12月20日

126~135 ブラームス


126 ブラ-ムス 弦楽四重奏曲第3番変ロ長調 Op.67

 この曲にも名盤がある。1976~77年にアルバン・ベルクSQがテルデックに録音した2枚組(ブラ-ムス:弦楽四重奏曲全3曲)がそれだ。アルバン・ベルクSQはのちにEMIにも同じ2枚組を録音していて、出来ばえは甲乙つけがたい(なにが不満で再録音したのか謎である。得意分野だ、ということか)ので廃盤などの問題がある場合、どちらでもよい。


127 ブラ-ムス ホルン三重奏曲変ホ長調 Op.40

 この曲にかぎらず言えることだが、ホルンのパ-トは変ホ調だと実音より短六度高く記譜されることになる。ブラ-ムスの音楽には旋律が六度の平行で動く場合がひじょうに多いので「ホルン・トリオ」の場合、しばしばヴァイオリン・パ-トの六度下をホルンが平行して動くことになりがちだ。で、記譜上どうなるかといえばヴァイオリンとホルンのパ-トは見かけ上、まったく同じになってしまう。
 「ブラ-ムスはこういう譜面づらを作ってみたかったばっかりに、この曲を変ホ長調で作曲したのじゃないか、と思ったほどだ」と柴田南雄氏は書いておられる。引用がながくなって失礼。ディスクは同じ1968年に録音された2枚が、よい。1枚はタックウェル、パ-ルマン、アシュケナ-ジ(グラモフォン)。もう1枚はザイフェルト、ドロルツ、エッシェンバッハ(これもグラモフォン)。同じ年に同じ会社から2枚出ていることにいま気づいて驚いているが、わたしとしてはピアノがアシュケナ-ジのほうが安定感があったように思う(エッシェンバッハという人のピアノはたいてい「非力だなあ」という印象をあたえる。損な人だ)。


128 ブラ-ムス ヴァイオリン・ソナタ第1~3番
                     Op.78、100、108

 デ・ヴィ-トがエドウィン・フィッシャ-と組んだ第1、3番が第2番(こちらはピアノがアプレア)とカップリングされて大喜びしたものだが(1954年、56年録音。EMI)、もしかすると廃盤の扱いかもしれない。であればシェリングがル-ビンシュタインと組んだ1960~61年の演奏を、とる(RCA)。


129 ブラ-ムス チェロ・ソナタ(全曲) Op.38、99

 この曲のあまりにネクラな旋律をわたしは好きになれないが、ブラ-ムスを心から愛する人にとっては大事な曲だ。ネタ本で推薦されているロストロポ-ヴィチ盤、フルニエ盤のいずれにも共感できず、ヨ-ヨ-・マとアックスによる盤(1991年。ソニ-)でなんとか落ち着いた。


130 ブラ-ムス クラリネット(またはヴィオラ)ソナタ(全曲)
                             Op.120

 ウラッハとデムスのウエストミンスタ-盤(1952年)がすばらしい演奏だ。古いモノラル録音だが、こうした曲の場合それがネックにはならないだろう。


131 ブラ-ムス ピアノ・ソナタ第3番ヘ短調 Op.5

 はじめてこの曲に接したとき、ブラ-ムスにしてはずいぶん名技性のつよい作品だな、と思った。作品番号が5であることも関係しているのだろう。アラウの1971年のフィリップス録音を推す。


132 ブラ-ムス ピアノ小品集

 ケンプが1963年にグラモフォンに残した録音には第1集と第2集がある。あとバックハウスやギレリスの録音もあるが、1960年にグ-ルドによってソニ-レ-ベルに録音された「間奏曲」をどうしても挙げなくてはいけない。吉田秀和氏も絶賛の1枚だが、初CD化に際して3枚組、7千500円にしたソニ-の商売は歴史にのこる悪徳商法であった(さすがにいまは1枚になっているだろう)。


133 ブラ-ムス ドイツ・レクィエム Op.45

 どちらかというと人気のない曲で、ベ-ト-ヴェンの「第九」からの転用が明確な最後の二重フ-ガ部分だけが比較の対象になることが多い。録音の良さから選ぶとハイティンク/VPOのフィリップス盤だろうか(1980年録音)。しかしわたしはこれまでハイティンクの指揮に心うごかされたことが一度もないききてである。どんな曲を振っても安全運転そのもので、さっぱり体温も血圧も上昇しない彼の指揮を褒める人の気が知れぬ。そこでちょっと録音は古いがクレンペラ-/フィルハ-モニアo.による1961年の盤(EMI)を推す。F.=ディ-スカウの歌唱が光っている。カラヤンは、この曲については苦手と言えるのではないか。


134 ブラ-ムス アルト・ラプソディ Op.53

 だいたいアルトを歌うのはル-トヴィヒで決定ということで、それぞれ彼女を冠したベ-ム/VPO盤(1976年。グラモフォン)とクレンペラ-/フィルハ-モニアo.盤(1962年。EMI)がしのぎを削ることになる。わたしはクレンペラ-という指揮者が好きだがさすがに録音の点で物足りないし、クレンペラ-盤は合唱団が非力ということも手伝って、ベ-ム盤を選ぶ。


135 ブラ-ムス 歌曲集

 まぁF.=ディ-スカウ盤を選んでおけば間違いない。CD初発においては十枚組という大冊であったが、いまは分売もあるのではないか(1972~82年。ドイツ・グラモフォン)。つねづね「結局揃えるのなら安価な全集を」ということを言っているわたしであるが、この曲目についてはブラ-ムス当人とて十枚組を買うことを要求はしまい。それにシュ-ベルトと違って「渋い」曲が多いから、好きなソプラノやバス・バリトンで1枚また1枚ともとめてゆかれることをお薦めする。わたしの個人的な好みではアメリングとプライが好きであった(ロッテ・レ-マンやキャスリ-ン・フェリア-、ホッタ-などの往年の名歌手にも尊敬を惜しまないが、いかんせん録音が悪い)。

  

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2009年12月19日

108~125 ボッケリーニ~ブラームス


108 ボッケリ-ニ チェロ協奏曲変ロ長調

 慣行版はグリュッツマッヒャ-の編曲がなされたもの。それをけしからんと言う気はいまのところわたしには、ないのでヨ-ヨ-・マの盤(ピンカス・ズ-カ-マン指揮/セント・ポ-ル室内管弦楽団。1982年。ソニ-)をとる。この盤はハイドンのチェロ協奏曲とカップリングされていて、それも大変すぐれている(のちのちハイドンの項でまた取り上げることになろう)。


109 ボロディン 交響曲第2番ロ短調

 マルティノン/ロンドンso.の演奏を推す(1960年。ロンドン)。まずはこれがよいと思う。


110 ブラ-ムス 交響曲全集

 この4曲についても音楽之友社の『名曲名盤500』の選考では上位から順にバ-ンスタイン、フルトヴェングラ-、カラヤンとなっている。みんな買った人間の感想を言えばこれもみんな「買うべからずの全集」であると言い切れる。
 まずショルティ/CSOのものを選ぶ(1978、79年。ロンドン)。ショルティの演奏はベ-ト-ヴェンで買ってもうじゅうぶんだという方にはヨッフム/BPOのものをお薦めする(1951、54、56年。ドイツ・グラモフォン)。この盤ではヨッフムの指揮もすぐれているし、フルトヴェングラ-時代のベルリン・フィルの音を良い録音できくことができる。


111 ブラ-ムス 交響曲第1番ハ短調 Op.68

 昔からミュンシュ/パリo.の録音(1967年。EMI)の評判がたかい。正直言ってしまうと、この曲は演奏効果の面でどの団体がやってもある程度の線まではいくのだ。ほかにフルトヴェングラ-/BPOの演奏(1952年ライヴ。ドイツ・グラモフォン)も録音が古い以外は迫力のある再現になっていた。


112 ブラ-ムス 交響曲第2番ニ長調 Op.73

 吉田秀和氏が全集の「世界の指揮者」のなかの「バルビロ-リ」の項でバルビロ-リ/VPOのブラ-ムス:交響曲第2番を酷評しておられた。滅多にない酷評盤なのだからきいておいて損はない。EMI。1966年の録音である。そういう斜に構えたききかたは二巡目からでいいとするならば、一巡目にはヨッフム/ロンドンpo.をとるのがいいだろうか(1976年。EMI)。わたしにとしてはこのヨッフム/LPO盤は全集でも推薦したかったのだが、1番の第一楽章で反復がなされる(ジュリ-ニ/LAPOも反復をおこなう)のが好きになれずにはずした。記憶ではヨッフム盤は2番と3番をカップリングしているから徳用といえる。


113 ブラ-ムス 交響曲第3番ヘ長調 Op.90

 このあたりでベ-ム/VPOの実力を堪能しておいてもいいのではないか。第3楽章のはこびが評価をわける曲だけに、そうした難しい再現をやるときのベ-ムの腕を知っておいて損はない。1975年録音。ドイツ・グラモフォン。


114 ブラ-ムス 交響曲第4番変ホ長調 Op.98

 ジュリ-ニ/CSOの1969年盤(EMI)を推す。シカゴ交響楽団を振っていた時期のジュリ-ニの再現には張り詰めた緊張感があって、すばらしい。二巡目あたりならばクライバ-/VPOの演奏(1980年。グラモフォン)もいいだろう。「ウィ-ン・フィルがフルトヴェングラ-やベ-ム以外の指揮者と真面目にやっている」という珍しい盤だ。


115 ブラ-ムス 大学祝典序曲 Op.80

 この曲と「悲劇的序曲」、それから「ハイドンの主題による変奏曲」はなんらかのかたちで交響曲のどれかとカップリングされていることが多い。そうしたカップリングによって「もう聴いた」とおっしゃる方はわざわざわたしの推す盤を繰り返しお聴きになる必要は、ない。わたしはたいていの場合「名曲を一流の演奏家が再現すればまずは名演になります」という持論の持ち主である。名盤さがしに血道をあげては、いけません。
 とりあえずこの曲の「祝典的な」雰囲気にたいへんふさわしいヨッフム/LPOのEMI盤(1976年録音)を挙げておこう。


116 ブラ-ムス ハイドンの主題による変奏曲 Op.56a

 まずもって挙げなくてはいけないのがセル/クリ-ヴランドo.の盤だ(1964年。ソニ-)。吉田秀和氏が著書において、このセルによる演奏を絶賛したことからこの曲の偉大さと難しさが注目されるようになったのだ。他の盤をあげるのは控えよう。「ハイドン・ヴァリエ-ション・フリ-ク」はわたしだけで沢山だ。


117 ブラ-ムス 悲劇的序曲 Op.81

 「大学祝典序曲」で言ったことがここでもいえる。いかにもブラ-ムスらしくて好きな曲だが重複してCDを増やしてまでもとめることはない。ちょっと変わった再現ということでクレンペラ-/フィルハ-モニアo.(1957年。EMI)の盤をあげておく。


118 ブラ-ムス ハンガリ-舞曲集(全曲あるいは選集)

 わたしはいまだに「ブラ-ムスのハンガリ-舞曲がドヴォルザ-クのスラヴ舞曲を喚起した」という順番がしっかり頭にはいらず、ゴチャゴチャな発言をして人を戸惑わせる癖がある。もともとはピアノ連弾用の曲であるが、管弦楽版のほうが効果があがる。
 アバド/VPOの1982年の全集がいいだろう(ドイツ・グラモフォン)。


119 ブラ-ムス ピアノ協奏曲第1番ニ短調 Op.15

 協奏曲第2番とくらべて、すこしだけとっつきの悪いところがある曲だ。個人的にブラ-ムスのピアノ協奏曲に関しては独墺系よりもソ連系の「巨大な」再現が好きなので、まずギレリスの演奏(ヨッフム/BPOとの共演。1972年。グラモフォン)を。


120 ブラ-ムス ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 Op.83

 この曲のディスクをいったい何枚きいただろう。わたしにとっては思い入れの強い曲だが、リヒテルがラインスドルフ/BSOと組んだ録音(1960年。RCA)がわたしにとってのホ-ム・ポジションである。吉田秀和氏に「重すぎてわたしの感覚ではない」と評された盤だが、ことこの演奏については「この剛腕に比肩するピアニストがほかにいますか」と居直ってしまうのだ。同様にリヒテルに先立って西側(やはりアメリカ)に出たギレリスの、ライナ-/CSOとの録音(1958年。RCA)も凄い。ギレリスは協奏曲第1番とおなじくヨッフム/BPOとも組んで録音しているが、よく引き合いにだされる「西側で演奏するようになって洗練され成熟した」という紋切り型の批評がウソであることがわかる。1972年の演奏でもギレリスはあくまで鉄腕ギレリスである。


121 ブラ-ムス ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.77

 パ-ルマン、ジュリ-ニ/CSOの演奏が素晴らしい(1976年。EMI)。次いで壮年期のオイストラフがクレンペラ-/フランス国立放送o.と組んだ録音(1960年。EMI)を挙げる。オイストラフは1969年にセル/クリ-ヴランドo.とも組んで録音しているが、セルの棒のためにこの曲がいかにもコンパクトになってしまって、オイストラフの大きな表現とはミスマッチ。


122 ブラ-ムス ヴァイオリンとチェロのための協奏曲イ短調 Op.102

 この曲はオイストラフ、ロストロポ-ヴィチにセル/クリ-ヴランドo.の組み合わせがいい(1969年。EMI)。現在のところそのディスクにはカラヤンBPOとオイストラフ、ロストロポ-ヴィチ、リヒテルが組んだベ-ト-ヴェンのトリプル・コンチェルト(三重協奏曲)ハ長調 Op.56がカップリングされていて、そっちが歴史にのこる「ケンカ・セッション」であったという楽屋話からも買っておいて損はしない。


123 ブラ-ムス 弦楽六重奏曲第1番変ロ長調 Op.18

 この曲については決定的な盤が、ない。『名曲名盤500』をネタ本にしていろいろもとめてみたが、どれも「これだ」というには不足した。三種類買ったなかで(アマデウスSQ盤、ベルリン・フィル八重奏団員盤、カザルスの1952年のソニ-盤)いちばん理想にちかいのはカザルス盤だが、録音がよくないし、やはり「近い」のであってベストの表現ではなかった。いま思い出したがメニュ-インのEMI盤(1963、64年録音)が案外良い出来だったと記憶する。


124 ブラ-ムス ピアノ五重奏曲ヘ短調 Op.34

 ポリ-ニの室内楽はめずらしいから、イタリアSQと組んだ演奏(1979年。グラモフォン)がいいだろう。ゼルキンが戦後にブダペストSQと組んだ演奏(1963。ソニ-)と戦前にブッシュSQと組んだ演奏(1937年。EMI)のふたつがよく引き合いに出されるが、わたしはゼルキンの室内楽があまり好きでない。新即物主義の典型的スタイルを楽しみたい方はおききになるといいだろうが、なんとも胆汁質な解釈ですぞ。


125 ブラ-ムス クラリネット五重奏曲ロ短調 Op.115

 いかにも「枯淡の晩年」といった曲だ。モ-ツァルトのクラリネット五重奏曲とカップリングされることの多い曲だが、その両方が充実している盤としては古いところではウラッハとウィ-ン・コンツェルトハウスSQによるウェストミンスタ-盤(1951年)、新しいところではプリンツがウィ-ン室内合奏団と組んだもの(オイロディスク-日本コロムビア。1979~80年)が挙げられよう。

  

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2009年12月18日

096~107 ベルク~ビゼー


096 ベルク ヴァイオリン協奏曲

 これはパ-ルマンと小沢/BSOが組んだ1978年の録音だろう(ドイツ・グラモフォン)。ベ-ト-ヴェンやブラ-ムスがあまり得意でない小沢もこうした曲ではうまい指揮をみせる。世評ではチョン・キョンファとショルティ/CSOが組んだ演奏も得点がたかいようだが、わたしは彼女のヒステリックな音色が苦手である。


097 ベルク 歌劇「ヴォツェック」全曲 Op.7

 やはりベ-ム盤(1965年。ベ-ム/ベルリン・ドイツ・オペラo.F.=ディ-スカウ他)であろう。ブ-レ-ズ盤やドホナ-ニ盤ではあじわいが、たりない。アバドがベルリン・フィルの監督になるすこし前(1983年あたりか)にミラノ・スカラ座を振ってマリ-をヒルデガルト・ベ-レンスが歌った盤があったが、それもなんとなくイメ-ジと違った。最近ではDVDで「見る」ほうがオペラ鑑賞の主流なのかもしれないが、わたしには馴染めない鑑賞法のようだ。


098 ベルリオ-ズ 幻想交響曲 Op.14

 初心者むけの曲だ。この曲だの「動物の謝肉祭」だのをいつまでもきいていてはクラシック愛好家としての熟成はおぼつかない。だいたいベルリオ-ズという人物そのものがサン=サ-ンスとおなじく「実用音楽」の作曲家である。これからのベルリオ-ズの名盤選にはあらかたスペシャリストとしてのミュンシュの名があがる。この曲もミュンシュ/パリo.(1967年。EMI)で充分だ。


099 ベルリオ-ズ 交響曲「イタリアのハロルド」 Op.16

 ミュンシュ/BSO。プリムロ-ズのヴィオラ。1958年録音。RCA。いろいろなヴィオラ奏者が起用されるが、結局プリムロ-ズが最も達者であった。


100 ベルリオ-ズ 劇的交響曲「ロメオとジュリエット」 Op.17

 ミュンシュ盤がいまひとつなのでマゼ-ル/VPOをとる(1972年。ロンドン)。


101 ベルリオ-ズ 劇的物語「ファウストの劫罰」全曲 Op.24

 ミュンシュ/BSO。1954年録音。RCA。


102 ベルリオ-ズ レクイエム Op.5

 ミュンシュ/バイエルン放送so.1967年録音。ドイツ・グラモフォン。


103 ベルリオ-ズ 歌曲集「夏の夜」 Op.7

 なんとなくカントル-ヴの「オ-ベルニュの歌」と似たところのある曲。歌っているソプラノまで似通ったラインナップになり、テ・カナワ、シュタ-デ、ノ-マンなどが歌っている。わたしはレジ-ナ・クレスパンがアンセルメ/スイス・ロマンドo.と組んだもの(1963年。ロンドン)が好きである。


104 ビゼ- 交響曲第1番ハ長調

 やっとベルリオ-ズから開放されてビゼ-だ。この曲はさして画期的な手法を誇るわけでもないのだが、そののびやかな旋律から愛される。どんな演奏でも許せてしまうようなところがあるが世評どおりビ-チャム盤を推す(フランス国立放送o.1959年。EMI)。


105 ビゼ- 劇組曲「アルルの女」第1、第2組曲

 LP時代から同じビゼ-の交響曲第1番とカップリングされることが多い。CDでもわたしの持っている廉価盤は、そうだ。そういう意味からもビ-チャム/ロイヤル・フィルの演奏(1956年。EMI)を推す。「メヌエット」で有名なフル-トの旋律が登場するが、その音もたいへん美しい(わたしは一般的にイギリスのフル-ティストの音が好きである)。


106 ビゼ- 歌劇「カルメン」 第1、第2組曲

 クリュイタンス盤が昔から世評もたかいし(パリ音楽院o.との1964年録音。EMI)「アルルの女」組曲とのカップリングということもあって徳用である。しかし「アルルの女はもうビ-チャム盤で持っているよ」という方にはオ-マンディ/フィラデフフィアo.の録音(1976年。RCA)をお薦めする。選曲もおおいし、こういうショウ・ピ-スを振らせるとオ-マンディはまことにうまい。


107 ビゼ- 歌劇「カルメン」全曲

 オペラという分野のディスクはことさらに「好みの演奏家」で選ぶものだ。このオペラについて言えばカルメン、ドン・ホセ、エスカミリオをそれぞれ歌っている歌手の好み、そして指揮者とオ-ケストラの好みだ。ドン・ホセで言えばドミンゴ(アバド盤)が好きだが、指揮者としてはカラヤンに軍配があがる。カラヤン/BPO。バルツァ、カレ-ラス、ヴァン・ダム。1982、83年録音。ドイツ・グラモフォン。「マリア・カラスのカルメン」は名唱集で「恋は野の鳥」をきけばじゅうぶんである。

  

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2009年12月17日

091~095 ベートーヴェン、ベルリーニ、ベルク


091 ベ-ト-ヴェン ディアベッリの主題による33の変奏曲ハ長調
                               Op.120

 この曲についてもグルダ盤を推す。というか、この曲のディスクについては「別に無理をして買うこともないでしょう」という気持ちが、つよい。それほど面白い曲ではないのだ。


092 ベ-ト-ヴェン 歌劇「フィデリオ」全曲  Op.72

 この曲もときどき「ベ-ト-ヴェンの凡作」と評されることのある曲だ。偉大な作曲家であるから小声で言われるけれどわたしもその評に賛成だ。バ-ンスタインとカラヤン、フルトヴェングラ-といった指揮者のディスクがあるが、わたしは1964年にマゼ-ルがウィ-ンpo.を振った演奏をあげる。1960年代のマゼ-ルの実力がよくわかる盤である。


093 ベ-ト-ヴェン ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)ニ長調 Op.123

 この曲については「巨大な曲を巨大にきかせる」クレンペラ-の録音を、とる。EMI録音。1965年。オケはニュ-・フィルハモニアo.である。吉田秀和氏はほぼ同時期に出たベ-ム盤とカラヤン盤を比較試聴してベ-ム盤を酷評していた。吉田氏はベ-ムの演奏がときどき気にくわないことがあるようで、モ-ツァルトの「レクイエム」でもベ-ムの新旧両盤に点が辛かった。つまり、バ-ンスタイン、ベ-ム、カラヤンのどの盤も決定的演奏とは認められていないのだ。


094 ベルリ-ニ 歌劇「ノルマ」全曲

 正直言って、わたしはあまりオペラの良いききてではない。あれも、これも買ったうえで言うのだからお許しいただきたい。この曲についても心から感動したことが、ない。なにか挙げるべきなのでカラスのセラフィン/スカラ座と組んだ新盤(1960年)が決定盤あつかいです、と書いておく。ついでに書いてしまえば、わたしはカラスのファンですら、ない。


095 ベルク 抒情組曲(弦楽四重奏版あるいは弦楽合奏版)

 これは美しい曲だ。アルバン・ベルクという作曲家を知るうえで、まずは弦楽合奏版でききたい。カラヤンの「新ウィ-ン楽派管弦楽曲集」という3枚組のディスク(1973年。ドイツ・グラモフォン)は、しばしば「カラヤンのベスト10」にも選ばれるディスクで、シェ-ンベルク、ベルク、ウェ-ベルンという3人の管弦楽曲を知るために必須である。弦楽四重奏版をききたい方にはラサ-ルSQ(1968、70年。グラモフォン)とアルバン・ベルクSQ(1973年。テレフンケン)が拮抗している。精緻のラサ-ルSQ、濃厚な歌のアルバン・ベルクSQと言えよう。

  

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2009年12月16日

065~090  ベートーヴェン


065 ベ-ト-ヴェン ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調「春」 Op.24

066 ベ-ト-ヴェン ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調「クロイツェル」
                                Op.47

 だいたい1枚のディスクに両方収録してあることの多い曲だ。どちらの曲にしてもさして演奏家を選ぶ作品ではない。だいたいパ-ルマンとアシュケナ-ジ(1973、74年録音。ドイツ・グラモフォン)の組み合わせか、オイストラフとオポ-リン(1962年録音。フィリップス)の組み合わせの二派にわかれる。前者がネアカにきっちり歌っていて、後者は大真面目で深刻だ。大昔(1930年代)にはフ-ベルマンとフリ-ドマンによる演奏が評価されていた。新即物主義にはいる以前の、表現主義の様式を知りたいと思われる方はご一聴あれ(録音はたいそう古い)。


067 ベ-ト-ヴェン チェロ・ソナタ第3番イ長調 Op.69

 この曲のディスクには昔からロストロポ-ヴィチとリヒテルのものが推奨されるが、わたしとしてはベ-ト-ヴェンのチェロ・ソナタという曲目はもっと溌剌とした再現がほしいと思う。その要求に見事こたえているのがヨ-ヨ・マとアックスによる盤だ(1983年。ソニ-)。


068 ベ-ト-ヴェン チェロ・ソナタ第5番ニ長調 Op.102-2

 067でのチェロ・ソナタ第3番とおなじことが言える。ヨ-ヨ-・マとアックスによる盤を推す(1983年。ソニ-)。
 これは余談だがヨ-ヨ-・マを言うときに「マ」と言うことができにくいのはなぜだろうか。馬友友だから「マ」で正しいわけだが、語感がわるいからであろうか。ペ・ヨンジュンやチェ・ジウも「ペ」とか「チェ」とは言わないようだ。


069~090
    ベ-ト-ヴェン ピアノ・ソナタ全集(第1~32番)

 わたしが下敷きにしている『名曲名盤500』では067がピアノ・ソナタ全集の名盤選びになっていて、その後14ペ-ジを割いて作品番号順に090まで選考がなされている。つまりピアノ・ソナタが21曲、吟味されている。これから書く文章のなかに「きいておいて面白い盤」がすこし登場するが、それを除けばわたしの考えとして「全集をいきなり買ったほうが理解がはやい」と思う。それがグルダがアマデオ・レ-ベルに残した全集(1967)である。どの曲ひとつをとっても、スタンダ-ドな意味ではこれがトップの座にすわることに異議のあるひとはすくないのではないか。有名な「三大ソナタ」のひとつであるソナタ第14番嬰ハ短調「月光」の第3楽章の演奏にしても「完全にひけていてかつ美しい」とおもわれるのは、わたしにはグルダ盤だけである。

 各論として「これは面白い」という盤を挙げるとすればグレン・グ-ルドのソナタ30番、31番、32番であろう(3曲まとめて1枚のディスクに入っている。1956年の録音だから「ゴルトベルク変奏曲」の録音の翌年である)。
 あとギレリス、ポリ-ニ、リヒテル、バックハウス、アシュケナ-ジといった名人の名がつらなるが、いろんな盤をつごう50枚くらいもとめた身として「グルダ盤の全集になさい」という気持ちは、かわらない。

  

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2009年12月15日

060~064 ベートーヴェン

060 ベ-ト-ヴェン 弦楽四重奏曲全集

 全集としてもとめるのであれば、アルバン・ベルクSQによる再現がもっとも好ましいだろう。「明るく美しく歌う」というこの四重奏団の特性がのびのびと発揮されてまことに美しい。わたしが学生の頃までベ-ト-ヴェンの弦楽四重奏曲のチョイスというと、なにやら恐ろしげな哲学的発言が飛び交って「初心者入るべからず」的な空気が充満していた。たしかに後期の作品などにはそうした発言を喚起するつくりになっているということもあるが、どんな曲にしたってそこには「美」があるはずだ。戦前のブッシュSQなどをさんざんきいたあげく「ちっとも美しくない」と思ったわたしのホンネである。

061 ベ-ト-ヴェン 初期弦楽四重奏曲集(第1~6番) Op.18

 ここではバリリSQによる演奏を推す。6番における明るく浮き浮きとした表現はバリリならではだ。ほんとうのところを言うと、弦楽四重奏曲全集でバリリSQもおもとめなさい、と書きたかったのである。わたしが学生時代にはウエストミンスタ-・レ-ベルに所属するバリリSQの演奏はなかなかきくことができなかった。いまはCD化された音源がきちんと存在する。ありがたいことだ。


062 ベ-ト-ヴェン 中期弦楽四重奏曲集(第7~11番)
                        Op.59、74、95
 この期間の作品の再現としてはジュリア-ドSQの1964年から1970年にかけての演奏(ソニ-クラシカル)が面白い。メンバ-の入れ換えと第1ヴァイオリンのロバ-ト・マンの音楽的変化によって四重奏団の表現が1970年を境にガラリと変わるところがききもの。ベ-ト-ヴェンが何も表情指定をしていない部分を「眉ひとつ動かさずにひいてしまう」(吉田秀和氏の表現である)4人の演奏は1960年代において「これは新即物主義であるか否か」という議論を醸したものだ。


063 ベ-ト-ヴェン 後期弦楽四重奏曲集(第12~16番、大フ-ガ)
                     Op.127、130~3、135
 吉田秀和氏が著書『この1枚』でメロスSQをとりあげて賞賛しているのを読み、わたしも急いでディスクをもとめた。だがあまりにも硬いというか鋼鉄製というか、その突き刺さってくるような表現に、めげた。その再現に往年のブッシュSQに通じる「堅固な造形」があることはわかったが、いくらなんでも硬かった。同様の理由からラサ-ルSQ、ブダペストSQも選外となり、けっきょく初期とおなじくアルバン・ベルクSQとバリリSQを推すことに。


064 ベ-ト-ヴェン ピアノ三重奏曲第7番変ロ長調「大公」 Op.97

 よく音楽家などが「トリオならどなたとでもいたしますよ、カルテットはそうはいきませんけどね」と言う。つまりトリオというのはそれぞれの3人の個性のぶつかり合いであって「協奏」とはちょっとちがう。だから達者な3名が揃えばできてしまう、とも言える部分がある。だがわたしとしてはなるべく「協奏」に重点をおいた表現を、ききたい。そこでケンプ、シェリング、フルニエによる演奏(1969、1970。グラモフォン)を選ぶ。


ちょっと休憩。

 いろいろなディスクを推薦して、いざ市場には出ていて廉価かなとインタ-ネットで検索してみると意外に栄枯盛衰がある。バリリ弦楽四重奏団のベ-ト-ヴェンは全集でしか入手できないし、ベルリン・フィル八重奏団員のベ-ト-ヴェン:七重奏曲は廃盤のようだ。わたしの推薦を頼りにしている方がおられたらお腹立ちのことだろう。しかしそのあたりの感覚は以前に「コレクタ-になるなかれ」と書いたときと同じで、そうか、コクマルガラスの推薦したディスクはいま入手できないのだな、それなら世評がたかそうでやすいものを探しておこう、とお考えいただきたい。ムキになって執着めさるな。世の中、百人の聴き手がいれば百の名盤あり。たかがクラシック、である。

  

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2009年12月14日

048~059  ベートーヴェン


048 ベ-ト-ヴェン 交響曲第6番ヘ長調「田園」 Op.68

 ベ-ト-ヴェンの交響曲のなかで唯一の標題音楽。何度全集をきいてもこの曲だけが異色だという感はまぬがれない。まず推薦できるのがベ-ム/VPO(1971)。録音がよくとれているし、ウィ-ン・フィルもベ-ムが指揮者だと真面目にやっている。ほかにワルタ-/コロンビアso.の演奏もあるが、どうせワルタ-に傾倒するなら1937年のワルタ-/VPOの再現も美しい。ただし録音は当然、よくない。ウィ-ン・フィルが戦前は立派なオ-ケストラであったことがわかる。ワルタ-/VPOの戦前の録音についてはのちのちマ-ラ-のディスク選びをするときに出てくるかもしれないから、「どうしても」という感じに執着する必要は、ない。


049 ベ-ト-ヴェン 交響曲第7番イ長調 Op.92

 交響曲第5番の項でクライバ-/VPOをあげた。同じディスクにカップリングされているのがこの曲だから敢えてほかの盤を選ぶこともあるまい。


050 ベ-ト-ヴェン 交響曲第8番ヘ長調 Op.93

 この曲はセル/クリ-ヴランドo.がいい。もしセルが好きになれない、という方がおられたのならカラヤン/BPOの2回目の録音(1976、77)だろう。


051 ベ-ト-ヴェン 交響曲第9番ニ短調「合唱」 Op.125

 第一に推すのがベ-ム/VPO(1970)の演奏。テノ-ルがジェス・ト-マス、バスがカ-ル・リッダ-ブッシュ、合唱がウィ-ン国立歌劇場合唱団と揃って重量級の演奏をきかせる。伝説的になったフルトヴェングラ-/バイロイト祝祭o.の録音(1951ライヴ)は2巡目でよい。テノ-ルとバスに注目するのならラインスドルフ盤でプラシド・ドミンゴとシェリル・ミルンズが共演したのがある。なかなかすぐれた演奏だったと記憶する(ラインスドルフという指揮者は一流の仕事をする人であった)。


052 ベ-ト-ヴェン 序曲集(選集あるいは全集)

 この曲目ではセル/クリ-ヴランドo.の再現を第一に推す。「レオノ-レ序曲 第3番」での畳みかけなど、凄い迫力であった。わたしは外盤で入手したが、手に入りにくければ同等にすぐれたカラヤン/BPOによる録音を。


053 ベ-ト-ヴェン ピアノ協奏曲第1番ハ長調 Op.15

054 ベ-ト-ヴェン ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 Op.19

055 ベ-ト-ヴェン ピアノ協奏曲第3番ハ短調 Op.37

056 ベ-ト-ヴェン ピアノ協奏曲第4番ト長調 Op.58

057 ベ-ト-ヴェン ピアノ協奏曲第5番変ホ長調「皇帝」 Op.73

 これも全集があるならば(わたしは1枚ずつもとめて3枚で揃ったが)グルダのピアノでホルスト・シュタイン指揮ウィ-ン・フィルの演奏がよい。各曲についてそれぞれの名演が存在するが、そのひとつひとつをグルダ盤と比較してみると結局はグルダ盤にひかれる、ということになる。あえて挙げろと言われればブレンデルがレヴァイン/CSOと組んだものになるが、わたしには響きがちょっと厚ぼったいように思われる。


058 ベ-ト-ヴェン ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.61

 この曲には名演がふたつある。録音順に挙げるとまずオイストイラフがクリュイタンス/フランス国立放送o.と組んだもの(EMI盤)。もうひとつはパ-ルマンがジュリ-ニ/フィルハ-モニアo.と組んだもの(EMI盤)である。クライスラ-がレオ・ブレッヒ/ベルリン国立歌劇場o.と組んだ1926年の録音を褒める人がいるけれど、そういう「雑音の彼方から響いてくる」といった録音はたとえば1930年前後の声楽家の吹き込みをきくときだけで充分だと思う。スタジオ・ジブリの「火垂るの墓」で使われていた「埴生の宿( Home, sweet home )」の歌唱がそのころの録音で歌手がアメリタ・ガリ=クルチであった、と言えば雰囲気はわかっていただけようか。


059 ベ-ト-ヴェン 七重奏曲変ホ長調 Op.20

 ベルリン・フィル八重奏団による1972年の録音(フィリップス)。ここでお断りしておくが、わたしはウィ-ン・フィルよりベルリン・フィルをはるかに高く評価する。ベルリン・フィルがとびきりの職人集団だとすれば、ウィ-ン・フィルは一流の芸者集団である。ウィ-ン・フィルのみの得意演目があるとすれば、まあラデツキ-行進曲ぐらいではなかろうか。のちのちたとえば弦楽四重奏曲の名演でバリリSQ(ウィ-ン・フィルの奏者集団)をあげたりすることもあるからなにからなにまでとは言えないが、そういった理由で「ウィ-ン風室内楽」といった趣味は遠ざけることになる。この曲でたとえばウィ-ン・フィル室内アンサンブル(1975年。グラモフォン)を挙げない理由はそれである。

  

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2009年12月13日

036~047  バルトーク~ベートーヴェン


036 バルト-ク 弦楽器・打楽器とチェレスタのための音楽 Sz.106

 前の項で挙げたようにライナ-/CSOの演奏を推す。「管弦楽のための協奏曲」と一緒になってCD1枚であるから徳用だ(まあもっとも、この2曲はたいていカップリングされるけれど)。いまは老齢になって昔の栄光でなんとかやっているブ-レ-ズも、この2曲を録音した頃(1972年と67年)は実力と勢いがあった。しかしソニ-クラシカルはたぶんいまでもこの2曲を別売にしているだろうから推薦できない。


037 バルト-ク ピアノ協奏曲第3番 Sz.119

 これは決定的な盤が存在する。ゲザ・アンダがフリッチャイ/ベルリン放送so.と組んで1960年に録音したものがそれだ。わたしがもとめたときは2枚組でバルト-クのピアノ協奏曲1、2、3番とヴァイオリン協奏曲第2番(ヴァイオリンはティボ-ル・ヴァルガ)を収録していたが、いまなら単発でもとめられるのではなかろうか。


038 バルト-ク ヴァイオリン協奏曲第2番 Sz.112

 前の項で挙げたティボ-ル・ヴァルガとフリッチャイの組み合わせもよかったが、個人的に「ヴィオラ協奏曲とのカップリングですぐれたものを」という思い入れがある。よってピンカス・ズッカ-マンがヴァイオリンとヴィオラを弾いてレナ-ド・スラットキンがセントルイス交響楽団を振ったもの(RCA)を推薦する。


039 バルト-ク 弦楽四重奏曲(全曲)
               Sz40、67、85、91、102、114

 ふたつ傑出した演奏がある。ひとつは1963年のジュリア-ドSQ(ジュリア-ドの綴りは Juilliard である)によるもの。ジュリア-ドSQは三回録音しているが、この1963年の二度目の録音はその演奏によって多くの人々がバルト-クの弦楽四重奏曲を「発見」したという点で、もはや記念碑的と言うべきである。
 もうひとつは1984年から86年にかけて録音されたアルバン・ベルクSQによるもの。近年惜しまれつつ解散した団体だが、その「美しい歌」によって、さまざまな曲目の決定盤を生み出したことは音楽界にとって大きな貢献であった。


040 バルト-ク 2台のピアノと打楽器のためのソナタ Sz.110

 これはエラ-トのラベック姉妹による演奏が、楽しい。ジャズ評論家をして「ばんばんにスウィングしている」と言わしめた「2台のピアノのための7つの小品(ミクロコスモスより)」とカップリングされており、晦渋な現代音楽という地点から軽々と飛翔するさまは見事である。


041 バルト-ク 歌劇「青ひげ公の城」全曲 Op.11、Sz.48

 わたしにとって「バルト-ク開眼」を経験させてくれた、忘れがたい曲目である。それまでなんとも難解な音列にすぎなかった現代音楽が、いちどきにパッと視野がひらけるように提示されたときの驚きは、いまでも記憶にあたらしい。そのときのディスクはサヴァリッシュ/バイエルン国立o.で、タイトルロ-ルを歌ったのはフィッシャ-=ディ-スカウであった。
 このディスクのフィッシャ-=ディ-スカウに「彼の声質では重さや暗さが足りないのではないか」という感覚を持たれる方にはネステレンコをお薦めする。フェレンチ-ク指揮のハンガリ-国立o.で1981年の録音。フンガロトン原盤。


042 ベ-ト-ヴェン 交響曲全集

 この文章を読んでおられる方々の多くは、5枚組とか6枚組とかいった大冊ものを惜しげもなくもとめる方ではないだろうと思う。しかしベ-ト-ヴェンの交響曲のみならず、いろいろな「セットもの」にはそれなりの利点がある。1枚あたりの単価が安くなるということがひとつ、そしてもうひとつは「全体を俯瞰するにあたって有利」ということだ。ここでは「セットでも単発でももとめられるもの」ということを主眼にしてショルティ/CSOの1970年代の1回目の全集(2回目は1980年代後半)をあげておく。
 あと推薦できる全集としてカラヤン/BPOの1回目(1960年代)のものと、セル/クリ-ヴランドo.のものがあるが、わたしの選択を信じてくださるのであればやはりショルティ盤がいいと思う。爽快で力強い表現と、オ-ケストラのとびきりの能力がたのしめる。
 わたしの手元の『名曲名盤500』では1位と2位がバ-ンスタイン/VPOとフルトヴェングラ-/VPO他になっているが、これはどちらも「買うべからず」の全集であると言い切れる。


043 ベ-ト-ヴェン 交響曲第1番ハ長調 Op.21

044 ベ-ト-ヴェン 交響曲第2番ニ長調 Op.36

 この2曲はLPの時代は単発ものだと1枚に収録されることの多い曲だった。CD時代にはそうした慣行も崩れてゆくのかもしれないが。セル/クリ-ヴランドo.の演奏とワルタ-/コロンビアso.の演奏をあげておく。セルは交響曲第8番の演奏が卓越しているから後にも登場するが、ワルタ-はこの曲だけになりそうなので芸風を知るために買ってみるのもいいかもしれない。


045 ベ-ト-ヴェン 交響曲第3番変ホ長調「英雄」 Op.55

 この曲についてはフルトヴェングラ-/VPO(1952)のEMI盤が昔から高く評価されている。わたしも謙虚に50回くらいはきいたのだが、録音の悪さに辟易せずに最後まできけたためしがない。30年くらい前はトスカニ-ニ盤を持ち上げる批評家もたくさんいたが、どうやら絶滅したらしい(わたしはトスカニ-ニのディスクで好きな演奏のものがひとつもないと断言できる。いったいあの癇癪持ちの棒で、しかも録音がカチカチのディスクのどこが良いのだろうか)。
 まあ基本的にはショルティ/CSOであろう。それだと全集の選択と重なるという観点からほかを選ぶとジュリ-ニ/LAPO(1978)とかベ-ム/BPO(1961)だろうか。同じショルティが1959年にVPOを振ったものがあって、吉田秀和氏はそれと前述のベ-ム/BPOの演奏を『世界の指揮者』の「ショルティ」の項で比較させている。そう、そういう点からもベ-ム/BPO(1961)が、いいだろう。


046 ベ-ト-ヴェン 交響曲第4番変ロ長調 Op.60

 この曲は案外名盤に恵まれていない。クライバ-/バイエルン国立o.はどうかと言われれば、いいですけど・・と言う他ない(わたしはいわゆる「クライバ-・ファン」には属さない)。とりあえずベ-ム/VPO(1972)を選んでおく。カラヤン/BPOの2度目の録音(1976~77)も美しい。


047 ベ-ト-ヴェン 交響曲第5番ハ短調「運命」 Op.67

 この曲にはもう「運命」という副題がつかないことが多くなったが、それはともかくベ-ト-ヴェンの交響曲のなかでトップクラスの人気を誇る曲だ。クライバ-/VPOの演奏が交響曲第7番とカップリングされているので、まずは選ぼう。フルトヴェングラ-/BPOの1947年5月27日録音のグラモフォン盤も「奔流のような」と形容できる内容を持っている。ただし録音はぎりぎり60点というところ。もうひとつ、これはすこし好事家むけになるがクレンペラ-/VPOの盤がある(1968ライヴ)。同じ1968年の「未完成」とカップリングされているが、吉田秀和氏が著書のなかでクレンペラ-について書いたとき、ウィ-ン滞在中にラジオできいて「あとにもさきにもあんなすごい拡がりをもった「運命」はきいたことがない」と思ったという物件だ。「未完成」の方も演奏終了まぎわにクレンペラ-が「シェ-ン(美しい)」と呟く声が収録されているといういわくつきの盤なのでどこかで見かけたらもとめて間違いない。


ちょっと休憩。

 ここですこし「蒐集」ということについて書いておこう。さきほどベ-ト-ヴェンの交響曲第5番でもちょっと入手が難しいかもしれない盤について書いた。わたしがはっきり申し上げておきたいのは、そうした珍しい盤を「とにもかくにも集める」という人間には絶対に「なってはいけません」ということだ。
 そうした希少盤ばかり集める人間はビョ-キである。クラシックにもジャズにも、ロックンロ-ルの世界にも「コレクタ-」という人種が存在して法外な値段で取り引きをおこなっている。
 どの時代にも「○○のナニナニ」みたいな名称を奉られた「コレクタ-ズ・アイテム」があって、LP1枚やCD1枚がとんでもない値段になっている。わたしが生まれた頃、LP1枚が10万円というのがあった。東大卒の初任給が1万円くらいの時代である。 いま、そのLPとおなじ内容のCDが復刻されて2千円ぐらいの値段で売られている。あの時代そのLPを死ぬ思いでもとめた人間は何のために何をやったか。その当時安価でもとめられる同じ曲のほかのLPではなぜ、いけなかったか。
 音楽を愛する友たちよ。「蒐集家」になっては、いけません。

  

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2009年12月12日

022~035 J・S・バッハ


022 バッハ 半音階的幻想曲とフ-ガ ニ短調 BWV903

 この曲については、まずブレンデルの演奏を。組み替えがなければそのCDには後述の「イタリア協奏曲」がカップリングされていてお得であるし、どちらの演奏もよい。ピアノではなくチェンバロでききたいという方にはピノックであろうか。


023 バッハ ゴルトベルク変奏曲 BWV988

 1955年録音のグ-ルド盤をまず推す。世評がたかいのでどなたもCD店で見かけたことがあるのではなかろうか。市場でLPからCDへの切り換えがすすんでいる1980年代にこの演奏はなぜかCD化が遅れ、やっと出たとおもったら3枚組であったという椿事があった。そういう商売をするCBSソニ-(現在のソニ-・クラシカル)の体質はわたしが学生のときから変わっておらず、あまり尊敬できない会社である。グレン・グ-ルドやホロヴィッツが東芝EMI(いまのEMI)と契約していてくれたら、という話題は砂川しげひさ氏も引き合いに出しておられた。


024 バッハ イタリア協奏曲ヘ長調 BWV971

 「半音階的幻想曲とフ-ガ」の項でブレンデルを挙げたから、それをもとめられた方はこの曲の新しいディスクをもとめる必要が無い。2巡目としてあがってくるのはアマデオ・レ-ベルから出ている1965年録音のグルダ盤か。これは「グルダ・アンコ-ル」というタイトルで出されたもので、吉田秀和氏が著作のなかで「こういうショウ・ピ-スをアンコ-ルで弾くときのグルダはギアが一段あがったようなすごい名演をきかせる」と取り上げている盤である。ブレンデルのふっくらとした、いかにもグランド・ピアノ(たぶんベヒシュタインかベ-ゼンドルファ-であろう)ならではの響きをいかした演奏とくらべて、グルダの演奏は敢えてそうした豊かな響きを振り払ったようなおもむきのある演奏になっている。


025 バッハ カンタ-タ第140番「目覚めよと呼ぶ声あり」
                            BWV140
 リヒタ-/ミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団で決まり。現役国内盤で出ているかどうか調べていないが、バッハのカンタ-タにはたとえばシュ-ベルトの歌曲と同様に対訳がほしい(これがイタリアオペラなどでは、あらすじを知っていれば単語の意味などいらないという言い分もあるのだが)。1990年代であったか「カ-ル・リヒタ-:カンタ-タ選集」という10数枚組のボックス・セットが出たことがあった。あれの対訳だけでも(他にもこのカンタ-タは何週間の第何節のもの、という知識もある)発売してくれると助かるのだが。


026 バッハ カンタ-タ第147番「心と口と行いと生命もて」 BWV147

 リヒタ-/アンスバッハ・バッハ週間o.(1961)を選ぶ。1980年代になるとこうしたカンタ-タにも古楽器の派閥が台頭してきてリリング、リフキンといった指揮者の名前があがる。最近ではバッハ・コレギウム・ジャパンも有名である。しかしわたしには「オリジナル演奏」の旗印に味方する気が、ない。


027 バッハ カンタ-タ第202番「消えよ、悲しみの影」
                     (結婚カンタ-タ) BWV202

 これもリヒタ-/ミュンヘン・バッハo.による再現をえらぶ。ソプラノを担当しているシュタ-ダ-の声がまことに格調高く、美しい。


028 バッハ カンタ-タ第211番(コ-ヒ-・カンタ-タ) BWV211
        カンタ-タ第212番(農民カンタ-タ) BWV212

 オリジナル楽器嫌いを言い募るわたくしだが、この曲についてはコレギウム・アウレウム合奏団、アメリング(S)他の演奏を選ぶ。古楽器臭さがあまりないし、なによりアメリングの声が美しい。シュライア-がベルリン室内o.を振った演奏は、わたしにはいささか退屈であった。


029 バッハ ミサ曲ロ短調 BWV232

 この曲(だけではなく、受難曲についてもそうだが)についてはリヒタ-盤(61年)の評価が非常に高い。しかしこの曲に関してはわたしはクレンペラ-盤(67年)も同格に推したい。リヒタ-盤の切羽詰まった迫真力もすばらしいが、-これはリヒタ-の指揮したバッハの声楽曲をいろいろときくうちにどうしても出てくる不満なのだが-ミュンヘン・バッハ合唱団がもともとはプロ集団ではないことがなんとも気になる。クレンペラ-の棒のもとでニュ-・フィルハ-モニア管弦楽団とBBC合唱団が桁外れにスケ-ルの大きな演奏をきかせる盤に、どうしてもひかれる。リヒタ-盤でバスを受け持っているのはフィッシャ-=ディ-スカウで、クレンペラ-盤ではプライである。そのことも選択肢になるだろう。


030 バッハ マタイ受難曲 BWV244

 リヒタ-盤の1958年盤(いちばんポピュラ-である)を第一に推す。リヒタ-はこの後1969年と1979年にそれぞれこの曲を録音している(69年盤はライヴ録音であった)。1979年になるとかなりレガ-トを重視する演奏になってきて、評論家によってはそちらを好むむきもあるようだ。


031 バッハ ヨハネ受難曲 BWV245

 ドナルド・キ-ン氏の著作に「わたしはこの曲のディスクを、マタイ受難曲と似たようなものだろう、というたいへんおぼつかない理由から持っていない」という文章があって吹き出してしまったことがある。わたしは勢いでリヒタ-盤をもとめたが、他の盤を持っていない。だからリヒタ-盤が素晴らしいということ以外は言う権利が、ない。


032 バッハ クリスマス・オラトリオ BWV248

 この曲は「カンタ-タの集合」のような曲で、ぼんやりきいていると次々とアリアが歌われてはコラ-ルで集結してまたアリア、という印象になる。それはそれで楽しいききかたであるが、そんな散漫な聴き方をしても許してくれそうなのが美しい演奏(特に合唱)のコルボ/ロ-ザンヌ室内o.の盤である。リヒタ-盤はわたしにとってはあまりにも立派なので、つい神棚に載せておく扱いになる。


033 バッハ 音楽の捧げ物 BWV1079

 この曲も漠然ときいていると「なんだか1曲ずつがバラバラだなあ」というきこえ方をする。この曲の場合「クリスマス・オラトリオ」とちがってそういうきこえ方は、いささかまずい。そのへんを飽きさせずにきかせるのがパイヤ-ル盤。DENONから1974年に、RCAから1986年にそれぞれ出ているが、解釈はほぼ同じである。わたしとしては1986年盤が「フ-ガの技法」とカップリングされており、それが抜群の出来なのでそちらを推す。


034 バッハ フ-ガの技法 BWV1080

 合奏もののディスクとしては033の項でパイヤ-ル盤をあげた。鍵盤楽器演奏ものとしてはエラ-トのコ-プマン盤を推したい。2台チェンバロによる再現で、まことに素晴らしい。


035 バルト-ク 管弦楽のための協奏曲 Sz.116

 これは次の項の「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」とのカップリングという意味からもライナ-/CSOを、とる。「古典的な現代音楽作曲家」としてバルト-クを決定的に位置づけたのがこのディスクであることは間違いない。

  

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2009年12月11日

007~021 J・S・バッハ


007 バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティ-タ
                            BWV1001~6

 ずいぶん昔からシェリングのグラモフォン盤の評価がたかいが、わたしとしてはもうすこし柔軟で美しい表現に酔いたい。この感想は初めてシェリング盤をきいた20代のときからだ。当時はシゲティやシェリングのバッハには「精神性」という言葉が冠せられてこれを侵害すべからず、という空気が濃厚だった。
 まずシェロモ・ミンツのグラモフォン盤を推す。それと並んでグリュミオ-のフィリップス盤を。どちらも美音で自在に歌って、それでいて情に溺れることのないしっかりした歌になっている。


008 バッハ 無伴奏チェロ組曲(全曲) BWV1007~12

 これもカザルスの1930年代の録音がよく推薦される。わたしも最初にもとめた。今になったから言えることだが、あの録音状態では素晴らしい演奏なのかどうか見極めることが困難ではないだろうか。そのくらい音がわるい。
 わたしとしてはジャンドロンによる美しい歌い方に、ひかれる。この曲については堂々とした風格がほしい向きにはシュタルケルの1963~65年の録音をお薦めする。どちらの録音もフィリップスで、チェロの美音があますところなくとらえられている。


009 バッハ ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ(全曲)
                           BWV1014~9

 エラ-トから出ているバルヒェット(vn)とヴェイロン=ラクロワ(cemb)の組み合わせがいまのところいちばん気に入っている。バルヒェットのヴァイオリンにはしっかりした堅さがあって、それでいて野放図に大きくならない。こうしたアンサンブルをやるにはうってつけの音だと言える。その点でグリュミオ-も得意にする曲ではあるまいかとディスクをもとめてみたが(サルトリのチェンバロ)、あまりよくなかった。以前から評判のたかいシェリングとヴァルヒャの組み合わせは、なんだか合わせるのに必死になっているようで、きいていて愉悦感がない。


010 バッハ フル-ト・ソナタ集(全集あるいは選集)
                   BWV1030~5、1020、1013

 これは、どのフル-ト奏者が好きかで決する。わたしはニコレがもっともバッハの再現に適すると考えるから、アルヒ-フから出ている盤(チェンバロはリヒタ-。1969年と73年の録音)を推す。BWV1013の「無伴奏フル-ト・ソナタ イ短調」の演奏など、実に素晴らしい。


011 バッハ チェロ・ソナタ(全曲) BWV1027~9

 原曲がヴィオラ・ダ・ガンバのための作品であるから、チェンバロをレオンハルトが受け持ってガンバをW.クイケンあるいはコッホが弾いたもの(どちらもハルモニア・ムンディ盤)ということになる。しかしわたしはガンバやバロック・チェロの音色がどうも好きになれない。そこでフルニエがル-ジイチコヴァと組んだ盤(エラ-ト)か、シュタルケルが同じル-ジイチコヴァと組んだ盤(DENON)をえらぶ。


012 バッハ オルガン作品集

 下敷きにしている『名曲名盤500』にこの選曲があるので標題になったが、わたしはバッハのオルガン曲というのはあまりまとめて聴くと、どれも同じにきこえてくるものだという考えの持ち主である。もとめるとすればヴァルヒャの全集であろうが(新旧2種類がある。どちらも同じようなものだ)20枚ちかくになる全集を買う余裕があるなら013から016にかけて選ぶおのおののオルガン曲のCDで満足しておいて(それとてもわたしは2枚か3枚のCDでじゅうぶんだと思う)、他のディスクを探究するほうに力をそそぐべきであろう。


013 バッハ トッカ-タとフ-ガ ニ短調 BWV565
014 バッハ 幻想曲とフ-ガ ト短調「大フ-ガ」 BWV542
015 バッハ パッサカリアとフ-ガ ハ短調 BWV582

 うまい具合にこの3曲が1枚に収まっているCDがある。マリ-=クレ-ル・アランがエラ-トに1978年から1980年にかけて録音したものだ。わたしはオルガニストとしてのアランの資質をたかく評価している。ヴァルヒャはリズム感覚に難があるし、リヒタ-のオルガン演奏はときとしてややヒステリックになる傾向がある。アランの演奏にはそうした問題はなく、穏やかで平明な地平がひろがる。このCDには有名な「小フ-ガ ト短調 BWV578」「コラ-ル 目覚めよと呼ぶ声が聞こえ BWV645」も収録されている。


016 バッハ シュ-プラ-・コラ-ル(全曲) BWV645~50

 ことこの曲目についてはどうしてもヴァルヒャに頼らねばならない。しかしいまのところ2枚組でしか入手できないようだ。015でアランの「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」をきいて、心底気に入った方はもとめられるべし。ここで書いておくが、「オルガン演奏における古楽器演奏派」とも言うべきコ-プマンの演奏は、やはりアド・リブ的な要素がつよすぎてわたしには馴染めない。チェンバロを弾くときにくらべて、オルガンに向かうと悪乗りする傾向があるようだ、この人は。


017 バッハ インヴェンションとシンフォニア BWV772~801
018 バッハ イギリス組曲 BWV806~11
019 バッハ フランス組曲 BWV812~7
020 バッハ パルティ-タ(全曲) BWV825~30

 以上の曲については、やはりどうしてもグレン・グ-ルドの録音を挙げることになる。レオンハルトのチェンバロ演奏やシフによるピアノ演奏もすぐれているが、やはり2巡目にまわることになる。「インヴェンションとシンフォニア」については、グ-ルドの演奏はあまりにも風変わりかもしれないので、ごく規範的とも言うべきドレフュスのチェンバロ演奏(アルヒ-フ)を挙げておく。


021 バッハ 平均律クラヴィ-ア曲集 第1、2巻(全曲)
                          BWV846~93

 この曲集については昔からリヒテル、グ-ルドの競争が激しい。まるでスタイルがちがうのだから同一の俎上に上げること自体に無理があるのだが、わたしとしてはどちらの演奏家のディスクをきいていても不満が残る。リヒテルをきいているときは「なんとも重い演奏だなあ」、グ-ルド盤をきいているときは「風変わりだなあ」ということになって、あまりきかないうちにSTOPボタンを押すことになる。
 わたしが聴いていて「ああ、いい演奏だ」と思うのはグルダ盤。1972年にフィリップスに録音したものだが、音がとてもいい。音がいいというのは録音もいいし、グルダの出す音もいいという両方である。グルダはここで、ベ-ト-ヴェンをひくときとはまるで違った、透明感のある音をひびかせている。

  

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2009年12月10日

001~006  J・S・バッハ


001 バッハ 管弦楽組曲(全曲)BWV1066~9

 わたしが学生時代をおくった1970年代後半は古楽器演奏によるのLPがブ-ムであった。ア-ノンク-ルをはじめとする演奏家(彼は最初はヴィオラ奏者として出た)がさまざまなルネサンス期からバロック期の楽曲を演奏し、そうしたLPがつぎつぎと発売された。しかしオリジナル楽器による演奏を愛するかたがたには申し訳ないが、わたしはその当時から古楽器による演奏や音色のクセに馴染めなかったし、いまでもその好みは変わっていない。古楽器演奏によるディスク購入は三巡目くらいからでよい、と思う。

 管弦楽組曲の全4曲にはリヒタ-/ミュンヘン・バッハ管弦楽団による2枚組がある。1960年と61年の録音だからずいぶん古いが、音質は決して悪くない。第2番でフル-トを担当するのが若きニコレであることも大きな魅力だ。


002 バッハ ブランデンブルク協奏曲(全曲)BWV1046~51

 この6曲についてもやはりリヒタ-/ミュンヘン・バッハ管弦楽団による1967年の演奏がまず挙がる。この2枚組には後述の「オ-ボエとヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 BWV1060a」がカップリングされていて徳用になっていた(現在もそうであるかどうかは不明)。これに並ぶ名演として1973年に日本コロムビア(レ-ベルはDENON)がエラ-トと共同制作したパイヤ-ル/パイヤ-ル室内管弦楽団による2枚もの(別売であった)が挙げられる。ピエルロ(ob)、オンニュ(fg)、アンドレ(tp)、ランパル(fl)らを始めとするフランスの管の大名人がずらりと揃って自由自在に吹くさまは圧巻。パイヤ-ルはその後1990年にもRCAに録音をしており、メンバ-は入れ替わるが愉悦的なアプロ-チは同じなので同等にお薦めできる(このような書き方をすると「なんだ、結局は1973年盤の方がいいということか」と勘繰られそうだが、わたしがこういう文章を書くときはまったくおなじ、と思っていただいてよい)。


003 バッハ チェンバロ協奏曲第1番ニ短調 BWV1052

 この曲についてはピノック/イングリッシュ・コンソ-トを第一に推す。古楽器が好きでないと書いたではないかと言われそうだが、イングリッシュ・コンソ-トという楽団の演奏には古楽器特有のアクがすくなく、そのへんがウィ-ン・コンツェントゥス・ムジクスと違う。それにこの曲においてはチェンバロを弾き振りしているピノックがとても溌剌としていて気持ちがよい。ピノックはバッハの2台チェンバロ、3台チェンバロのための協奏曲も録音しており、それらも含めた3枚組が存在する。しかしバッハのチェンバロ協奏曲はチェンバロの台数が増えるごとにだんだん退屈なものになるから、一度でほれこんでしまわれた方以外は1番を収録した1枚を購入するだけでよいと思う。


004 バッハ 2台のチェンバロのための協奏曲第1番ハ短調
                                   BWV1060
 チェンバロ協奏曲第1番とおなじくピノック/イングリッシュ・コンソ-ト盤を推薦するが、この曲はバッハによって後述の「オ-ボエとヴァイオリンのための協奏曲ニ短調」に編曲されており(BWV1060a)、そちらの方がわたしには親しみがもてる。


005 バッハ ヴァイオリン協奏曲第1、2番
        2つのヴァイオリンのための協奏曲 BWV1041~3

 昔からシェリングがマリナ-と組んでフィリップスに録音した盤(1976)の評判が高いが、いかんせん「2つのvnのための協奏曲」の演奏が悪い(第二ヴァイオリンのアッソンが愚図愚図である)。そこでグリュミオ-がクレバ-スと組んで入れた盤を選ぶ。このディスクではフランコ-ベルギ-楽派のヴァイオリンによる透明感のあるアンサンブルがききものである。ゲレッツ指揮。ソリスト・ロマンドによる1978年の録音。このディスクでグリュミオ-の音色が気にいった方には彼のフォレなどもお薦めできる。


006 バッハ オ-ボエとヴァイオリンのための協奏曲ニ短調
                                   BWV1060a

 リヒタ-/ミュンヘン・バッハ管弦楽団による「ブランデンブルグ協奏曲」の2枚組に発売当初カップリングされていたのがこの曲であった。シャンのオ-ボエ、ビュヒナ-のヴァイオリンにリヒタ-/ミュンヘン・バッハo.がツケていて、いい演奏だった。録音は1963年。リヒタ-盤での演奏は硬度のたかい鉛筆でくっきりと描いた絵画のような「勁さ」があったが、これがクロッキ-のような柔らかな描線になっているのがヴィンシャマン(ob)とヘンデル(vn)によるドイツ・バッハ・ゾリステンの演奏(1962)だった。わたくしの個人的な好みからリヒタ-盤の「冷たい硬さ」を、とる。


ちょっと休憩

 ここで、わたしの「ネタ本」をいくつか紹介しておこうと思う。

○ 吉田秀和著『吉田秀和全集』第1巻~第10巻   白水社

 言うまでもなくクラシック音楽愛好家にとってのバイブル。現在は16巻を過ぎていると記憶するが、わたしが学生のとき図書館にあったのは1巻から10巻までだった。「わからない人は読んでくれなくともよい」式の、なんともとっつきにくい文章には泣かされたが、それでも「この全集を読破することは決して無意味でない」と思わせるだけの何かがあった。30年を経た現在でもわたしの価値観の基本にあるのは、この全集だ。

○ 柴田南雄著『レコ-ドつれづれぐさ』 音楽之友社
○ 柴田南雄著『私のレコ-ド談話室 演奏スタイル昔と今』 朝日新聞社

 柴田南雄氏の文章もわたしには抜かすことのできないものだ。吉田秀和氏もそうだが大正生まれの評論家の文章には「選ばれた者」としての自負と責任と気骨がある。昭和10年代なかば頃まで東京大学に入学するというのは「勉学がしたいのだ」という発言であった。

○ ドナルド・キ-ン著『ドナルド・キ-ンの音盤風刺花伝』 音楽之友社
○ ドナルド・キ-ン著『音楽の出会いとよろこび 続 音盤風刺花伝』        
                          音楽之友社
○ ドナルド・キ-ン著『ついさきの歌声は』 中央公論社

 ドナルド・キ-ン氏は日本文学・日本文化史の教授であるが、同時に大戦前からのオペラ・ファンである。氏の文章は「日本的批評」というものに対する痛棒としてもきわめて雄弁で(翻訳をつとめている中矢一義氏の能力も素晴らしい)何度読んでも飽きるということがない。

○ 三浦淳一著『レコ-ドを聴くひととき ぱあと1』 東京創元社
○ 三浦淳一著『レコ-ドを聴くひととき ぱあと2』 東京創元社

 三浦淳一氏も戦中からのつわものだが、氏はさまざまな演奏家をそのエピソ-ドから浮き彫りにしてみせた大家である。世界中の巨匠がその言行や失態によって活写されるさまはじつに粋で、楽しい。

○ アンドレ・プレヴィン編『素顔のオ-ケストラ』 日貿出版社

 これはわたしにとって、オ-ケストラの楽団員の日常や本音を知るために特筆すべき一冊である。気にくわない指揮者に対する「いじめ」であるとか、楽器のメインテナンスにかかわる苦労話、はてはオ-ケストラ内での派閥抗争にいたるまで、この本を読めばわかる。翻訳を担当した別宮貞徳氏の力もすばらしい。

○ ヒュ-・ヴィッカ-ズ著『珍談奇談 オペラとっておきの話』
                       音楽之友社  ON BOOKS
○ ジョン・カルショ-著『ニ-ベルングの指環 録音プロデュ-サ-の手記』
                                 音楽之友社

 上記の2冊はわたしにオペラとはいかなるものかを教えてくれた。それも裏側からである。ジョン・カルショ-は言うまでもなくロンドン・デッカのワ-グナ-「指環」の全曲録音を成し遂げた人物であるが、複雑きわまる録音作業のなかでさまざまな歌手の入り乱れるさまは圧巻である。


  

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2009年12月09日

はじめに。


 この文章はわたしの作った「名曲名盤500」である。学生時代から現在までおよそ30年間、市井のクラシック愛好家としてLP、CDを蒐集してきた男として「このディスクなら間違いないと思います」という文章を記しておきたいという願望が強くなり、こうして原稿にむかっている。

 その昔、野村あらえびすは『名曲決定盤』において「十枚の蒐集にて可」という文章を編んだ。ここでの十枚とはSP十枚のことである。4万枚にのぼる蒐集を誇ったあらえびすも結局は「必須という盤は百枚より決して多くない」と述べている。収録時間において現在のCD1枚が当時のSP10枚にあたることを思うと隔世の感があるが、SP1枚の価格が現在の約10万円であったことを思うと1930年代の蒐集家の懸命さはひしひしと伝わってくる。

 それから約30年後、吉田秀和による『LP300選』が刊行される。執筆を依頼した新潮社の斎藤十一氏は最初『名曲決定盤』的な文章を希望したらしい。吉田氏はそれを断って西洋史的かつ音楽史的な曲の選択をおこない、巻末に各曲のLPを紹介した。それでも「吉田秀和氏の推薦したLP」ということで当時(昭和50年代はじめ)のクラシック愛好家はこぞって読んだものだ。

 昭和50年代がおわる頃、音楽之友社が『レコ-ド芸術』3か月にわたって名曲名盤を選ぶという編集をおこなった。それはその年末に冊子体で『名曲名盤500選』と銘打って発売された。そうした編集はそれまでも『レコ-ド芸術』でおこなわれていたが、その年の編集は、おのおのの曲の名盤を選ぶにあたってその曲を専門分野にしている7人の評論家に採点をさせ、かつその根拠となる評論を全部掲載したという点で画期的だった。わたしは、選曲についても世評の判断についてもその『名曲名盤500選』を下敷きにしてCD選びをしようと思う。もう25年にちかい年月が流れてはいるが、ほんとうに決定的な盤というものは10年や20年で次々に出るものではないし、SP時代から昭和50年の間を名盤として生き抜いてきたディスクは価値を失いはしない。

 わたしの選択は多くの場合において折衷的で中途半端なものかもしれない。しかしこれはこれからたくさんのディスクをきいてゆくわかい人に特に言っておきたいが、まずもって標準とするにたるディスクをきく、ということは大切なことだ。ときどき「自分は〈新世界〉を100何十枚持っている」といった発言をするひとがいるが、そういう行動はまずもっていろいろな分野の曲をおしなべて知ったうえで、やるべきだ。そういう「とりあえず1周」というコレクションだけでたぶん千枚をこえるのではないかというのがわたしの予測だ。
 わたしの所有するCDはだいたい4千枚。どの1枚にも物語があって、無意味なディスクは、ない。それでもやはり「この曲についてはこれがベストであろう」という感覚は持っている。このCDについてはあの評論家が褒めたから買い、あのCDはあの批評家が激賞したから買った。そのふたつのCDのあいだになんの有機的関係も無いことが、わたしにはくやしかった。

 そうした30年間を経て「わかったこと」を発信したい。それがわたしがこの文章を綴ってゆく理由です。ときとして批評家の悪口が名前入りで出てくるかもしれない。ときとして「こんな本があって興味深い」というサブテキスト提示があるかもしれない。よみすすんでいくうちに「なるほど、こういう視点のひとか」とわかってきて、面白いとおもわれたかたは、ついてきてください。
  

Posted by コクマルガラス at 12:11Comments(0)TrackBack(0)
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