2009年12月12日
022~035 J・S・バッハ
022 バッハ 半音階的幻想曲とフ-ガ ニ短調 BWV903
この曲については、まずブレンデルの演奏を。組み替えがなければそのCDには後述の「イタリア協奏曲」がカップリングされていてお得であるし、どちらの演奏もよい。ピアノではなくチェンバロでききたいという方にはピノックであろうか。
023 バッハ ゴルトベルク変奏曲 BWV988
1955年録音のグ-ルド盤をまず推す。世評がたかいのでどなたもCD店で見かけたことがあるのではなかろうか。市場でLPからCDへの切り換えがすすんでいる1980年代にこの演奏はなぜかCD化が遅れ、やっと出たとおもったら3枚組であったという椿事があった。そういう商売をするCBSソニ-(現在のソニ-・クラシカル)の体質はわたしが学生のときから変わっておらず、あまり尊敬できない会社である。グレン・グ-ルドやホロヴィッツが東芝EMI(いまのEMI)と契約していてくれたら、という話題は砂川しげひさ氏も引き合いに出しておられた。
024 バッハ イタリア協奏曲ヘ長調 BWV971
「半音階的幻想曲とフ-ガ」の項でブレンデルを挙げたから、それをもとめられた方はこの曲の新しいディスクをもとめる必要が無い。2巡目としてあがってくるのはアマデオ・レ-ベルから出ている1965年録音のグルダ盤か。これは「グルダ・アンコ-ル」というタイトルで出されたもので、吉田秀和氏が著作のなかで「こういうショウ・ピ-スをアンコ-ルで弾くときのグルダはギアが一段あがったようなすごい名演をきかせる」と取り上げている盤である。ブレンデルのふっくらとした、いかにもグランド・ピアノ(たぶんベヒシュタインかベ-ゼンドルファ-であろう)ならではの響きをいかした演奏とくらべて、グルダの演奏は敢えてそうした豊かな響きを振り払ったようなおもむきのある演奏になっている。
025 バッハ カンタ-タ第140番「目覚めよと呼ぶ声あり」
BWV140
リヒタ-/ミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団で決まり。現役国内盤で出ているかどうか調べていないが、バッハのカンタ-タにはたとえばシュ-ベルトの歌曲と同様に対訳がほしい(これがイタリアオペラなどでは、あらすじを知っていれば単語の意味などいらないという言い分もあるのだが)。1990年代であったか「カ-ル・リヒタ-:カンタ-タ選集」という10数枚組のボックス・セットが出たことがあった。あれの対訳だけでも(他にもこのカンタ-タは何週間の第何節のもの、という知識もある)発売してくれると助かるのだが。
026 バッハ カンタ-タ第147番「心と口と行いと生命もて」 BWV147
リヒタ-/アンスバッハ・バッハ週間o.(1961)を選ぶ。1980年代になるとこうしたカンタ-タにも古楽器の派閥が台頭してきてリリング、リフキンといった指揮者の名前があがる。最近ではバッハ・コレギウム・ジャパンも有名である。しかしわたしには「オリジナル演奏」の旗印に味方する気が、ない。
027 バッハ カンタ-タ第202番「消えよ、悲しみの影」
(結婚カンタ-タ) BWV202
これもリヒタ-/ミュンヘン・バッハo.による再現をえらぶ。ソプラノを担当しているシュタ-ダ-の声がまことに格調高く、美しい。
028 バッハ カンタ-タ第211番(コ-ヒ-・カンタ-タ) BWV211
カンタ-タ第212番(農民カンタ-タ) BWV212
オリジナル楽器嫌いを言い募るわたくしだが、この曲についてはコレギウム・アウレウム合奏団、アメリング(S)他の演奏を選ぶ。古楽器臭さがあまりないし、なによりアメリングの声が美しい。シュライア-がベルリン室内o.を振った演奏は、わたしにはいささか退屈であった。
029 バッハ ミサ曲ロ短調 BWV232
この曲(だけではなく、受難曲についてもそうだが)についてはリヒタ-盤(61年)の評価が非常に高い。しかしこの曲に関してはわたしはクレンペラ-盤(67年)も同格に推したい。リヒタ-盤の切羽詰まった迫真力もすばらしいが、-これはリヒタ-の指揮したバッハの声楽曲をいろいろときくうちにどうしても出てくる不満なのだが-ミュンヘン・バッハ合唱団がもともとはプロ集団ではないことがなんとも気になる。クレンペラ-の棒のもとでニュ-・フィルハ-モニア管弦楽団とBBC合唱団が桁外れにスケ-ルの大きな演奏をきかせる盤に、どうしてもひかれる。リヒタ-盤でバスを受け持っているのはフィッシャ-=ディ-スカウで、クレンペラ-盤ではプライである。そのことも選択肢になるだろう。
030 バッハ マタイ受難曲 BWV244
リヒタ-盤の1958年盤(いちばんポピュラ-である)を第一に推す。リヒタ-はこの後1969年と1979年にそれぞれこの曲を録音している(69年盤はライヴ録音であった)。1979年になるとかなりレガ-トを重視する演奏になってきて、評論家によってはそちらを好むむきもあるようだ。
031 バッハ ヨハネ受難曲 BWV245
ドナルド・キ-ン氏の著作に「わたしはこの曲のディスクを、マタイ受難曲と似たようなものだろう、というたいへんおぼつかない理由から持っていない」という文章があって吹き出してしまったことがある。わたしは勢いでリヒタ-盤をもとめたが、他の盤を持っていない。だからリヒタ-盤が素晴らしいということ以外は言う権利が、ない。
032 バッハ クリスマス・オラトリオ BWV248
この曲は「カンタ-タの集合」のような曲で、ぼんやりきいていると次々とアリアが歌われてはコラ-ルで集結してまたアリア、という印象になる。それはそれで楽しいききかたであるが、そんな散漫な聴き方をしても許してくれそうなのが美しい演奏(特に合唱)のコルボ/ロ-ザンヌ室内o.の盤である。リヒタ-盤はわたしにとってはあまりにも立派なので、つい神棚に載せておく扱いになる。
033 バッハ 音楽の捧げ物 BWV1079
この曲も漠然ときいていると「なんだか1曲ずつがバラバラだなあ」というきこえ方をする。この曲の場合「クリスマス・オラトリオ」とちがってそういうきこえ方は、いささかまずい。そのへんを飽きさせずにきかせるのがパイヤ-ル盤。DENONから1974年に、RCAから1986年にそれぞれ出ているが、解釈はほぼ同じである。わたしとしては1986年盤が「フ-ガの技法」とカップリングされており、それが抜群の出来なのでそちらを推す。
034 バッハ フ-ガの技法 BWV1080
合奏もののディスクとしては033の項でパイヤ-ル盤をあげた。鍵盤楽器演奏ものとしてはエラ-トのコ-プマン盤を推したい。2台チェンバロによる再現で、まことに素晴らしい。
035 バルト-ク 管弦楽のための協奏曲 Sz.116
これは次の項の「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」とのカップリングという意味からもライナ-/CSOを、とる。「古典的な現代音楽作曲家」としてバルト-クを決定的に位置づけたのがこのディスクであることは間違いない。
Posted by コクマルガラス at 06:28│Comments(2)│TrackBack(0)
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この記事へのコメント
コクマルガラスさん。どうもです。ブゴル開設おめでとうございます。以前の名前を使っておられたので、意外にもすぐにこのブログを発見することができました。
それにしても早いペースで書き込みが進んでいますね。途中で息切れしないように祈念しております。
今日はとりあえずごあいさつまで。
ちなみに、私はシフやペライアといった中堅どころ?のピアニストがどのように「グールドの呪縛」と戦っているのか、そしてそれは果たして成功していると言えるのか、に現在興味を持っております。
それにしても早いペースで書き込みが進んでいますね。途中で息切れしないように祈念しております。
今日はとりあえずごあいさつまで。
ちなみに、私はシフやペライアといった中堅どころ?のピアニストがどのように「グールドの呪縛」と戦っているのか、そしてそれは果たして成功していると言えるのか、に現在興味を持っております。
Posted by ばく at 2009年12月12日 13:05
まだブログ機能に疎いので、この欄でお返事してよいのかどうかまごつきながら書いております。コクマルガラスというペンネームをご存じの方からのコメントとは嬉しい驚きでした。お元気ですか。
ペライアやシフのバッハをどうとらえるべきかというお訊ねですね。彼らもたしかに「グールドの影」と戦っていると言えるでしょう(意識的にではないにしても)。
わたしの感想ではペライアはテクニックが完全に不足しており、シフは「なんと完全に楽譜どおり弾いたものか」という聴後感になります。これはたとえばペライアのモーツァルト:ピアノ協奏曲やシフのシューベルト:ピアノ・ソナタをきくときにも感ずることです。
グールドが考案した「ピアノの音」というものを考え合わせると、彼の影響に対抗するにはたとえばレオンハルトのようにチェンバロで演奏した方が同じ土俵になるのではないか、という気がします。グランド・ピアノによるバッハ演奏においては、結局ピアノの音について考えることになる。それが、アルゲリッチやホロヴィッツのバッハ演奏をきいたあとに、わたしにはつよく感ぜられるのです。
ペライアやシフのバッハをどうとらえるべきかというお訊ねですね。彼らもたしかに「グールドの影」と戦っていると言えるでしょう(意識的にではないにしても)。
わたしの感想ではペライアはテクニックが完全に不足しており、シフは「なんと完全に楽譜どおり弾いたものか」という聴後感になります。これはたとえばペライアのモーツァルト:ピアノ協奏曲やシフのシューベルト:ピアノ・ソナタをきくときにも感ずることです。
グールドが考案した「ピアノの音」というものを考え合わせると、彼の影響に対抗するにはたとえばレオンハルトのようにチェンバロで演奏した方が同じ土俵になるのではないか、という気がします。グランド・ピアノによるバッハ演奏においては、結局ピアノの音について考えることになる。それが、アルゲリッチやホロヴィッツのバッハ演奏をきいたあとに、わたしにはつよく感ぜられるのです。
Posted by コクマルガラス at 2009年12月13日 12:29