2010年02月21日

472~480 ヴェルディ


472 ヴェルディ 歌劇序曲集

 音楽之友社がなぜ『名曲名盤500』においてこの曲を選んだのか、わたしにはよくわからない。ヴェルディの歌劇の序曲はオペラ全曲できけばよいというのがわたしの感覚だからであるが、まあそんな難しいことは言わずカラヤン/BPO(1975年。グラモフォン)の盤でカラヤンの見事なリズム感を楽しもう。


473 ヴェルディ 歌劇「アイ-ダ」

 わたしとしてはラダメスの「清きアイ-ダ」の歌唱はドミンゴの声でききたいところだが、ドミンゴが歌っているのはアバド/ミラノ・スカラ座の盤(1981年。グラモフォン)においてである。たしかにその盤も名盤ではあるのだが、やはりカラヤン/VPOの盤(1979年。EMI)の壮大な表現(特に群衆シ-ンでのウィ-ン国立歌劇場合唱団の凄さ!)には一歩を譲る。カラヤン盤でラダメスを歌っているのはカレ-ラスで、ちょっと物足りないのは事実だがむろん標準はクリアしている。まあ仕方がない。「清きアイ-ダ」は「ドミンゴ・オペラ・アリア集」できくことにしよう。


474 ヴェルディ 歌劇「オテロ」

 世評がたかいのはカラヤン/VPO(1961年。ロンドン)だが、デル・モナコの歌唱がいまとなってはすこし古めかしい。それと第2幕の「イア-ゴの信条」から終盤のオテロとイア-ゴの二重唱にかけてのイア-ゴがカラヤン盤のプロッティでは力不足だ。そこを完全にクリアしているのがセラフィン/ロ-マ国立歌劇場o.の盤(1960年。RCA)である(オテロはヴィッカ-ズ、イア-ゴはゴッビだ)。わたしにはこの盤に接するまでセラフィンの本当の凄さがわからなかった。この盤の冒頭の「嵐の場面」におけるオ-ケストラと合唱の強靱さはどうであろう。


475 ヴェルディ 歌劇「仮面舞踏会」

 アバド/スカラ座(1979、80年。グラモフォン)がトップ。ドミンゴも好調である。


476 ヴェルディ 歌劇「椿姫」

 このオペラについてはわたしは充分に満足できる盤をまだ所有していない。クライバ-盤はコトルバスが悪すぎるし、カラスのジュリ-ニ盤は音が悪い。セラフィン盤もいまひとつだ。中古ビデオでショルティ/コヴェントガ-デン国立歌劇場o.の演奏をきいたが期待はずれ。ネトレプコがVPOをバックに歌った盤にもさして感動しなかった。いままでわたしがきいたヴィオレッタのアリアの中のベストは映画「仮面の中のアリア」で主人公女優の口パクに「アテて」いる歌手の歌であった。苦労して海外盤でサウンドトラックと称するCDをもとめたが、映画の中での歌とは異なっていた。いったい何という歌い手なのであろうか。


477 ヴェルディ 歌劇「トロヴァト-レ」

 「見よ、恐ろしい炎を」だけで言うなら(なんとも乱暴なチョイスだが)ロンドン盤でのパヴァロッティが悪趣味のかぎりで(オ-ケストラが最後の音を鳴らしおわる所までC音を延ばしている)ベスト。1969年にゾフィエンザ-ルで録音とクレジットされているが、複数の指揮者とオ-ケストラが演奏しているので定かでない。このアリアを振っている指揮者はレッシ-ニョで、オケはウィ-ン歌劇場管弦楽団という怪しげな団体だ。このアリアの途中でパヴァロッティの他に歌っている歌手がふたりいて、盤によってはギルディス・フロッスマンというソプラノとペ-タ-・バイリ-というテノ-ルであるとクレジットされているが、これも盤によってクレジットが変わるといういいかげんさ。所要時間は10分10秒くらいだが、それも「見よ、恐ろしい火を」の前に「ああ、あなたこそ私の恋人」が歌われている場合のト-タル計時である。オペラのアリア集については1969年になってもこんな表記がまかり通っていたのだ(いまでもそうかもしれない)。
 全曲ではセラフィン盤の評価がたかいし、わたしも超一流の盤だと思う。しかし棚から取り出してきくことが多いのはジュリ-ニ/ロ-マ聖チェチ-リア音楽院o.(1984年。グラモフォン)のほうだ。理由のひとつは「録音がいい」からだが、ジュリ-ニが晩年を迎えてとるようになった「おそいテンポ」も選択理由である。


478 ヴェルディ 歌劇「ファルスタッフ」

 このへんになるとヴェルディのオペラはどんどん音の重なりかたが「うすく」なってくる。「アイ-ダ」みたいな壮絶な大合唱は出てこないから、ああいった超弩級のヴォリュ-ムを要求しても無駄である。個々の歌手の出来ばえがオペラ全体に大きく影響するわけで、登場人物がせいぜい10人の演劇みたいな感じになる。わたしとしてはジュリ-ニ盤でのブルゾンよりはカラヤン盤でのタディのほうが好きであった。カラヤン/VPO(1980年。フィリップス)。


479 ヴェルディ 歌劇「リゴレット」

 このオペラはもう478で述べた「ヴェルディ・オペラの少人数化」がさらにすすんで「主役ひとりでやっている」みたいな感じになってくる。バリトンが主役であることもプッチ-ニなどにはみられない現象である。プッチ-ニは結局「老い」とか「宿業」をオペラに持ち込むことはなかったが、ヴェルディはちがう。リゴレットをうたっているバリトンとしては、わたしはジュリ-ニ盤のカプッチルリをいちばん評価している。オ-ケストラは「ファルスタッフ」を振っているカラヤンのときと同じウィ-ン・フィルだが、なんという響きのちがいか。どちらも素晴らしいとしか言いようがないのだが、ジュリ-ニの棒の下で出したこの響きは、他の指揮者からは得られないという気がする。ジュリ-ニ/VPO、カプッチルリ(1979年。グラモフォン)。


480 ヴェルディ レクィエム

 この曲のCDをもとめる人の多くは「怒りの日」の迫力満点のオ-ケストラと合唱の響きを目的にしておられるのではなかろうか。わたしもそういう非音楽的というか下世話な趣味でいくつもCDを買った。中でいちばんピッタリくるのがアバド/スカラ座による演奏であった。しっかりとした指揮だし独唱者もリッチャレッリ、ドミンゴをはじめ揃っている(1979、80年。グラモフォン)。新旧あるカラヤン盤はどちらも好きになれなかった。



Posted by コクマルガラス at 13:17│Comments(74)TrackBack(0)

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