2009年12月09日

はじめに。


 この文章はわたしの作った「名曲名盤500」である。学生時代から現在までおよそ30年間、市井のクラシック愛好家としてLP、CDを蒐集してきた男として「このディスクなら間違いないと思います」という文章を記しておきたいという願望が強くなり、こうして原稿にむかっている。

 その昔、野村あらえびすは『名曲決定盤』において「十枚の蒐集にて可」という文章を編んだ。ここでの十枚とはSP十枚のことである。4万枚にのぼる蒐集を誇ったあらえびすも結局は「必須という盤は百枚より決して多くない」と述べている。収録時間において現在のCD1枚が当時のSP10枚にあたることを思うと隔世の感があるが、SP1枚の価格が現在の約10万円であったことを思うと1930年代の蒐集家の懸命さはひしひしと伝わってくる。

 それから約30年後、吉田秀和による『LP300選』が刊行される。執筆を依頼した新潮社の斎藤十一氏は最初『名曲決定盤』的な文章を希望したらしい。吉田氏はそれを断って西洋史的かつ音楽史的な曲の選択をおこない、巻末に各曲のLPを紹介した。それでも「吉田秀和氏の推薦したLP」ということで当時(昭和50年代はじめ)のクラシック愛好家はこぞって読んだものだ。

 昭和50年代がおわる頃、音楽之友社が『レコ-ド芸術』3か月にわたって名曲名盤を選ぶという編集をおこなった。それはその年末に冊子体で『名曲名盤500選』と銘打って発売された。そうした編集はそれまでも『レコ-ド芸術』でおこなわれていたが、その年の編集は、おのおのの曲の名盤を選ぶにあたってその曲を専門分野にしている7人の評論家に採点をさせ、かつその根拠となる評論を全部掲載したという点で画期的だった。わたしは、選曲についても世評の判断についてもその『名曲名盤500選』を下敷きにしてCD選びをしようと思う。もう25年にちかい年月が流れてはいるが、ほんとうに決定的な盤というものは10年や20年で次々に出るものではないし、SP時代から昭和50年の間を名盤として生き抜いてきたディスクは価値を失いはしない。

 わたしの選択は多くの場合において折衷的で中途半端なものかもしれない。しかしこれはこれからたくさんのディスクをきいてゆくわかい人に特に言っておきたいが、まずもって標準とするにたるディスクをきく、ということは大切なことだ。ときどき「自分は〈新世界〉を100何十枚持っている」といった発言をするひとがいるが、そういう行動はまずもっていろいろな分野の曲をおしなべて知ったうえで、やるべきだ。そういう「とりあえず1周」というコレクションだけでたぶん千枚をこえるのではないかというのがわたしの予測だ。
 わたしの所有するCDはだいたい4千枚。どの1枚にも物語があって、無意味なディスクは、ない。それでもやはり「この曲についてはこれがベストであろう」という感覚は持っている。このCDについてはあの評論家が褒めたから買い、あのCDはあの批評家が激賞したから買った。そのふたつのCDのあいだになんの有機的関係も無いことが、わたしにはくやしかった。

 そうした30年間を経て「わかったこと」を発信したい。それがわたしがこの文章を綴ってゆく理由です。ときとして批評家の悪口が名前入りで出てくるかもしれない。ときとして「こんな本があって興味深い」というサブテキスト提示があるかもしれない。よみすすんでいくうちに「なるほど、こういう視点のひとか」とわかってきて、面白いとおもわれたかたは、ついてきてください。


Posted by コクマルガラス at 12:11│Comments(0)TrackBack(0)

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