2009年12月10日
001~006 J・S・バッハ
001 バッハ 管弦楽組曲(全曲)BWV1066~9
わたしが学生時代をおくった1970年代後半は古楽器演奏によるのLPがブ-ムであった。ア-ノンク-ルをはじめとする演奏家(彼は最初はヴィオラ奏者として出た)がさまざまなルネサンス期からバロック期の楽曲を演奏し、そうしたLPがつぎつぎと発売された。しかしオリジナル楽器による演奏を愛するかたがたには申し訳ないが、わたしはその当時から古楽器による演奏や音色のクセに馴染めなかったし、いまでもその好みは変わっていない。古楽器演奏によるディスク購入は三巡目くらいからでよい、と思う。
管弦楽組曲の全4曲にはリヒタ-/ミュンヘン・バッハ管弦楽団による2枚組がある。1960年と61年の録音だからずいぶん古いが、音質は決して悪くない。第2番でフル-トを担当するのが若きニコレであることも大きな魅力だ。
002 バッハ ブランデンブルク協奏曲(全曲)BWV1046~51
この6曲についてもやはりリヒタ-/ミュンヘン・バッハ管弦楽団による1967年の演奏がまず挙がる。この2枚組には後述の「オ-ボエとヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 BWV1060a」がカップリングされていて徳用になっていた(現在もそうであるかどうかは不明)。これに並ぶ名演として1973年に日本コロムビア(レ-ベルはDENON)がエラ-トと共同制作したパイヤ-ル/パイヤ-ル室内管弦楽団による2枚もの(別売であった)が挙げられる。ピエルロ(ob)、オンニュ(fg)、アンドレ(tp)、ランパル(fl)らを始めとするフランスの管の大名人がずらりと揃って自由自在に吹くさまは圧巻。パイヤ-ルはその後1990年にもRCAに録音をしており、メンバ-は入れ替わるが愉悦的なアプロ-チは同じなので同等にお薦めできる(このような書き方をすると「なんだ、結局は1973年盤の方がいいということか」と勘繰られそうだが、わたしがこういう文章を書くときはまったくおなじ、と思っていただいてよい)。
003 バッハ チェンバロ協奏曲第1番ニ短調 BWV1052
この曲についてはピノック/イングリッシュ・コンソ-トを第一に推す。古楽器が好きでないと書いたではないかと言われそうだが、イングリッシュ・コンソ-トという楽団の演奏には古楽器特有のアクがすくなく、そのへんがウィ-ン・コンツェントゥス・ムジクスと違う。それにこの曲においてはチェンバロを弾き振りしているピノックがとても溌剌としていて気持ちがよい。ピノックはバッハの2台チェンバロ、3台チェンバロのための協奏曲も録音しており、それらも含めた3枚組が存在する。しかしバッハのチェンバロ協奏曲はチェンバロの台数が増えるごとにだんだん退屈なものになるから、一度でほれこんでしまわれた方以外は1番を収録した1枚を購入するだけでよいと思う。
004 バッハ 2台のチェンバロのための協奏曲第1番ハ短調
BWV1060
チェンバロ協奏曲第1番とおなじくピノック/イングリッシュ・コンソ-ト盤を推薦するが、この曲はバッハによって後述の「オ-ボエとヴァイオリンのための協奏曲ニ短調」に編曲されており(BWV1060a)、そちらの方がわたしには親しみがもてる。
005 バッハ ヴァイオリン協奏曲第1、2番
2つのヴァイオリンのための協奏曲 BWV1041~3
昔からシェリングがマリナ-と組んでフィリップスに録音した盤(1976)の評判が高いが、いかんせん「2つのvnのための協奏曲」の演奏が悪い(第二ヴァイオリンのアッソンが愚図愚図である)。そこでグリュミオ-がクレバ-スと組んで入れた盤を選ぶ。このディスクではフランコ-ベルギ-楽派のヴァイオリンによる透明感のあるアンサンブルがききものである。ゲレッツ指揮。ソリスト・ロマンドによる1978年の録音。このディスクでグリュミオ-の音色が気にいった方には彼のフォレなどもお薦めできる。
006 バッハ オ-ボエとヴァイオリンのための協奏曲ニ短調
BWV1060a
リヒタ-/ミュンヘン・バッハ管弦楽団による「ブランデンブルグ協奏曲」の2枚組に発売当初カップリングされていたのがこの曲であった。シャンのオ-ボエ、ビュヒナ-のヴァイオリンにリヒタ-/ミュンヘン・バッハo.がツケていて、いい演奏だった。録音は1963年。リヒタ-盤での演奏は硬度のたかい鉛筆でくっきりと描いた絵画のような「勁さ」があったが、これがクロッキ-のような柔らかな描線になっているのがヴィンシャマン(ob)とヘンデル(vn)によるドイツ・バッハ・ゾリステンの演奏(1962)だった。わたくしの個人的な好みからリヒタ-盤の「冷たい硬さ」を、とる。
ちょっと休憩
ここで、わたしの「ネタ本」をいくつか紹介しておこうと思う。
○ 吉田秀和著『吉田秀和全集』第1巻~第10巻 白水社
言うまでもなくクラシック音楽愛好家にとってのバイブル。現在は16巻を過ぎていると記憶するが、わたしが学生のとき図書館にあったのは1巻から10巻までだった。「わからない人は読んでくれなくともよい」式の、なんともとっつきにくい文章には泣かされたが、それでも「この全集を読破することは決して無意味でない」と思わせるだけの何かがあった。30年を経た現在でもわたしの価値観の基本にあるのは、この全集だ。
○ 柴田南雄著『レコ-ドつれづれぐさ』 音楽之友社
○ 柴田南雄著『私のレコ-ド談話室 演奏スタイル昔と今』 朝日新聞社
柴田南雄氏の文章もわたしには抜かすことのできないものだ。吉田秀和氏もそうだが大正生まれの評論家の文章には「選ばれた者」としての自負と責任と気骨がある。昭和10年代なかば頃まで東京大学に入学するというのは「勉学がしたいのだ」という発言であった。
○ ドナルド・キ-ン著『ドナルド・キ-ンの音盤風刺花伝』 音楽之友社
○ ドナルド・キ-ン著『音楽の出会いとよろこび 続 音盤風刺花伝』
音楽之友社
○ ドナルド・キ-ン著『ついさきの歌声は』 中央公論社
ドナルド・キ-ン氏は日本文学・日本文化史の教授であるが、同時に大戦前からのオペラ・ファンである。氏の文章は「日本的批評」というものに対する痛棒としてもきわめて雄弁で(翻訳をつとめている中矢一義氏の能力も素晴らしい)何度読んでも飽きるということがない。
○ 三浦淳一著『レコ-ドを聴くひととき ぱあと1』 東京創元社
○ 三浦淳一著『レコ-ドを聴くひととき ぱあと2』 東京創元社
三浦淳一氏も戦中からのつわものだが、氏はさまざまな演奏家をそのエピソ-ドから浮き彫りにしてみせた大家である。世界中の巨匠がその言行や失態によって活写されるさまはじつに粋で、楽しい。
○ アンドレ・プレヴィン編『素顔のオ-ケストラ』 日貿出版社
これはわたしにとって、オ-ケストラの楽団員の日常や本音を知るために特筆すべき一冊である。気にくわない指揮者に対する「いじめ」であるとか、楽器のメインテナンスにかかわる苦労話、はてはオ-ケストラ内での派閥抗争にいたるまで、この本を読めばわかる。翻訳を担当した別宮貞徳氏の力もすばらしい。
○ ヒュ-・ヴィッカ-ズ著『珍談奇談 オペラとっておきの話』
音楽之友社 ON BOOKS
○ ジョン・カルショ-著『ニ-ベルングの指環 録音プロデュ-サ-の手記』
音楽之友社
上記の2冊はわたしにオペラとはいかなるものかを教えてくれた。それも裏側からである。ジョン・カルショ-は言うまでもなくロンドン・デッカのワ-グナ-「指環」の全曲録音を成し遂げた人物であるが、複雑きわまる録音作業のなかでさまざまな歌手の入り乱れるさまは圧巻である。
Posted by コクマルガラス at 12:58│Comments(0)│TrackBack(0)