2009年12月15日

060~064 ベートーヴェン

060 ベ-ト-ヴェン 弦楽四重奏曲全集

 全集としてもとめるのであれば、アルバン・ベルクSQによる再現がもっとも好ましいだろう。「明るく美しく歌う」というこの四重奏団の特性がのびのびと発揮されてまことに美しい。わたしが学生の頃までベ-ト-ヴェンの弦楽四重奏曲のチョイスというと、なにやら恐ろしげな哲学的発言が飛び交って「初心者入るべからず」的な空気が充満していた。たしかに後期の作品などにはそうした発言を喚起するつくりになっているということもあるが、どんな曲にしたってそこには「美」があるはずだ。戦前のブッシュSQなどをさんざんきいたあげく「ちっとも美しくない」と思ったわたしのホンネである。

061 ベ-ト-ヴェン 初期弦楽四重奏曲集(第1~6番) Op.18

 ここではバリリSQによる演奏を推す。6番における明るく浮き浮きとした表現はバリリならではだ。ほんとうのところを言うと、弦楽四重奏曲全集でバリリSQもおもとめなさい、と書きたかったのである。わたしが学生時代にはウエストミンスタ-・レ-ベルに所属するバリリSQの演奏はなかなかきくことができなかった。いまはCD化された音源がきちんと存在する。ありがたいことだ。


062 ベ-ト-ヴェン 中期弦楽四重奏曲集(第7~11番)
                        Op.59、74、95
 この期間の作品の再現としてはジュリア-ドSQの1964年から1970年にかけての演奏(ソニ-クラシカル)が面白い。メンバ-の入れ換えと第1ヴァイオリンのロバ-ト・マンの音楽的変化によって四重奏団の表現が1970年を境にガラリと変わるところがききもの。ベ-ト-ヴェンが何も表情指定をしていない部分を「眉ひとつ動かさずにひいてしまう」(吉田秀和氏の表現である)4人の演奏は1960年代において「これは新即物主義であるか否か」という議論を醸したものだ。


063 ベ-ト-ヴェン 後期弦楽四重奏曲集(第12~16番、大フ-ガ)
                     Op.127、130~3、135
 吉田秀和氏が著書『この1枚』でメロスSQをとりあげて賞賛しているのを読み、わたしも急いでディスクをもとめた。だがあまりにも硬いというか鋼鉄製というか、その突き刺さってくるような表現に、めげた。その再現に往年のブッシュSQに通じる「堅固な造形」があることはわかったが、いくらなんでも硬かった。同様の理由からラサ-ルSQ、ブダペストSQも選外となり、けっきょく初期とおなじくアルバン・ベルクSQとバリリSQを推すことに。


064 ベ-ト-ヴェン ピアノ三重奏曲第7番変ロ長調「大公」 Op.97

 よく音楽家などが「トリオならどなたとでもいたしますよ、カルテットはそうはいきませんけどね」と言う。つまりトリオというのはそれぞれの3人の個性のぶつかり合いであって「協奏」とはちょっとちがう。だから達者な3名が揃えばできてしまう、とも言える部分がある。だがわたしとしてはなるべく「協奏」に重点をおいた表現を、ききたい。そこでケンプ、シェリング、フルニエによる演奏(1969、1970。グラモフォン)を選ぶ。


ちょっと休憩。

 いろいろなディスクを推薦して、いざ市場には出ていて廉価かなとインタ-ネットで検索してみると意外に栄枯盛衰がある。バリリ弦楽四重奏団のベ-ト-ヴェンは全集でしか入手できないし、ベルリン・フィル八重奏団員のベ-ト-ヴェン:七重奏曲は廃盤のようだ。わたしの推薦を頼りにしている方がおられたらお腹立ちのことだろう。しかしそのあたりの感覚は以前に「コレクタ-になるなかれ」と書いたときと同じで、そうか、コクマルガラスの推薦したディスクはいま入手できないのだな、それなら世評がたかそうでやすいものを探しておこう、とお考えいただきたい。ムキになって執着めさるな。世の中、百人の聴き手がいれば百の名盤あり。たかがクラシック、である。



Posted by コクマルガラス at 12:53│Comments(0)TrackBack(0)

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