2010年01月04日

206~208 グリーグ


206 グリ-グ 劇音楽「ペ-ル・ギュント」(組曲を含む) Op.23

 グリ-グは総じてカラヤン/BPOがうまい。北国の寒色系の音楽とBPOの研ぎ澄まされた音がうまく合うのだ(このことはニ-ルセンやシベリウスにも言える)。1971年の録音と1982年の録音がある(どちらも組曲。グラモフォン)が、わたしは1971年の録音をとりたい。BPO全盛期の音がきける。「ソルヴェイグの歌(正確にはソルヴェ-イ-の歌)」などがききたい-つまり全曲版を望む-のであれば、オ-マンディ盤(フィラデルフィアo.1972年。RCA)や・ワ-ルト盤(サンフランシスコso.1982、83年。フィリップス)がある。


207 グリ-グ ホルベルク組曲 Op.40

 マリナ-かカラヤンか、という選択になる。マリナ-/アカデミ-室内o.による1969年のロンドン盤はその清楚な美しさで、カラヤン/BPOの1982年のグラモフォン盤はそのスケ-ルの大きな華麗さできわだっている。まったく反対のアプロ-チなのだが、どちらも弦の美しさが出色である。


208 グリ-グ ピアノ協奏曲イ短調 Op.16

 シュ-マンの影響が明らかな曲だ(シュ-マンのピアノ協奏曲はサン=サ-ンスのチェロ協奏曲にも影響を与えている。あの冒頭の旋律はそれだけ魅力的であったわけだ)。あまり技巧を凝らさずに弾いてほしい気がする。リヒテル、マタチッチ/モンテ・カルロ国立歌劇場o.の1974年の演奏(EMI)が「巨大な迫力」できかせる。そういう豪壮な演奏は好きでないという方にはカ-ゾン、フィエルスタ-ト/LSO(1959年。デッカ)の清らかな演奏を推す。ルプ-盤はいささか考えすぎの傾向があってわたしは好きになれなかった。

  

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2010年01月03日

200~205 フランク~グルック


200 フランク 交響曲ニ短調

 あんまり面白くない曲である。フランクという作曲家は曲の規模が大きくなるほどつまらなくなる。この「交響曲」にしてもその「循環形式」とかいうやつが目玉らしいが、何度きいても「凡庸なふしだな」と思う。なんとなくサン=サ-ンスの交響曲第3番に似ていると思うのは偏見であろうか。カラヤン/パリo.(1969年。EMI)が残した録音(これはカラヤンとパリ管弦楽団がさっぱり合っていない点で面白い)か、あるいはマルティノン/フランス放送o.の録音(1968年。エラ-ト)のどちらかであろう。どちらかが廃盤の可能性があるのでふたつ挙げた。


201 フランク 交響的変奏曲

 これもつまらない曲だ。カサドシュがオ-マンディ/フィラデルフィアo.と演奏した1959年のソニ-盤がまあまあの出来。カップリングがダンディの「フランスの山人の歌による交響曲」なのが買いの理由。廃盤ならば無理にもとめることもない。


202 フランク ヴァイオリン・ソナタ イ長調

 フォレのヴァイオリン・ソナタとカップリングされることが多い。195で挙げたグリュミオ-盤がいい。1978年の録音でピアノはシェベック(フィリップス)。わたしは透明感のある再現を好むので、ほかにダンチョフスカとツィマ-マンが組んだ1980年のグラモフォン盤も挙げておく。こちらはシマノフスキの「神話」とのカップリングになっており、名演だ。


203 ガ-シュイン パリのアメリカ人

 この曲と「ラプソディ・イン・ブル-」はしばしばカップリングされる。バ-ンスタイン/NYPの演奏(1958年。ソニ-)がいいだろう。ニュ-ヨ-ク・フィルハ-モニックに就任して間もない頃のバ-ンスタインの勢いのある指揮がいい。


204 ガ-シュイン ラプソディ・イン・ブル-

 バ-ンスタイン/コロンビアso.の1959年盤(ソニ-)が「パリのアメリカ人」とのカップリングで楽しめる。何か権利上の問題でもあるのか、コロンビア交響楽団というオ-ケストラ名になっているが、これはたぶんNYPのことであろう。それとももしかしたらLAPOだろうか(ワルタ-がモ-ツァルトの交響曲を録音した際のコロンビア交響楽団というのは、モノ-ラル期はNYPでステレオ期はLAPOが実体であった)。


205 グルック オルフェオとエウリディ-チェ

 この曲もわたしには「長いなあ」という気分になる曲(2枚組)である。あまり抑揚のない旋律が(そりゃまあグルックであって、ヴェルディではないのだからそうなのだが)いつまでも続くので閉口した。美しい演奏としてはム-ティ/フィルハ-モニアo.盤(1981年。EMI)と、それからリヒタ-/ミュンヘン・バッハo.盤(1967年。グラモフォン)がある。ム-ティ盤ではオルフェオをバルツァ(A)が歌い、リヒタ-盤ではF.=ディ-スカウ(Br)が歌っている。そのあたりが個々の評価を分けるだろう。

  

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2010年01月02日

195~199 フォレ


195 フォレ ヴァオイリン・ソナタ第1番イ長調 Op.13

 まずは王道、フランコ-ベルギ-楽派の継承者グリュミオ-の演奏が素晴らしい。グリュミオ-は2度録音しているようだがハイデュと組んだ1962年盤、クロスリ-と組んだ1977年盤、いずれも傑出している(どちらもフィリップス)。フランクのヴァイオリン・ソナタとカップリングされることが多いが、グリュミオ-はフランクもうまいのでためらうことなくお薦めできる。往年の決定盤であるティボ-とコルト-のディスクも演奏そのものはいいが、1927年の録音だということを肝に銘じて聴くべし。


196 フォレ チェロ・ソナタ第1番ニ短調 Op.109

 ネタ本ではトルトゥリエの新旧両盤(1962年のユボ-とのエラ-ト盤、1974年のハイドシェックとのEMI盤)の評価がたかいが、どっちも買ってはいけない。トルトゥリエという人はチェロが達者とは言えず、腹芸みたいなものできかせる人だ。そのへんがフォレに合うという誤解を生んだようだが、どちらの盤も推薦に値しない。特にEMI盤のハイドシェックの悪乗りぶりは、ひどいの一語。
 ロデオンとコラ-ルの演奏がいい。若々しい感受性と華やぎがあってフォレにうってつけである。1977年。EMI。


197 フォレ 夜想曲(ノクテュルヌ)全曲

 194で述べたことの延長のような形でコラ-ルの全曲(1973年。EMI)とドワイヤンの全曲(1970~72年。エラ-ト)がある。それぞれの傾向も室内楽とまったく同じだ。わたしはコラ-ル派だが、ドワイヤンの演奏もいい。ハイドシェク? ああ、きらいですね。やかましくて。崩れてて。


198 フォレ レクィエム Op.48

 まずもってコルボ盤(1972年。エラ-ト)。CDが出始めた頃なかなかCD化しないので待ち遠しかったことを覚えている。コルボの合唱を振る能力はすごいものだ。すごいと言ってもオペラティックに大きな声を出すことではなく、各声部を透明感ゆたかに溶け合わせる能力のすごさである。静かで穏やかなフォレの再現はこうした指揮者にこそふさわしい。クリュイタンスの新旧両盤について言えば、旧盤(サントュスタシュo.1952年。EMI)は合唱、独唱ともに非力で、しかも録音がひどく悪い。新盤(パリ音楽院o.1962年。EMI)は表現がいささか大きすぎて、フィッシャ-=ディ-スカウの独唱も目立ちすぎだ。


199 フォレ 歌曲集

 いろいろな曲があるので、わたしのパタ-ンとしてまず全集をあげておいてその後で各論にはいることにする。アメリングとスゼ-によるフォ-レ歌曲全集(1970、73、74年。EMI。4枚組。ピアノはボ-ルドウィン)が素晴らしい。歌曲集なのでやはり対訳がほしいところで、国内盤がもっとやすくならないものかと思う。さまざまな1枚ものでは昔から「戦前の歌手の方が魅力的だった」と言われる。パンゼラ(Br)、ヴァラン(S)、クロワザ(Ms)といった歌手が1930年代に録音したディスク(EMI)がそれで、たしかに香り高い歌唱を伝えるものではあるがなんとも録音が古い。フランス歌曲には戦前からファンが多かったのだなあ。もうすこし新しいところではモラ-ヌ(Br)がいるが、エラ-トの悪い癖で日本盤がなかなか出ない。やはり結論としてEMIの4枚組がベストであろう。


ちょっと休憩。

 こうしてフォレについていろいろ書いてきてから市場のCDはどんなものかとインタ-ネットで探してみると、やはりフランスものは販売経路が細いようである。パンゼラやヴァランといった往年の歌手はおろかモラ-ヌもなかなか声がきけないようだ。これがヴァイオリンやピアノなら「他にも演奏家はいるさ」という切り換えもきくが、声楽になると問題が人間の声だけに誰にも「聴き分け」ができるということが関係してまことに諦めがつきにくくなり、しまいには「ひとふしだけでも」ということで大冊ものを歌手の一声だけのためにもとめる、という乱暴なことになりがちである。そういうことは無意味だからおよしなさい、とわたしが言ったってこのわたしがそういうCDの蒐集をしてきたのだから説得力ゼロである。
 そういうときは「友達」が力になるものだ。いわゆる「もの集めサ-クル」というやつだ。昨今はネット社会とやらで30年前とは比較にならずコレクタ-ズ・アイテムが入手できるが、トモダチというのはやはり馬鹿にできない。お前がそれを持っているなら俺はこれを探す、という調子で分散所有をすることでずいぶん楽になる。貸し借りをして聴くことで無駄がはぶけるわけだ。LP時代に「レコ-ドの貸借」というのはなかなか勇気がいったが、CDならば安心である。ともに音楽の楽しみをわかつ胞輩がいるのといないのとで人生の豊かさはだいぶ違ってくるものだ。友人を大切にしましょう。

  

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2010年01月01日

190~194 ファリャ~フォレ


190 ファリャ バレエ「恋は魔術師」全曲

 フィルハ-モニア時代のジュリ-ニがうまい(PO.1961年。EMI)。とかくこの曲は原色的色彩でいろどられることが多いが、ジュリ-ニとロス・アンヘレスは非常にノ-ブルに歌ってきかせる。「それじゃ物足りないよ」と仰有るかたは、次の191「三角帽子」で原色的な解釈を挙げるので、そちらをどうぞ。


191 ファリャ バレエ「三角帽子」(全曲あるいは組曲)

 こちらの曲ではフリュ-ベック・デ・ブルゴス/PO、ロス・アンヘレスによる「お国もの」の演奏を(1965年。EMI)。ほとんどまったく同じ時期にふたりの指揮者によって両極の演奏をしてのけるフィルハ-モニアo.というオケはすごい。


192 ファリャ 交響的印象「スペインの庭の夜」

 ふたつ選ぶ。エレガントなピアノをきかせるラロ-チャ盤(フリュ-ベック・デ・ブルゴス/LPO。1983年。ロンドン)と郷土色を強調したソリア-ノ盤(アルヘンタ/スペイン国立o.。1957年。ロンドン)である。


193 フォレ 劇組曲「ペレアスとメリザンド」組曲 Op.80

 わたしにとっては第3曲「シシリエンヌ」を吹いているフル-ティストの音色によって評価が大きく別れる曲である。わたしの好みは寒色系の、ノイズのすくない音だ。いろいろきいた中ではプラッソン/トゥル-ズ・カピト-ルo.、シュタ-デの演奏(1979~81年。EMI)が、よかった。この盤ではふつうきかれない「メリザンドの歌」をシュタ-デの声できけるところもポイント。


194 フォレ ピアノ四重奏曲第1番ハ短調 Op.15

 たいそう美しい曲だ。この曲をふくむフォレさまざまな室内楽曲はクラシック音楽の世界でひときわ光を放っている。フォレの音楽がきらいだという人はあまりいないが、ここであげるいくつかの曲は格別に親しみやすく、その静謐な美ゆえにファンも多い。
 エラ-トから出ている選集と、EMIから出ている選集がいずれもレコ-ド・アカデミ-賞を受賞している。ユボ-のピアノを軸にしてガロワ=モンブランのヴァイオリン、ルキアンのヴィオラ、ナヴァラのチェロ、そしてヴィア・ノヴァSQと名前が並ぶエラ-ト盤は、その透き通った青と表現したい色調が美しい。対してコラ-ルのピアノをはじめデュメイのヴァイオリン、パレナンSQと揃ったEMI盤の表現は色で言えば淡い黄色であろう。甲乙つけがたいがわたしとしてはEMI盤の幸福感みなぎる演奏を、とる。ヴァイオリン・ソナタやチェロ・ソナタの出来がよい(と言うより、たしかエラ-ト盤にはこれらが入っていなかったように記憶する)のもEMI盤の強みだ。
 コラ-ル、デュメイ、パスキエ、ロデオン。1977年。EMI。

  

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