2010年01月14日
256~259 マーラー
256 マ-ラ- 歌曲集「子供の不思議な角笛」(全曲あるいは抜粋)
正直言ってわたしはこの曲と相性がわるい。マ-ラ-の歌曲であるなら「リュッケルト歌曲集」のほうがはるかに親しみがもてる。そんなわけで抜粋のセル/LSO盤(1968年。バリトンはフィッシャ-=ディ-スカウ。ソプラノはシュワルツコップ。EMI)を挙げておく。バ-ンスタインがNPOを振って管弦楽伴奏でいれた盤(1969年。ソニ-)もバ-ンスタインがピアノ伴奏をした盤(1968年。ソニ-)もきいたが(どちらもル-トヴィヒとベリ-の独唱である)、結局馴染めなかった。
257 マ-ラ- さすらう若人の歌
次項の「亡き児をしのぶ歌」ならびにその次の「リュッケルトによる5つの詩」と一緒のカップリングになった盤があり、それがすべてベスト・チョイスになるので第一に挙げる。「さすらう若人の歌」についてはフルトヴェングラ-がフィルハ-モニアo.を振って、フィッシャ-=ディ-スカウの歌った盤(1952年。EMI)である。セカンド・チョイスとしてはアンドレアス・シュミットが歌ってロペス=コボス/シンシナティ交響楽団が伴奏したもの(1991年。テラ-ク)を挙げる。この盤では「リュッケルトによる5つの詩」の中の第2曲「美しさゆえに愛するのなら」が削除されているが、いちばん重要度のひくい曲のクリティカル・カットであるから問題あるまい。
258 マ-ラ- 亡き児をしのぶ歌
257で挙げたフィッシャ-=ディ-スカウ盤がここでも1位。この曲ではケンペ/BPOがツケている(1955年。EMI)。1950年代のケンペの録音には案外すぐれたものがすくないが、歌手に触発されてかここでは素晴らしい演奏を見せる。第2位にシュミットの盤を挙げることも同じだ(シュミット盤では一貫してロペス=コボス/シンシナティ交響楽団がツケている)。
259 マ-ラ- リュッケルトによる5つの詩
257と258で挙げたフィッシャ-=ディ-スカウのEMI盤の最後にこの曲が収められている(1978年)。バレンボイムのピアノもよく意図を汲んでいるし、フィッシャ-=ディ-スカウの声も全盛期の最後半にあたる。管弦楽伴奏でききたいという方にはここでもシュミット盤をお薦めする(ロペス=コボス/シンシナティ交響楽団。1991年。テラ-ク)。
ちょっと休憩。
マ-ラ-の歌曲集のいくつか(「さすらう若人の歌」「亡き児をしのぶ歌」「リュッケルトによる5つの詩」)のすぐれたディスクを選ぶにあたって、なぜ女声によるものを対象にしなかったのか訝る方もおられよう。わたしの正直な意見を述べさせてもらえば、これらの曲は女性には無理だ。そのあまりの深刻さについてゆけるだけの歌唱をきかせる女性を、わたしはまだ知らないのである。こんな差別的な発言をする前にわたしが女声によるディスクをいろいろきいたことは言うまでもない。フェリア-、ベイカ-、ル-トヴィヒ等々。どれも、駄目であった。女性というのは生の歌はうたえても死の歌には向かないのではなかろうか。