2010年02月16日
429~433 スクリャービン~ショスタコーヴィチ
429 スクリャ-ビン 交響曲第4番「法悦の詩」
わたしは何度きいてもこの曲のよさがわからない。アバド/BSO(1971年。グラモフォン)を挙げておくが、誰がどのオ-ケストラを振っても大同小異であろう。
430 ショスタコ-ヴィチ 交響曲第5番ニ短調
ヴォルコフの著作が1980年代はじめに出て、1980年代いっぱいをもってソ連が崩壊するとこの曲の解釈は一変してしまった。ショスタコ-ヴィチが反体制の意図をこの曲の構造に隠したという「読み」はしかし、わたしにはいかにも勘繰りが過ぎるのではないかなあという気がする。保身のためにソ連讃歌を書いて、書いた通りに演奏されていた1970年代なかばまでの「そのまんま」の演奏のほうが、わたしにはわかりやすい。
そういう意味でバ-ンスタイン/NYPの1959年の演奏を、とる(ソニ-)。1979年の来日ライヴ盤はNYPのアンサンブルにガタがきているし、事情通にきいたところでは「全部別テイクで、ライヴ音源なのは拍手だけ」とのことである。
431 ショスタコ-ヴィチ 交響曲第9番変ホ長調
「軽い第九」ということで当局に叱られた曲である。ロジェストヴェンスキ-/ソヴィエト国立文化省so.(1983年。メロディア)。
432 ショスタコ-ヴィチ 交響曲第10番ホ短調
カラヤンが唯一録音したショスタコ-ヴィチの交響曲である。解釈については多くの西欧の指揮者とちがって、意外に融通のきかないゴツゴツしたつくりになっている(1981年。グラモフォン)。同じカラヤン/BPOの1966年の旧録音のほうがスマ-トなのが面白いといえば面白い。
433 ショスタコ-ヴィチ 交響曲第15番イ長調
ロジェストヴェンスキ-/ソヴィエト国立文化省so.(1983年。メロディア)の演奏がしっかりした造形になっている。いわゆる「ロシアもの」を得意とする東欧、あるいは元東欧の指揮者たち(コンドラシン、フェドセ-エフ、ムラヴィンスキ-など)の芸術的な才能についてわたしはかなり懐疑的である。ロジェストヴェンスキ-も「力ずくのゴリ押し」という点で同じ傾向だが、オ-ケストラを指揮棒で統御する技術はちゃんと持っているのでショスタコ-ヴィチの演奏を選ぶときはどうしてもロジェストヴェンスキ-になる。