2010年01月08日

226~229 ハイドン~ホルスト


226 ハイドン ピアノ・ソナタ第52番変ホ長調 Hob.ⅩⅥ-52

 モダン楽器できくのかオリジナル楽器できくのかで、わかれる。オリジナル楽器のポロンポロンという音色を愛する方にはビルソン(1982年。ノンサッチ)ということになるが、わたしはそうした「ヘタウマ」みたいな音がさほど好きではない。モダン楽器で正統派ならブレンデル(1985年。フィリップス)だがわたしには非正統派のグ-ルドのほうがはるかに面白かった(1981年。ソニ-)。


227 ハイドン オラトリオ「四季」 Hob.ⅩⅩⅠ-3

 228の「天地創造」とならんで、わたしはハイドンのオラトリオが好きでない。CD2枚となるとなんとも長い曲にきこえてしまう。「夏」から「秋」にかけての8本のホルンの名人芸がききたいのならカラヤン/BPOの抜粋がいいと思う(1972年。グラモフォン)。


228 ハイドン オラトリオ「天地創造」 Hob.ⅩⅩⅠ-2

 こうした長い曲の場合、カラヤン一流の「きかせ上手」はかえって裏目に出る。コッホ/ベルリン放送so.の「長いものは長いのだ。しっかりききなさい」というオモテ芸の方がいい(1974年。ドイッチェ・シャルプラッテン)。恐怖政治の東ドイツ下においてこういう素晴らしい演奏がなされていたという事実があることも知っておいたほうが面白い。


229 ホルスト 組曲「惑星」 Op.32、H.125

 だいたいこの文章じたい「惑星」はもうきいたという方むけに書いているので、こういう曲が出てくるのは変なのだがぼやいても仕方がない。映画「2001年宇宙の旅」でキュ-ブリック監督が使ったのはカラヤン/VPO盤(1961年。ロンドン)である。映画のサウンドトラックCDにはベ-ム/VPOとクレジットされている(そしてサウンドトラックCDに録音されているのは実際にベームの演奏である)が、それは版権の問題からの嘘実である-と聞いた。カラヤンよりもう一段「語り上手」なのがプレヴィン/ロンドンso.で(1974年。EMI)、リズム感覚の冴えが素晴らしい。すこしひねったところで富田勲のシンセサイザ-版(1976年。RCA-BMGビクタ-)などはいかがだろうか。故柴田南雄氏が絶賛した物件である。

  

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2010年01月07日

222~225 ハイドン


222 ハイドン チェロ協奏曲第2番ニ長調 Hob.Ⅶb-2

 これはヨ-ヨ-・マとガルシア/ECOの演奏(1979年。ソニ-)で決まり。手持ちのCDではボッケリ-ニのチェロ協奏曲とのカップリングでそちらもベスト。最近中古CD店を覗いた記憶ではさらにもう1曲カップリングが増えていたような気もする。こうした軽快で、あまりふくらみすぎない表現を必要とする曲ではヨ-ヨ-・マとイギリス室内o.という組み合わせは無敵である。


223 ハイドン トランペット協奏曲変ホ長調 Hob.Ⅶe-1

 この曲はモ-リス・アンドレが得意にしていて4回の録音がある。人気があつまるのはエラ-トに入れた2種(グシュルバウア-/バンベルクso.とパイヤ-ル/パイヤ-ル室内o.。いずれも録音年不詳だが、1960年から70年であろう)である。わたしはグシュルバウア-指揮の盤をもとめたが「なるほど、これだけアンドレの独壇場という感じの演奏ならばどこのオ-ケストラがツケても大差あるまい」と思った。一時期ジャズに興味を持ったことがあるという関連でウィントン・マルサリスの盤(レパ-ド/ナショナルpo.1982年。ソニ-)をきいたこともあるが、比較にならなかった。


224 ハイドン 弦楽四重奏曲第67番ニ長調「ひばり」
                 Op.64-5、Hob.Ⅲ-63

 ネタ本ではスメタナSQが一位と二位を独占しているが、わたしはスメタナSQの軟弱な旋律の歌わせ方にどうもついてゆけない。それならば三位のウィ-ン・コンツェルトハウスSQにするかと言えばこれも細くて神経質すぎる。アルバン・ベルクSQによる録音があればそれを選ぶのだが、ない。泣く泣くスメタナSQのEMI盤(1965年)を選ぶが、音楽というものは泣く泣く聴くものではないから「無理に聴くこともないです」と書いておく。ハイドンの弦楽四重奏曲はベ-ト-ヴェンのそれとちがって、晩年になって作風がずいぶん変わるということもないから225の第77番「皇帝」の収録された1枚だけで(これにはアルバン・ベルクSQの録音がある)良いとも言える。


225 ハイドン 弦楽四重奏曲第77番ハ長調「皇帝」
                 Op.76-3、Hob.Ⅲ-77

 224で書いたとおり、アルバン・ベルクSQによる演奏を挙げる。デビュ-から間もない頃-1973年-の録音(テルデック)と1993~94年の録音(EMI)のふたつがある。解釈そのものに差らしい差はないから、廃盤でない方を。

  

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2010年01月06日

215~221 ハイドン


215 ハイドン 交響曲第45番ヘ短調「告別」 Hob.Ⅰ-45

 ハイドンの90番より手前の交響曲はドラティ/フィルハ-モニア・フンガリカがいい演奏だ(1970、71年。ロンドン)。この組み合わせには全集もあるが、個人的にはまとまったセットものはヨッフム盤がいちばん良いと思う(217の交響曲第94番でそのことについては書く)ので、この曲は単売でよかろう。


216 ハイドン 交響曲第88番ト長調「V字」 Hob.Ⅰ-88

 しばしばウィ-ン・フィルを振ったバ-ンスタイン盤が良いと言われるが、バ-ンスタインもカラヤンも晩年にVPOを振るようになると音楽が肥満してしまってわたしは感心しない。NPOを振った1970年代はじめのバ-ンスタイン盤がよかったが、意外に入手困難らしい。ドラティ/フィルハ-モニア・フンガリカ(1971年。ロンドン)の盤を挙げよう。ベ-ムもワルタ-もダメですからご注意を。


217 ハイドン 交響曲第94番ト短調「驚愕」 Hob.Ⅰ-94

218 ハイドン 交響曲第100番ト長調「軍隊」 Hob.Ⅰ-100

219 ハイドン 交響曲第101番ニ長調「時計」 Hob.Ⅰ-101

220 ハイドン 交響曲第103番変ホ長調「太鼓連打」 Hob.Ⅰ-103

221 ハイドン 交響曲第104番ニ長調「ロンドン」 Hob.Ⅰ-104

 これらのザロモン・セット(交響曲第93番から104番の12曲をまとめてそのように呼ぶ。ロンドン・セット、と言うこともある)については決定盤が存在する。ヨッフム/LPOによる盤(1971~73年。グラモフォン)がそれだ。現在のところ国内盤は落ちているようだが外盤5枚組でもとめることができる。その5枚組のうちの1枚はヨッフムがバイエルン放送so.やベルリン・フィルを振った同じハイドンの別の演奏というボ-ナス・ディスクである(そのぶんの料金も払うのだからボ-ナスかどうかは疑問だがその1枚をきけばヨッフムという人がどこのオ-ケストラを振っても献身的な演奏を引き出すことのできる名指揮者であったことがわかる)。ヨッフム盤の他にどれだけのハイドン演奏をきいたかわからない(ザロモン・セットだけで数えても30~50枚くらいにはなると思う)が、いまだにヨッフムを凌ぐ指揮者にはお目にかかっていない。

 各論でヨッフム/LPO盤以外の面白いディスクを挙げておこう。ザロモン・セット全体でバ-ンスタイン/NYPがいいことは前にも述べた。1970年前後の録音でハイドンのきびきびしたリズムがうまくとらえられている。これに比して晩年(1980年代)にウィ-ン・フィルと組んで残した録音はだいぶ以上にグラマラスになっており、わたしの好みではない。
 交響曲第100番の「軍隊」ではクレンペラ-/ニュ-・フィルハ-モニアo.の録音が面白い(1965年。EMI)。まるで象の足取りをおもわせる演奏で20世紀後半においてすらすでに古いスタイルだが、そのずしんずしんとした拍節感は一聴の価値あり。そもそもクレンペラ-の演奏をきくということは「さて、これからいよいよクレンペラ-をきくぞ」という「チャンネルの切り換え」なしにはできないというかやってはいけない行為なのであって、それは程度の差こそあれ誰の演奏をきくときにもあるのだ。それがフルトヴェングラ-やクナッパ-ツブッシュ、クレンペラ-といった、きわめてアクの強い演奏家であるときはなおさらである。

 交響曲第103番「太鼓連打」と第104番「ロンドン」はいかなる経緯あってのことか知らないが、カラヤンが執着した曲である。1959年と63年にVPOを振って録音し、1970年代初めと80年代初めにそれぞれBPOを振って録音している。つまり三回録音にのぞんでいるわけだ。結論から申し上げると、全部ダメです。カラヤンがモ-ツァルトとシュ-ベルトを苦手にしていたことはもう語り尽くされたが、ハイドンについてもダメ指揮者であったとしか言いようがない。彼はたとえば「軽騎兵」序曲であるとかロッシ-ニの序曲であるとかいった演目を得意にしていた。どうもその視点からハイドンを演奏しようとしたフシがあるのだが、うまくいかなかったようである。

  

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2010年01月05日

209~214 ヘンデル


209 ヘンデル 王宮の花火の音楽(全曲あるいは組曲)

 パイヤ-ル/管楽アンサンブルによる1962年のエラ-ト盤が良い。いよいよヘンデルであるが、わたしの「古楽器嫌い」は前にも述べた。よって1980年前後にたいへんに流行した古楽器による演奏(つまりガ-ディナ-、ホグウッド、ア-ノンク-ルといった指揮者によるもの)はあまり選ばない。


210 ヘンデル 水上の音楽(全曲、組曲、抜粋) HWV348~350

 パイヤ-ル/パイヤ-ル室内o.が素晴らしい。1973年の録音。エラ-ト。ときどき「王宮の花火の音楽」とカップリングされて発売されることがあるから、そのときはすぐにおもとめください。おおむねパイヤ-ル/パイヤ-ル室内o.の演奏は再録音があってもスタイルや録音がほとんど変わらないから、よく販路の途切れるエラ-トでも「売っていたら録音年にこだわらずに買って間違いない」です。


211 ヘンデル 合奏協奏曲 Op.6(全曲)

 いまのところ決定盤がない。ピノック/イングリッシュ・コンサ-トによる1981~82年の録音(アルヒ-フ)ということになるが、モダン楽器による張りのある演奏はないものか。現在リヒタ-盤(1970年。アルヒ-フ)がそれだ、ということになってしまうが、わたしの感想ではいささか以上に硬い。


212 ヘンデル オルガン協奏曲(全曲)

 実のところわたしはピノック/イングリッシュ・コンサ-トによる録音(1982~83年。アルヒ-フ)しか持っていない。「バロックのオルガン協奏曲」という名前からサン=サ-ンスの「オルガン付き」みたいな連想をされがちだが、そういう好みできくといかにもスケ-ルが小さいということになってしまうからご用心を。どう言ったら説明になるかむずかしいが「四季」にオルガンのオブリガ-トがついたような曲です、ということになろうか。ピノック盤ではピノック自身と、プレストンがオルガンを受け持っており、なかなかうまい。


213 ヘンデル ヴァイオリン・ソナタ集

 作品1のみということになるがグリュミオ-、ヴェイロン=ラクロワのディスク(1966年。フィリップス)がたいそう素晴らしい。これはもしかしたら「グリュミオ-・ベスト10」に入る名盤かもしれないな、ときくたびに思う。


214 ヘンデル オラトリオ「メサイア」(全曲あるいは抜粋) HWV56

 「ハレルヤ・コ-ラス」1曲で有名な曲だが、それだけを楽しみにして全曲3枚組を買うと息切れする。そういう方には抜粋のほうがいいのだろうが、いずれいつかは全曲をもとめるとわかっているのなら全曲にするか、もしくはやめるべし。いまのところリヒタ-がロンドンpo.と組んだ1972、73年の録音(グラモフォン)が英語による歌唱でもありベストであろう。だがわたしが自分の好みできくのはビ-チャム/ロイヤルpo.の1959年盤(エラ-ト)。悪評高いグ-センス版を用いてたいへんに大きなスケ-ルで演奏されている。

  

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2010年01月04日

206~208 グリーグ


206 グリ-グ 劇音楽「ペ-ル・ギュント」(組曲を含む) Op.23

 グリ-グは総じてカラヤン/BPOがうまい。北国の寒色系の音楽とBPOの研ぎ澄まされた音がうまく合うのだ(このことはニ-ルセンやシベリウスにも言える)。1971年の録音と1982年の録音がある(どちらも組曲。グラモフォン)が、わたしは1971年の録音をとりたい。BPO全盛期の音がきける。「ソルヴェイグの歌(正確にはソルヴェ-イ-の歌)」などがききたい-つまり全曲版を望む-のであれば、オ-マンディ盤(フィラデルフィアo.1972年。RCA)や・ワ-ルト盤(サンフランシスコso.1982、83年。フィリップス)がある。


207 グリ-グ ホルベルク組曲 Op.40

 マリナ-かカラヤンか、という選択になる。マリナ-/アカデミ-室内o.による1969年のロンドン盤はその清楚な美しさで、カラヤン/BPOの1982年のグラモフォン盤はそのスケ-ルの大きな華麗さできわだっている。まったく反対のアプロ-チなのだが、どちらも弦の美しさが出色である。


208 グリ-グ ピアノ協奏曲イ短調 Op.16

 シュ-マンの影響が明らかな曲だ(シュ-マンのピアノ協奏曲はサン=サ-ンスのチェロ協奏曲にも影響を与えている。あの冒頭の旋律はそれだけ魅力的であったわけだ)。あまり技巧を凝らさずに弾いてほしい気がする。リヒテル、マタチッチ/モンテ・カルロ国立歌劇場o.の1974年の演奏(EMI)が「巨大な迫力」できかせる。そういう豪壮な演奏は好きでないという方にはカ-ゾン、フィエルスタ-ト/LSO(1959年。デッカ)の清らかな演奏を推す。ルプ-盤はいささか考えすぎの傾向があってわたしは好きになれなかった。

  

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2010年01月03日

200~205 フランク~グルック


200 フランク 交響曲ニ短調

 あんまり面白くない曲である。フランクという作曲家は曲の規模が大きくなるほどつまらなくなる。この「交響曲」にしてもその「循環形式」とかいうやつが目玉らしいが、何度きいても「凡庸なふしだな」と思う。なんとなくサン=サ-ンスの交響曲第3番に似ていると思うのは偏見であろうか。カラヤン/パリo.(1969年。EMI)が残した録音(これはカラヤンとパリ管弦楽団がさっぱり合っていない点で面白い)か、あるいはマルティノン/フランス放送o.の録音(1968年。エラ-ト)のどちらかであろう。どちらかが廃盤の可能性があるのでふたつ挙げた。


201 フランク 交響的変奏曲

 これもつまらない曲だ。カサドシュがオ-マンディ/フィラデルフィアo.と演奏した1959年のソニ-盤がまあまあの出来。カップリングがダンディの「フランスの山人の歌による交響曲」なのが買いの理由。廃盤ならば無理にもとめることもない。


202 フランク ヴァイオリン・ソナタ イ長調

 フォレのヴァイオリン・ソナタとカップリングされることが多い。195で挙げたグリュミオ-盤がいい。1978年の録音でピアノはシェベック(フィリップス)。わたしは透明感のある再現を好むので、ほかにダンチョフスカとツィマ-マンが組んだ1980年のグラモフォン盤も挙げておく。こちらはシマノフスキの「神話」とのカップリングになっており、名演だ。


203 ガ-シュイン パリのアメリカ人

 この曲と「ラプソディ・イン・ブル-」はしばしばカップリングされる。バ-ンスタイン/NYPの演奏(1958年。ソニ-)がいいだろう。ニュ-ヨ-ク・フィルハ-モニックに就任して間もない頃のバ-ンスタインの勢いのある指揮がいい。


204 ガ-シュイン ラプソディ・イン・ブル-

 バ-ンスタイン/コロンビアso.の1959年盤(ソニ-)が「パリのアメリカ人」とのカップリングで楽しめる。何か権利上の問題でもあるのか、コロンビア交響楽団というオ-ケストラ名になっているが、これはたぶんNYPのことであろう。それとももしかしたらLAPOだろうか(ワルタ-がモ-ツァルトの交響曲を録音した際のコロンビア交響楽団というのは、モノ-ラル期はNYPでステレオ期はLAPOが実体であった)。


205 グルック オルフェオとエウリディ-チェ

 この曲もわたしには「長いなあ」という気分になる曲(2枚組)である。あまり抑揚のない旋律が(そりゃまあグルックであって、ヴェルディではないのだからそうなのだが)いつまでも続くので閉口した。美しい演奏としてはム-ティ/フィルハ-モニアo.盤(1981年。EMI)と、それからリヒタ-/ミュンヘン・バッハo.盤(1967年。グラモフォン)がある。ム-ティ盤ではオルフェオをバルツァ(A)が歌い、リヒタ-盤ではF.=ディ-スカウ(Br)が歌っている。そのあたりが個々の評価を分けるだろう。

  

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2010年01月02日

195~199 フォレ


195 フォレ ヴァオイリン・ソナタ第1番イ長調 Op.13

 まずは王道、フランコ-ベルギ-楽派の継承者グリュミオ-の演奏が素晴らしい。グリュミオ-は2度録音しているようだがハイデュと組んだ1962年盤、クロスリ-と組んだ1977年盤、いずれも傑出している(どちらもフィリップス)。フランクのヴァイオリン・ソナタとカップリングされることが多いが、グリュミオ-はフランクもうまいのでためらうことなくお薦めできる。往年の決定盤であるティボ-とコルト-のディスクも演奏そのものはいいが、1927年の録音だということを肝に銘じて聴くべし。


196 フォレ チェロ・ソナタ第1番ニ短調 Op.109

 ネタ本ではトルトゥリエの新旧両盤(1962年のユボ-とのエラ-ト盤、1974年のハイドシェックとのEMI盤)の評価がたかいが、どっちも買ってはいけない。トルトゥリエという人はチェロが達者とは言えず、腹芸みたいなものできかせる人だ。そのへんがフォレに合うという誤解を生んだようだが、どちらの盤も推薦に値しない。特にEMI盤のハイドシェックの悪乗りぶりは、ひどいの一語。
 ロデオンとコラ-ルの演奏がいい。若々しい感受性と華やぎがあってフォレにうってつけである。1977年。EMI。


197 フォレ 夜想曲(ノクテュルヌ)全曲

 194で述べたことの延長のような形でコラ-ルの全曲(1973年。EMI)とドワイヤンの全曲(1970~72年。エラ-ト)がある。それぞれの傾向も室内楽とまったく同じだ。わたしはコラ-ル派だが、ドワイヤンの演奏もいい。ハイドシェク? ああ、きらいですね。やかましくて。崩れてて。


198 フォレ レクィエム Op.48

 まずもってコルボ盤(1972年。エラ-ト)。CDが出始めた頃なかなかCD化しないので待ち遠しかったことを覚えている。コルボの合唱を振る能力はすごいものだ。すごいと言ってもオペラティックに大きな声を出すことではなく、各声部を透明感ゆたかに溶け合わせる能力のすごさである。静かで穏やかなフォレの再現はこうした指揮者にこそふさわしい。クリュイタンスの新旧両盤について言えば、旧盤(サントュスタシュo.1952年。EMI)は合唱、独唱ともに非力で、しかも録音がひどく悪い。新盤(パリ音楽院o.1962年。EMI)は表現がいささか大きすぎて、フィッシャ-=ディ-スカウの独唱も目立ちすぎだ。


199 フォレ 歌曲集

 いろいろな曲があるので、わたしのパタ-ンとしてまず全集をあげておいてその後で各論にはいることにする。アメリングとスゼ-によるフォ-レ歌曲全集(1970、73、74年。EMI。4枚組。ピアノはボ-ルドウィン)が素晴らしい。歌曲集なのでやはり対訳がほしいところで、国内盤がもっとやすくならないものかと思う。さまざまな1枚ものでは昔から「戦前の歌手の方が魅力的だった」と言われる。パンゼラ(Br)、ヴァラン(S)、クロワザ(Ms)といった歌手が1930年代に録音したディスク(EMI)がそれで、たしかに香り高い歌唱を伝えるものではあるがなんとも録音が古い。フランス歌曲には戦前からファンが多かったのだなあ。もうすこし新しいところではモラ-ヌ(Br)がいるが、エラ-トの悪い癖で日本盤がなかなか出ない。やはり結論としてEMIの4枚組がベストであろう。


ちょっと休憩。

 こうしてフォレについていろいろ書いてきてから市場のCDはどんなものかとインタ-ネットで探してみると、やはりフランスものは販売経路が細いようである。パンゼラやヴァランといった往年の歌手はおろかモラ-ヌもなかなか声がきけないようだ。これがヴァイオリンやピアノなら「他にも演奏家はいるさ」という切り換えもきくが、声楽になると問題が人間の声だけに誰にも「聴き分け」ができるということが関係してまことに諦めがつきにくくなり、しまいには「ひとふしだけでも」ということで大冊ものを歌手の一声だけのためにもとめる、という乱暴なことになりがちである。そういうことは無意味だからおよしなさい、とわたしが言ったってこのわたしがそういうCDの蒐集をしてきたのだから説得力ゼロである。
 そういうときは「友達」が力になるものだ。いわゆる「もの集めサ-クル」というやつだ。昨今はネット社会とやらで30年前とは比較にならずコレクタ-ズ・アイテムが入手できるが、トモダチというのはやはり馬鹿にできない。お前がそれを持っているなら俺はこれを探す、という調子で分散所有をすることでずいぶん楽になる。貸し借りをして聴くことで無駄がはぶけるわけだ。LP時代に「レコ-ドの貸借」というのはなかなか勇気がいったが、CDならば安心である。ともに音楽の楽しみをわかつ胞輩がいるのといないのとで人生の豊かさはだいぶ違ってくるものだ。友人を大切にしましょう。

  

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2010年01月01日

190~194 ファリャ~フォレ


190 ファリャ バレエ「恋は魔術師」全曲

 フィルハ-モニア時代のジュリ-ニがうまい(PO.1961年。EMI)。とかくこの曲は原色的色彩でいろどられることが多いが、ジュリ-ニとロス・アンヘレスは非常にノ-ブルに歌ってきかせる。「それじゃ物足りないよ」と仰有るかたは、次の191「三角帽子」で原色的な解釈を挙げるので、そちらをどうぞ。


191 ファリャ バレエ「三角帽子」(全曲あるいは組曲)

 こちらの曲ではフリュ-ベック・デ・ブルゴス/PO、ロス・アンヘレスによる「お国もの」の演奏を(1965年。EMI)。ほとんどまったく同じ時期にふたりの指揮者によって両極の演奏をしてのけるフィルハ-モニアo.というオケはすごい。


192 ファリャ 交響的印象「スペインの庭の夜」

 ふたつ選ぶ。エレガントなピアノをきかせるラロ-チャ盤(フリュ-ベック・デ・ブルゴス/LPO。1983年。ロンドン)と郷土色を強調したソリア-ノ盤(アルヘンタ/スペイン国立o.。1957年。ロンドン)である。


193 フォレ 劇組曲「ペレアスとメリザンド」組曲 Op.80

 わたしにとっては第3曲「シシリエンヌ」を吹いているフル-ティストの音色によって評価が大きく別れる曲である。わたしの好みは寒色系の、ノイズのすくない音だ。いろいろきいた中ではプラッソン/トゥル-ズ・カピト-ルo.、シュタ-デの演奏(1979~81年。EMI)が、よかった。この盤ではふつうきかれない「メリザンドの歌」をシュタ-デの声できけるところもポイント。


194 フォレ ピアノ四重奏曲第1番ハ短調 Op.15

 たいそう美しい曲だ。この曲をふくむフォレさまざまな室内楽曲はクラシック音楽の世界でひときわ光を放っている。フォレの音楽がきらいだという人はあまりいないが、ここであげるいくつかの曲は格別に親しみやすく、その静謐な美ゆえにファンも多い。
 エラ-トから出ている選集と、EMIから出ている選集がいずれもレコ-ド・アカデミ-賞を受賞している。ユボ-のピアノを軸にしてガロワ=モンブランのヴァイオリン、ルキアンのヴィオラ、ナヴァラのチェロ、そしてヴィア・ノヴァSQと名前が並ぶエラ-ト盤は、その透き通った青と表現したい色調が美しい。対してコラ-ルのピアノをはじめデュメイのヴァイオリン、パレナンSQと揃ったEMI盤の表現は色で言えば淡い黄色であろう。甲乙つけがたいがわたしとしてはEMI盤の幸福感みなぎる演奏を、とる。ヴァイオリン・ソナタやチェロ・ソナタの出来がよい(と言うより、たしかエラ-ト盤にはこれらが入っていなかったように記憶する)のもEMI盤の強みだ。
 コラ-ル、デュメイ、パスキエ、ロデオン。1977年。EMI。

  

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2009年12月31日

184~189 ドヴォルザーク~エルガー


184 ドヴォルザ-ク スラヴ舞曲(全曲)

 この曲には決定盤が存在する。ク-ベリック/バイエルン放送so.がそれだ(1973~74年。グラモフォン)。セル/クリ-ヴランドo.がそれに続くがその組み合わせによる名人技はほかの曲で紹介するから、まずは次点だ。


185 ドヴォルザ-ク ヴァイオリン協奏曲イ短調 Op.53

 あまり面白くない曲でドヴォルザ-クの「ピアノ協奏曲」と似たような出来、というのがわたしの感想。パ-ルマンなどの音の美しいヴァイオリニストが挑戦して成果をあげている。お家芸の強みと言うべきか、ス-ク、アンチェル/チェコpo.(1960年。スプラフォン)が良かった。ス-クの新盤(ノイマン/チェコpo.1978年)も同様に良いけれど、オケにだいぶガタがきていたと記憶する。


186 ドヴォルザ-ク チェロ協奏曲ロ短調 Op.104

 これはもうロストロポ-ヴィチ、カラヤン/BPO(1968年。グラモフォン)を挙げないわけにはいかない。彼らの演奏はとてつもなく巨大であって「ドヴォルザ-クという作曲家は郷土色が大切で云々」という解釈をものの見事にはじきとばす。ここでのベルリン・フィルは最後の最後の部分でコルネットの音譜をひとつ変えている。それが原典なのか、それともカラヤンの指示による改変なのか、いまだにわからずにいるがいつか解明したいものだ(ベルリン・フィルはマゼ-ルの指揮でヨ-ヨ-・マと同じ曲を録音したとき-1986年-にも同じ改変で演奏している)。


187 ドヴォルザ-ク ピアノ五重奏曲イ長調 Op.81

 これもわたしにはあまりうまくきけない曲だ。教科書どおりフィルクスニ-、ジュリア-ドSQの演奏(1975年。ソニ-)を挙げておく。いろいろきいたのだが、他の盤にも(スメタナSQ他)あまり感動しなかったので仕方がない。


188 ドヴォルザ-ク 弦楽四重奏曲第12番ヘ長調「アメリカ」 Op.96

 どのSQでもいいや、と言いたいくらいに人気がある。ヴィヴァルディの「四季」とおなじで実際どれでもいいですと言いそうになるが、それではまるで子供であるからスメタナSQによるライヴ録音(1980年。デノン)を挙げておく。

189 エルガ- チェロ協奏曲ホ短調 Op.85

 この曲になると必ず登場するのがデュ・プレによる新旧の2枚だが、わたしは何故か彼女の出す音が好きになれない。カラスの声とおなじでどこかしら「濁り」というか「生臭さ」があるように思う。そんなわけでヨ-ヨ-・マ、プレヴィン/LSO(1984年。ソニ-)の盤をあげる。ヨ-ヨ-・マの明るい音がこの曲の憂愁とうまい具合にマッチしている。

  

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2009年12月30日

178~183 ドニゼッティ~ドヴォルザーク


178 ドニゼッティ 歌劇「愛の妙薬」全曲

 これはネモリ-ノを歌うテノ-ルで決まる曲だ。モリナ-リ=プラデルリであるとかセラフィンであるとかの指揮者がベストに推されているが、どれも録音がわるい。ドミンゴでききたい方にはプリッチャ-ド/コヴェントガ-デン王立歌劇場o.の1977年のディスクを、パヴァロッティでききたい方にはボニング/ECOの1970年のディスクをお薦めするということになるが、わたしとしては「人知れぬ涙」だけきいておけばよい曲だ、という気もする。


179 ドニゼッティ 歌劇「ランメルモ-ルのルチア」全曲

 これも「ルチア狂乱の場(優しい囁きが)」の入ったグルベロ-ヴァの1枚もの「グルベロ-ヴァ:狂乱の場(フランス&イタリア/オペラ・アリア集」(グスタフ・ク-ン/ミュンヘン放送o.。EMI)を買っておけばわざわざ全曲をもとめる必要はないのではないかと思う。オペラ・ファンには、やはりカラスのディスクを薦めることになろう。6種とも7種とも言われる全曲がカラスだけで存在するが、「カラス名唱集」では不満という方には、セラフィン/フィレンツェ五月祭o.(1953年。EMI)かセラフィン/PO(1959年。EMI)のどちらか、ということになろう。個人的見解だが、1959年盤のほうはもはや音程があぶない(1953年盤にしてもあぶなっかしい場所がたくさんある)。


180 ドヴォルザ-ク 交響曲第7番ニ短調 Op.70

181 ドヴォルザ-ク 交響曲第8番ト長調 Op.88

182 ドヴォルザ-ク 交響曲第9番ホ短調「新世界より」 Op.95

 ドヴォルザ-クの後期交響曲(7、8、9番)に対するアプロ-チには、大きくわけて近代迫力派と民謡旋律派のふたつがあり、もうひとつ、そのふたつの折衷派がある。結論から言えばわたしが好きなのは最後の折衷派。カラヤン/BPOの演奏であるとかク-ベリック/BPO、セル/クリ-ヴランドo.の演奏はまずもって迫力派にはいる。民謡旋律派にはノイマン/チェコo.やケルテス/VPOが挙がり、折衷派にはいるのがジュリ-ニ/ロイヤル・コンセルトヘボウo.とC.デイヴィス/ACO。わたしは晩年のジュリ-ニ盤を7、8、9番各1枚ずつベストに推薦する(ソニ-クラシカル)。


183 ドヴォルザ-ク 弦楽セレナ-ド ホ長調 Op.22

 チャイコフスキ-の「弦楽セレナ-ド」とカップリングされることの多い曲。こういう「短めでハッタリが大事」という曲はカラヤン/BPOがとにかくうまい(1980年。グラモフォン)。

  

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2009年12月29日

173~177 ドビュッシー~ディーリアス


173 ドビュッシ- 組曲「子供の領分」 全曲

 「映像」とカップリングされているベネディッティ=ミケランジェリの演奏(1971年。グラモフォン)が素晴らしい。第1曲の「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」の音列のなんという美しさ! その驚きが最後の曲まで続くことうけあいである。


174 ドビュッシ- 版画

 ベロフの若いときの録音(EMI)がよかったが、いまあたってみたら国内盤は廃盤のようだ。それならばロジェであろうか(1977年。ロンドン)。フランソワやギ-ゼキングの偉大さはわかるが、いかんせん録音が悪い。


175 ドビュッシ- ベルガマスク組曲

 この曲についても「版画」と同じことがいえる。ベロフの録音は1979、80年のもの(EMI)で、「前奏曲集」を録音した頃にくらべると響きがすこし重厚になってきている。そのぶんわたしとしてはなおさらドビュッシ-にうってつけだ、という気がする。


176 ドビュッシ- 喜びの島

 ホロヴィッツの「カ-ネギ-・ホ-ル・コンサ-ト」の組物は2枚組だったり3枚組だったりするようだが、1966年のほうにこの曲が収録されている。一にも二にも響きが豪快で美しいからこのピアニストは厳しい状況を乗り越えて名人でありつづけた。それがこのセットものを聴けばはっきりわかる。ソニ-の「組物商戦」はこのディスクに関してはいまだに変化がないようだが、ほかの曲も大変な名演ぞろいなので、泣く泣くもとめることをお薦めする。なんとしても代金を用意できない方にはアシュケナ-ジ盤(1965年。ロンドン)を挙げておく。



177 ディ-リアス 管弦楽曲集

 昔からビ-チャム/RPO(1954~57年。EMI)の2枚の評判がたかい。わたしとしてもバルビロ-リ、マリナ-を聴いたうえで、録音のいささか悪いビ-チャム盤を推薦する。ディ-リアスの音楽にはメゾフォルテを超える音量が現れることがまず、ないことも理由のひとつだ。

  

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2009年12月28日

166~172 ドビュッシー


166 ドビュッシ- 牧神の午後への前奏曲

 同様にマルティノン盤を推薦する(フランス国立放送o.。1973年。EMI)が、もうひとつモントゥ-盤も挙げておこう(LSO。1961年。ロンドン)。彼がいかに指揮の達人であったかよくわかる。


167 ドビュッシ- 夜想曲

 同じくマルティノン盤(フランス国立放送o.。1973年。EMI)。


168 ドビュッシ- 弦楽四重奏曲ト短調 Op.10

 ラヴェルの弦楽四重奏曲とカップリングされることが多い、というよりほとんどだ。片方がうまければだいたいもう片方もうまい。わたしはラサ-ルSQ、アルバン・ベルクSQの両方のディスクをきいて「これといって面白くもないなぁ」という気でいたのだが、パレナンSQの演奏(1969年。EMI)に接して「なるほど。これがニュアンスに富んだ演奏というものか」と得心がいった。もし温故知新の精神に燃えているかたがおられたら、カペ-SQの演奏(1927年。EMI)もお薦めしておく。雑音の彼方からむせるように濃厚な世界が出現する。時代感覚的にも表現主義よりもうひとつ前の、ロマン主義の再現にちかい(細かいことを言えばロマン派そのものではないのだがこの場合、表現のアヤとして混同してもかまうまい)。


169 ドビュッシ- ヴァイオリン・ソナタ

 これはグリュミオ-、ハイデュの名演(1962年。フィリップス)をききたい。ティボ-とヌヴ-は録音が悪すぎる。新しい録音にデュメイがあるが、彼はフォレはいいのだがモ-ツァルトやドビュッシ-になると弾き崩しが耳につく。


170 ドビュッシ- フル-ト、ヴィオラとハ-プのためのソナタ

 どのようなフル-ティストが好きかで選択が変わってくる。わたしはランパルの鼻息まじりの音がさして好きではないのだが、パスキエ、ラスキ-ヌと組んだエラ-トの盤(1962年)はさすがにいい演奏だ。ゴ-ルウェイよりはパユできいてみたい気持ちがあるのだが、まだきいていない。どのような再現になるだろうか。


171 ドビュッシ- 映像第1集、第2集

 ベネディッティ=ミケランジェリの演奏がまさに冠絶している(1971年。グラモフォン)。カップリングされた「子供の領分」もベストなので選択に迷う必要がまったくない。


172 ドビュッシ- 前奏曲集第1巻、第2巻

 これもベネディッティ=ミケランジェリの魔法のように美しい音を堪能したい。彼が晩年に第2巻を録音したとき友人と「ミケランジェリももう永くないだろうけど、ドビュッシ-の前奏曲の録音を完結させてくれてよかったなあ」と話したことを覚えている(1978、88年。グラモフォン)。

  

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2009年12月27日

161~165 コープランド~ドビュッシー


161 コ-プランド バレエ「アパラチアの春」組曲(全曲を含む)

 「エル・サロン・メヒコ」とこの曲がこの作曲家のすべて。なんとなく「描写音楽」のみで残った人として、グロ-フェなどと立場が同じだ。バ-ンスタイン/NYPの録音(1961年。ソニ-)がいいと思う。十三楽器のためのオリジナル版の演奏もあるが、きいてさほど面白いものでもない。


162 コレルリ 合奏協奏曲第8番ト短調「クリスマス」 Op.6-8

 イ・ムジチ合奏団の演奏を第一に推す。第一ヴァイオリンがカルミレッリの1984年盤(フィリップス)で、ア-ヨの1962年盤では、ない。皆川達夫氏は「絶対に聴きたくない」と評しておられるが、わたしはカラヤン/BPOの演奏(1970年。ドイツ・グラモフォン)も好きである。そうかなあ。そんなに絶対的にちがうかなあ。


163 コレルリ ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ第12番ニ短調
                      「ラ・フォリア」Op.5-12

 ブリュッヘン、ビルスマ、レオンハルトによる盤が名高いが、わたしはリコ-ダ-版があまり好きでないのと、おまけに古楽器がきらいなのとで(これが書けるところがアマチュアの有り難いところだ)グリュミオ-とカスタニオ-ネの盤(1956年録音。フィリップス)を選ぶ。モノ-ラル録音だがききづらいというほどではなく、グリュミオ-の美音がたのしめる。


164 ドビュッシ- 管弦楽のための「映像」

 大雑把なところで言ってしまえば、ドビュッシ-の管弦楽曲の演奏がいいのはマルティノン/フランス国立放送o.で、ラヴェルの管弦楽曲がいいのはクリュイタンス/パリ音楽院o.である。わたしはマルティノンのドビュッシ-管弦楽曲集をセットもので買ってしまったが、そのことを後悔させるような凡演はひとつもなかった。現在のCD番号を見ても「海」「牧神の午後への前奏曲」「夜想曲」が1枚に収められているからこれはマルティノン盤だろう。ドビュッシ-の管弦楽曲を録音している指揮者には他にモントゥ-、アバド、バレンボイム、ブ-レ-ズなどがいるがアバドとバレンボイムは指揮がよくないしブ-レ-ズは(指揮の好き嫌いを別にしても)録音がわるい。
 この曲については「マルティノン盤の1枚に収まっていない」という面からプレヴィン/ロンドンso.の演奏(1979年。EMI)を推す。


165 ドビュッシ- 交響詩「海」

 きいていてもなんだか「いまどこをきいているんだろう」という気がしてくる曖昧模糊たる曲である。ドビュッシ-がそのように作曲したからそうきこえるのだが、彼のピアノ曲のほうがそのぼんやりした雰囲気はマッチしている。オ-ケストラの団員も初見がきくか、あるいはフランス人でないと合わせるのが大変だろう。164でも述べたようにマルティノン/フランス国立o.(1973年。EMI)を推す。

  

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2009年12月26日

147~160 ショパン


147 ショパン ピアノ協奏曲第1番ホ短調 Op.11

 この曲の演奏については(「も」、と言うべきか)わたしは豪快な演奏が好きで、ショパンを女学生的センチメンタリズムで包み込むやり方には賛成できない。簡単に言えばバリバリ弾いてほしいのだ。ワイセンベルク、スクロヴァチェフスキ/パリ音楽院o.(1967年。EMI)の演奏が一番気に入っている。


148 ショパン ピアノ協奏曲第2番ヘ短調 Op.21

 多くの場合147の「第1番」とカップリングされる。ワイセンベルク盤もそうだから何も申し上げることもない。この文章を書くにあたってこうした局面にぶつかることが結構あるが、批評家であったとすれば何か通好みのする文章をこういうときに書かないといけない。ああ職業批評家でなくてよかった。


149 ショパン ピアノ・ソナタ第2番変ロ長調「葬送」 Op.35

 アルゲリッチの盤もポリ-ニの盤も「ピアノ・ソナタ第2、3番」のカップリングである(LP時代とCD初発の時はアルゲリッチは2番と3番が各1枚ずつであった。LP時代に録音年の違いから別れたのをCDもひきずっていたのだ)。どちらをとってもよいが「練習曲」で必ずポリ-ニをとるからピアノ・ソナタではアルゲリッチを、とろう。2番は1974年の録音。グラモフォン。


150 ショパン ピアノ・ソナタ第3番ロ短調 Op.58

 149に続いてアルゲリッチ。1967年録音。グラモフォン。


151 ショパン 前奏曲(全曲)

 「練習曲」との対比、という意味で、前奏曲(プレリュ-ド)と練習曲(エチュ-ド)は同じ演奏家で選びたい。よってポリ-ニ盤。1974年。グラモフォン。


152 ショパン 練習曲(全曲)

 ポリ-ニの1972年の盤は、音楽界にセンセ-ションを巻き起こした。ポリ-ニを語るうえでこの盤抜きでは、どうしようもない。グラモフォン。


153 ショパン 幻想曲ヘ短調 Op.49

 どうも「この1枚」が選びにくい曲だ。決定盤が無いと言える。コルト-になるのかなあと思うが、わたしは録音の古い演奏がどうも好きでない。仕方なくアシュケナ-ジ盤を選ぶ(1978、79年。ロンドン)。ル-ビンシュタインの演奏ですか? わたしはル-ビンシュタインが好きでありません。


154 ショパン スケルツォ(全曲) Op.20、31、39、54

 この曲は「バラ-ド」とカップリングされることが多い。その点も考慮してアシュケナ-ジの盤を選ぶ。1964年の旧盤と1975~85年の新盤があるが、この2曲に関して言えばまったく同じ、と言ってよい。ロンドン。


155 ショパン 即興曲(全曲) Op.29、36、51、66

 この曲も決定盤が無い。とりあえずニュアンスのフランソワを選ぶ(EMI)。録音があまりよくないからこれも仕方なくル-ビンシュタインを次点に挙げておく(1964年録音。RCA)。


156 ショパン ポロネ-ズ(6曲以上)

 これはもう、ポリ-ニの独壇場だ。1975年。グラモフォン。


157 ショパン バラ-ド(全曲) OP.23、38、47、52

 154の「スケルツォ」とのカップリングという点からもアシュケナ-ジ盤が断然すぐれる。「バラ-ド」「スケルツォ」という演目についてはポリ-ニもアシュケナ-ジには及ばなかったと思う。旧盤、新盤のいずれもほとんどまったく同じ解釈だ。ロンドン。


158 ショパン マズルカ(全曲あるいは選集)

 ル-ビンシュタインが三度全曲録音していて、愛着があるらしい。二度目のモノ-ラル録音(1953年。RCA)が最も覇気がある。これにくらべると三度目の録音(1965、66年。RCA)は柴田南雄氏の言を借りると「田舎親爺の鼻唄のような」演奏になっている。どっちを選ぶのだと問われればどっちも選ばない。わたしはベネディッティ=ミケランジェリの演奏が好きだ(選集。1971年。グラモフォン)。


159 ショパン 夜想曲(全曲あるいは選集)

 これはわたしの中で決定盤の存在する曲だ。フ-・ツォンの演奏(1977年。ビクタ-)がそれだ。「瞑想的」という言葉がぴったりの演奏である。かなりルバ-トがかかるが、決して厭味にはならない。


160 ショパン ワルツ(14曲以上)

 コルト-(1934年)やリパッティ(1947年)もたしかに「時代の証言」にはちがいないが、ファ-スト・チョイスにするには録音が悪すぎる。まずもってアシュケナ-ジ盤(1970~85年。ロンドン)であろう。アシュケナ-ジは「ワルツ集」という企画では録音をしていないので、全集録音の中からの抜粋で成立したCDである。

  

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2009年12月25日

136~146  ブリテン~ショーソン


136 ブリテン 青少年のための管弦楽入門 Op.34

 中学校の音楽の教材などにしばしば用いられていた曲だが、いまどきの中学生はこうした「入門用」のクラシックをきくのだろうか。サン=サ-ンスの「動物の謝肉祭」などと違ってブリテンは一流の音楽家であるから、もっといろいろな曲をきいてほしい(下敷きにしている『名曲名盤500』でブリテンの曲がこれだけなのは残念)。
 語りが入るものとそうでないものがある。「別に解説してもらわずともどのセクションが鳴っているかは、わかるよ」と仰有るなかれ。プロコフィエフの「ピ-タ-と狼」と同じでいろいろな俳優が語りをやるのだ。古いところではマルケヴィチ盤で栗原小巻が入れたりしていたが、時代と共に差し換えられるから、いまはどうだろうか。
 こうした「視覚的な」音楽を振らせるとうまいのがプレヴィンだ(LSOとの1973年録音。EMI)。作曲者自身がLSOを振った盤(1963年。LSO。ロンドン)も良い演奏だが、ちょっと堅いかなという気もする。


137 ブルッフ ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調 Op.26

 曲そのものはたいしたものではないが、演奏効果があがるので技巧派のヴァイオリニストがよく取り上げる。ハイフェッツの録音(サ-ジェント/新LSO。1962年。RCA)が、わたしの持つハイフェッツの盤のなかではいちばん効果的にやっている。ハイフェッツというヴァイオリニストは結局この曲であるとか「ツィゴイネルワイゼン」を弾く演奏家である。


138~144 ブルックナ- 交響曲第3~第9番

 原本(『名曲名盤500』)では第3番から第9番までを1曲ずつ取り上げているが、わたしとしてはこの7曲についてはヴァント/北ドイツ放送o.による再現以外は考えられない(RCA)。ヴァントは晩年BPOに客演して4、5、7、8、9番の録音を残しており(RCA)、NDRとの録音が入手しにくい場合はまったく拮抗する内容なので補完されるとよい。録音、演奏のいずれをとってもヴァントの芸格におよぶ指揮者はいまのところ、いない。

 各論としてざっと「他の名盤」を挙げておく。交響曲ヘ短調(第00番とも呼ばれる)と交響曲第0番はインバル/フランクフルト放送so.(テルデック)。第1番はヨッフム/BPO(1965年。グラモフォン)。第2番はヨッフム/バイエルン放送so.(1966年。グラモフォン)。第3番はインバル/フランクフルト放送so.(1982年。テルデック)。第4~6番は自席無し。第7番はカラヤン/BPO(1975年。グラモフォン)。第8~9番は自席無し。


ちょっと休憩。

 ブルックナ-の交響曲のディスクを選んだ。ことブルックナ-となると、どうしてだか分からないがマニアックな人がおおい。わたしが学生のときはベ-ト-ヴェンについてトスカニ-ニがどうとか、フルトヴェングラ-がどうとかいう議論が激しかったが、それが現在ではブルックナ-に成り代わった感がある。
 ブルックナ-・マニアの方々はやけに版の問題に詳しかったり、反復がどうとか一部省略がどうとか、ずいぶんテクストにうるさい。まあそれは30年前にベ-ト-ヴェンについても語られた感なきにしもあらずで、たしかにどこをどう演奏すればどう違ってくるかを論ずることは悪いことではない。
 問題なのは、そのように演奏したから「精神性が」どうなるか、という論法がいまだに猖獗をきわめていることだ。30年前にも「トスカニ-ニの」「精神性」やら「フルヴェンの」「精神性」やら「クナの」「精神性」やらが喧しかった。
 「いのちのかかったクレシェンド効果」とか「したたりおちる精神性」とか「人工性がなくなって表現が結晶化されたのは上出来だ」とか言っているひとたちよ。鬼面ひとを驚かす表現は、やめましょう。カルト教団の教祖みたいな立場でものを言うのは、やめてください。そして精神とは何であるのか、もっとよく考えましょう。よく考えているのであればわかるように言ってください。「わかる者にはわかるのだ」式の論旨では困ります。以上。


145 カントル-ヴ オ-ベルニュの歌

 さまざまなソプラノ(声種はリリコが多い)が録音しているが、まずもってこの曲を名曲の殿堂入りさせたのはダヴラツの功績であろう(デ・ラ・ロ-シュ指揮。ヴァンガ-ド-キング)。「民謡の素朴さ」と「美声」の要素を両方併せ持つソプラノは、やはり彼女をおいて他にいない。


146 ショ-ソン 詩曲 Op.25

 美しい音のヴァイオリニストと管弦楽でききたい曲だ。わたしはグリュミオ-盤(ロザンタ-ル/コンセ-ル・ラムル-o.1964年。フィリップス)を第一にとる。世評ではスタ-ンを推す人も多いようだが、五味康祐ではないがわたしはスタ-ンのヴァイオリンのどこがいいのか、わからない。

  

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2009年12月20日

126~135 ブラームス


126 ブラ-ムス 弦楽四重奏曲第3番変ロ長調 Op.67

 この曲にも名盤がある。1976~77年にアルバン・ベルクSQがテルデックに録音した2枚組(ブラ-ムス:弦楽四重奏曲全3曲)がそれだ。アルバン・ベルクSQはのちにEMIにも同じ2枚組を録音していて、出来ばえは甲乙つけがたい(なにが不満で再録音したのか謎である。得意分野だ、ということか)ので廃盤などの問題がある場合、どちらでもよい。


127 ブラ-ムス ホルン三重奏曲変ホ長調 Op.40

 この曲にかぎらず言えることだが、ホルンのパ-トは変ホ調だと実音より短六度高く記譜されることになる。ブラ-ムスの音楽には旋律が六度の平行で動く場合がひじょうに多いので「ホルン・トリオ」の場合、しばしばヴァイオリン・パ-トの六度下をホルンが平行して動くことになりがちだ。で、記譜上どうなるかといえばヴァイオリンとホルンのパ-トは見かけ上、まったく同じになってしまう。
 「ブラ-ムスはこういう譜面づらを作ってみたかったばっかりに、この曲を変ホ長調で作曲したのじゃないか、と思ったほどだ」と柴田南雄氏は書いておられる。引用がながくなって失礼。ディスクは同じ1968年に録音された2枚が、よい。1枚はタックウェル、パ-ルマン、アシュケナ-ジ(グラモフォン)。もう1枚はザイフェルト、ドロルツ、エッシェンバッハ(これもグラモフォン)。同じ年に同じ会社から2枚出ていることにいま気づいて驚いているが、わたしとしてはピアノがアシュケナ-ジのほうが安定感があったように思う(エッシェンバッハという人のピアノはたいてい「非力だなあ」という印象をあたえる。損な人だ)。


128 ブラ-ムス ヴァイオリン・ソナタ第1~3番
                     Op.78、100、108

 デ・ヴィ-トがエドウィン・フィッシャ-と組んだ第1、3番が第2番(こちらはピアノがアプレア)とカップリングされて大喜びしたものだが(1954年、56年録音。EMI)、もしかすると廃盤の扱いかもしれない。であればシェリングがル-ビンシュタインと組んだ1960~61年の演奏を、とる(RCA)。


129 ブラ-ムス チェロ・ソナタ(全曲) Op.38、99

 この曲のあまりにネクラな旋律をわたしは好きになれないが、ブラ-ムスを心から愛する人にとっては大事な曲だ。ネタ本で推薦されているロストロポ-ヴィチ盤、フルニエ盤のいずれにも共感できず、ヨ-ヨ-・マとアックスによる盤(1991年。ソニ-)でなんとか落ち着いた。


130 ブラ-ムス クラリネット(またはヴィオラ)ソナタ(全曲)
                             Op.120

 ウラッハとデムスのウエストミンスタ-盤(1952年)がすばらしい演奏だ。古いモノラル録音だが、こうした曲の場合それがネックにはならないだろう。


131 ブラ-ムス ピアノ・ソナタ第3番ヘ短調 Op.5

 はじめてこの曲に接したとき、ブラ-ムスにしてはずいぶん名技性のつよい作品だな、と思った。作品番号が5であることも関係しているのだろう。アラウの1971年のフィリップス録音を推す。


132 ブラ-ムス ピアノ小品集

 ケンプが1963年にグラモフォンに残した録音には第1集と第2集がある。あとバックハウスやギレリスの録音もあるが、1960年にグ-ルドによってソニ-レ-ベルに録音された「間奏曲」をどうしても挙げなくてはいけない。吉田秀和氏も絶賛の1枚だが、初CD化に際して3枚組、7千500円にしたソニ-の商売は歴史にのこる悪徳商法であった(さすがにいまは1枚になっているだろう)。


133 ブラ-ムス ドイツ・レクィエム Op.45

 どちらかというと人気のない曲で、ベ-ト-ヴェンの「第九」からの転用が明確な最後の二重フ-ガ部分だけが比較の対象になることが多い。録音の良さから選ぶとハイティンク/VPOのフィリップス盤だろうか(1980年録音)。しかしわたしはこれまでハイティンクの指揮に心うごかされたことが一度もないききてである。どんな曲を振っても安全運転そのもので、さっぱり体温も血圧も上昇しない彼の指揮を褒める人の気が知れぬ。そこでちょっと録音は古いがクレンペラ-/フィルハ-モニアo.による1961年の盤(EMI)を推す。F.=ディ-スカウの歌唱が光っている。カラヤンは、この曲については苦手と言えるのではないか。


134 ブラ-ムス アルト・ラプソディ Op.53

 だいたいアルトを歌うのはル-トヴィヒで決定ということで、それぞれ彼女を冠したベ-ム/VPO盤(1976年。グラモフォン)とクレンペラ-/フィルハ-モニアo.盤(1962年。EMI)がしのぎを削ることになる。わたしはクレンペラ-という指揮者が好きだがさすがに録音の点で物足りないし、クレンペラ-盤は合唱団が非力ということも手伝って、ベ-ム盤を選ぶ。


135 ブラ-ムス 歌曲集

 まぁF.=ディ-スカウ盤を選んでおけば間違いない。CD初発においては十枚組という大冊であったが、いまは分売もあるのではないか(1972~82年。ドイツ・グラモフォン)。つねづね「結局揃えるのなら安価な全集を」ということを言っているわたしであるが、この曲目についてはブラ-ムス当人とて十枚組を買うことを要求はしまい。それにシュ-ベルトと違って「渋い」曲が多いから、好きなソプラノやバス・バリトンで1枚また1枚ともとめてゆかれることをお薦めする。わたしの個人的な好みではアメリングとプライが好きであった(ロッテ・レ-マンやキャスリ-ン・フェリア-、ホッタ-などの往年の名歌手にも尊敬を惜しまないが、いかんせん録音が悪い)。

  

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2009年12月19日

108~125 ボッケリーニ~ブラームス


108 ボッケリ-ニ チェロ協奏曲変ロ長調

 慣行版はグリュッツマッヒャ-の編曲がなされたもの。それをけしからんと言う気はいまのところわたしには、ないのでヨ-ヨ-・マの盤(ピンカス・ズ-カ-マン指揮/セント・ポ-ル室内管弦楽団。1982年。ソニ-)をとる。この盤はハイドンのチェロ協奏曲とカップリングされていて、それも大変すぐれている(のちのちハイドンの項でまた取り上げることになろう)。


109 ボロディン 交響曲第2番ロ短調

 マルティノン/ロンドンso.の演奏を推す(1960年。ロンドン)。まずはこれがよいと思う。


110 ブラ-ムス 交響曲全集

 この4曲についても音楽之友社の『名曲名盤500』の選考では上位から順にバ-ンスタイン、フルトヴェングラ-、カラヤンとなっている。みんな買った人間の感想を言えばこれもみんな「買うべからずの全集」であると言い切れる。
 まずショルティ/CSOのものを選ぶ(1978、79年。ロンドン)。ショルティの演奏はベ-ト-ヴェンで買ってもうじゅうぶんだという方にはヨッフム/BPOのものをお薦めする(1951、54、56年。ドイツ・グラモフォン)。この盤ではヨッフムの指揮もすぐれているし、フルトヴェングラ-時代のベルリン・フィルの音を良い録音できくことができる。


111 ブラ-ムス 交響曲第1番ハ短調 Op.68

 昔からミュンシュ/パリo.の録音(1967年。EMI)の評判がたかい。正直言ってしまうと、この曲は演奏効果の面でどの団体がやってもある程度の線まではいくのだ。ほかにフルトヴェングラ-/BPOの演奏(1952年ライヴ。ドイツ・グラモフォン)も録音が古い以外は迫力のある再現になっていた。


112 ブラ-ムス 交響曲第2番ニ長調 Op.73

 吉田秀和氏が全集の「世界の指揮者」のなかの「バルビロ-リ」の項でバルビロ-リ/VPOのブラ-ムス:交響曲第2番を酷評しておられた。滅多にない酷評盤なのだからきいておいて損はない。EMI。1966年の録音である。そういう斜に構えたききかたは二巡目からでいいとするならば、一巡目にはヨッフム/ロンドンpo.をとるのがいいだろうか(1976年。EMI)。わたしにとしてはこのヨッフム/LPO盤は全集でも推薦したかったのだが、1番の第一楽章で反復がなされる(ジュリ-ニ/LAPOも反復をおこなう)のが好きになれずにはずした。記憶ではヨッフム盤は2番と3番をカップリングしているから徳用といえる。


113 ブラ-ムス 交響曲第3番ヘ長調 Op.90

 このあたりでベ-ム/VPOの実力を堪能しておいてもいいのではないか。第3楽章のはこびが評価をわける曲だけに、そうした難しい再現をやるときのベ-ムの腕を知っておいて損はない。1975年録音。ドイツ・グラモフォン。


114 ブラ-ムス 交響曲第4番変ホ長調 Op.98

 ジュリ-ニ/CSOの1969年盤(EMI)を推す。シカゴ交響楽団を振っていた時期のジュリ-ニの再現には張り詰めた緊張感があって、すばらしい。二巡目あたりならばクライバ-/VPOの演奏(1980年。グラモフォン)もいいだろう。「ウィ-ン・フィルがフルトヴェングラ-やベ-ム以外の指揮者と真面目にやっている」という珍しい盤だ。


115 ブラ-ムス 大学祝典序曲 Op.80

 この曲と「悲劇的序曲」、それから「ハイドンの主題による変奏曲」はなんらかのかたちで交響曲のどれかとカップリングされていることが多い。そうしたカップリングによって「もう聴いた」とおっしゃる方はわざわざわたしの推す盤を繰り返しお聴きになる必要は、ない。わたしはたいていの場合「名曲を一流の演奏家が再現すればまずは名演になります」という持論の持ち主である。名盤さがしに血道をあげては、いけません。
 とりあえずこの曲の「祝典的な」雰囲気にたいへんふさわしいヨッフム/LPOのEMI盤(1976年録音)を挙げておこう。


116 ブラ-ムス ハイドンの主題による変奏曲 Op.56a

 まずもって挙げなくてはいけないのがセル/クリ-ヴランドo.の盤だ(1964年。ソニ-)。吉田秀和氏が著書において、このセルによる演奏を絶賛したことからこの曲の偉大さと難しさが注目されるようになったのだ。他の盤をあげるのは控えよう。「ハイドン・ヴァリエ-ション・フリ-ク」はわたしだけで沢山だ。


117 ブラ-ムス 悲劇的序曲 Op.81

 「大学祝典序曲」で言ったことがここでもいえる。いかにもブラ-ムスらしくて好きな曲だが重複してCDを増やしてまでもとめることはない。ちょっと変わった再現ということでクレンペラ-/フィルハ-モニアo.(1957年。EMI)の盤をあげておく。


118 ブラ-ムス ハンガリ-舞曲集(全曲あるいは選集)

 わたしはいまだに「ブラ-ムスのハンガリ-舞曲がドヴォルザ-クのスラヴ舞曲を喚起した」という順番がしっかり頭にはいらず、ゴチャゴチャな発言をして人を戸惑わせる癖がある。もともとはピアノ連弾用の曲であるが、管弦楽版のほうが効果があがる。
 アバド/VPOの1982年の全集がいいだろう(ドイツ・グラモフォン)。


119 ブラ-ムス ピアノ協奏曲第1番ニ短調 Op.15

 協奏曲第2番とくらべて、すこしだけとっつきの悪いところがある曲だ。個人的にブラ-ムスのピアノ協奏曲に関しては独墺系よりもソ連系の「巨大な」再現が好きなので、まずギレリスの演奏(ヨッフム/BPOとの共演。1972年。グラモフォン)を。


120 ブラ-ムス ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 Op.83

 この曲のディスクをいったい何枚きいただろう。わたしにとっては思い入れの強い曲だが、リヒテルがラインスドルフ/BSOと組んだ録音(1960年。RCA)がわたしにとってのホ-ム・ポジションである。吉田秀和氏に「重すぎてわたしの感覚ではない」と評された盤だが、ことこの演奏については「この剛腕に比肩するピアニストがほかにいますか」と居直ってしまうのだ。同様にリヒテルに先立って西側(やはりアメリカ)に出たギレリスの、ライナ-/CSOとの録音(1958年。RCA)も凄い。ギレリスは協奏曲第1番とおなじくヨッフム/BPOとも組んで録音しているが、よく引き合いにだされる「西側で演奏するようになって洗練され成熟した」という紋切り型の批評がウソであることがわかる。1972年の演奏でもギレリスはあくまで鉄腕ギレリスである。


121 ブラ-ムス ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.77

 パ-ルマン、ジュリ-ニ/CSOの演奏が素晴らしい(1976年。EMI)。次いで壮年期のオイストラフがクレンペラ-/フランス国立放送o.と組んだ録音(1960年。EMI)を挙げる。オイストラフは1969年にセル/クリ-ヴランドo.とも組んで録音しているが、セルの棒のためにこの曲がいかにもコンパクトになってしまって、オイストラフの大きな表現とはミスマッチ。


122 ブラ-ムス ヴァイオリンとチェロのための協奏曲イ短調 Op.102

 この曲はオイストラフ、ロストロポ-ヴィチにセル/クリ-ヴランドo.の組み合わせがいい(1969年。EMI)。現在のところそのディスクにはカラヤンBPOとオイストラフ、ロストロポ-ヴィチ、リヒテルが組んだベ-ト-ヴェンのトリプル・コンチェルト(三重協奏曲)ハ長調 Op.56がカップリングされていて、そっちが歴史にのこる「ケンカ・セッション」であったという楽屋話からも買っておいて損はしない。


123 ブラ-ムス 弦楽六重奏曲第1番変ロ長調 Op.18

 この曲については決定的な盤が、ない。『名曲名盤500』をネタ本にしていろいろもとめてみたが、どれも「これだ」というには不足した。三種類買ったなかで(アマデウスSQ盤、ベルリン・フィル八重奏団員盤、カザルスの1952年のソニ-盤)いちばん理想にちかいのはカザルス盤だが、録音がよくないし、やはり「近い」のであってベストの表現ではなかった。いま思い出したがメニュ-インのEMI盤(1963、64年録音)が案外良い出来だったと記憶する。


124 ブラ-ムス ピアノ五重奏曲ヘ短調 Op.34

 ポリ-ニの室内楽はめずらしいから、イタリアSQと組んだ演奏(1979年。グラモフォン)がいいだろう。ゼルキンが戦後にブダペストSQと組んだ演奏(1963。ソニ-)と戦前にブッシュSQと組んだ演奏(1937年。EMI)のふたつがよく引き合いに出されるが、わたしはゼルキンの室内楽があまり好きでない。新即物主義の典型的スタイルを楽しみたい方はおききになるといいだろうが、なんとも胆汁質な解釈ですぞ。


125 ブラ-ムス クラリネット五重奏曲ロ短調 Op.115

 いかにも「枯淡の晩年」といった曲だ。モ-ツァルトのクラリネット五重奏曲とカップリングされることの多い曲だが、その両方が充実している盤としては古いところではウラッハとウィ-ン・コンツェルトハウスSQによるウェストミンスタ-盤(1951年)、新しいところではプリンツがウィ-ン室内合奏団と組んだもの(オイロディスク-日本コロムビア。1979~80年)が挙げられよう。

  

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2009年12月18日

096~107 ベルク~ビゼー


096 ベルク ヴァイオリン協奏曲

 これはパ-ルマンと小沢/BSOが組んだ1978年の録音だろう(ドイツ・グラモフォン)。ベ-ト-ヴェンやブラ-ムスがあまり得意でない小沢もこうした曲ではうまい指揮をみせる。世評ではチョン・キョンファとショルティ/CSOが組んだ演奏も得点がたかいようだが、わたしは彼女のヒステリックな音色が苦手である。


097 ベルク 歌劇「ヴォツェック」全曲 Op.7

 やはりベ-ム盤(1965年。ベ-ム/ベルリン・ドイツ・オペラo.F.=ディ-スカウ他)であろう。ブ-レ-ズ盤やドホナ-ニ盤ではあじわいが、たりない。アバドがベルリン・フィルの監督になるすこし前(1983年あたりか)にミラノ・スカラ座を振ってマリ-をヒルデガルト・ベ-レンスが歌った盤があったが、それもなんとなくイメ-ジと違った。最近ではDVDで「見る」ほうがオペラ鑑賞の主流なのかもしれないが、わたしには馴染めない鑑賞法のようだ。


098 ベルリオ-ズ 幻想交響曲 Op.14

 初心者むけの曲だ。この曲だの「動物の謝肉祭」だのをいつまでもきいていてはクラシック愛好家としての熟成はおぼつかない。だいたいベルリオ-ズという人物そのものがサン=サ-ンスとおなじく「実用音楽」の作曲家である。これからのベルリオ-ズの名盤選にはあらかたスペシャリストとしてのミュンシュの名があがる。この曲もミュンシュ/パリo.(1967年。EMI)で充分だ。


099 ベルリオ-ズ 交響曲「イタリアのハロルド」 Op.16

 ミュンシュ/BSO。プリムロ-ズのヴィオラ。1958年録音。RCA。いろいろなヴィオラ奏者が起用されるが、結局プリムロ-ズが最も達者であった。


100 ベルリオ-ズ 劇的交響曲「ロメオとジュリエット」 Op.17

 ミュンシュ盤がいまひとつなのでマゼ-ル/VPOをとる(1972年。ロンドン)。


101 ベルリオ-ズ 劇的物語「ファウストの劫罰」全曲 Op.24

 ミュンシュ/BSO。1954年録音。RCA。


102 ベルリオ-ズ レクイエム Op.5

 ミュンシュ/バイエルン放送so.1967年録音。ドイツ・グラモフォン。


103 ベルリオ-ズ 歌曲集「夏の夜」 Op.7

 なんとなくカントル-ヴの「オ-ベルニュの歌」と似たところのある曲。歌っているソプラノまで似通ったラインナップになり、テ・カナワ、シュタ-デ、ノ-マンなどが歌っている。わたしはレジ-ナ・クレスパンがアンセルメ/スイス・ロマンドo.と組んだもの(1963年。ロンドン)が好きである。


104 ビゼ- 交響曲第1番ハ長調

 やっとベルリオ-ズから開放されてビゼ-だ。この曲はさして画期的な手法を誇るわけでもないのだが、そののびやかな旋律から愛される。どんな演奏でも許せてしまうようなところがあるが世評どおりビ-チャム盤を推す(フランス国立放送o.1959年。EMI)。


105 ビゼ- 劇組曲「アルルの女」第1、第2組曲

 LP時代から同じビゼ-の交響曲第1番とカップリングされることが多い。CDでもわたしの持っている廉価盤は、そうだ。そういう意味からもビ-チャム/ロイヤル・フィルの演奏(1956年。EMI)を推す。「メヌエット」で有名なフル-トの旋律が登場するが、その音もたいへん美しい(わたしは一般的にイギリスのフル-ティストの音が好きである)。


106 ビゼ- 歌劇「カルメン」 第1、第2組曲

 クリュイタンス盤が昔から世評もたかいし(パリ音楽院o.との1964年録音。EMI)「アルルの女」組曲とのカップリングということもあって徳用である。しかし「アルルの女はもうビ-チャム盤で持っているよ」という方にはオ-マンディ/フィラデフフィアo.の録音(1976年。RCA)をお薦めする。選曲もおおいし、こういうショウ・ピ-スを振らせるとオ-マンディはまことにうまい。


107 ビゼ- 歌劇「カルメン」全曲

 オペラという分野のディスクはことさらに「好みの演奏家」で選ぶものだ。このオペラについて言えばカルメン、ドン・ホセ、エスカミリオをそれぞれ歌っている歌手の好み、そして指揮者とオ-ケストラの好みだ。ドン・ホセで言えばドミンゴ(アバド盤)が好きだが、指揮者としてはカラヤンに軍配があがる。カラヤン/BPO。バルツァ、カレ-ラス、ヴァン・ダム。1982、83年録音。ドイツ・グラモフォン。「マリア・カラスのカルメン」は名唱集で「恋は野の鳥」をきけばじゅうぶんである。

  

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2009年12月17日

091~095 ベートーヴェン、ベルリーニ、ベルク


091 ベ-ト-ヴェン ディアベッリの主題による33の変奏曲ハ長調
                               Op.120

 この曲についてもグルダ盤を推す。というか、この曲のディスクについては「別に無理をして買うこともないでしょう」という気持ちが、つよい。それほど面白い曲ではないのだ。


092 ベ-ト-ヴェン 歌劇「フィデリオ」全曲  Op.72

 この曲もときどき「ベ-ト-ヴェンの凡作」と評されることのある曲だ。偉大な作曲家であるから小声で言われるけれどわたしもその評に賛成だ。バ-ンスタインとカラヤン、フルトヴェングラ-といった指揮者のディスクがあるが、わたしは1964年にマゼ-ルがウィ-ンpo.を振った演奏をあげる。1960年代のマゼ-ルの実力がよくわかる盤である。


093 ベ-ト-ヴェン ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)ニ長調 Op.123

 この曲については「巨大な曲を巨大にきかせる」クレンペラ-の録音を、とる。EMI録音。1965年。オケはニュ-・フィルハモニアo.である。吉田秀和氏はほぼ同時期に出たベ-ム盤とカラヤン盤を比較試聴してベ-ム盤を酷評していた。吉田氏はベ-ムの演奏がときどき気にくわないことがあるようで、モ-ツァルトの「レクイエム」でもベ-ムの新旧両盤に点が辛かった。つまり、バ-ンスタイン、ベ-ム、カラヤンのどの盤も決定的演奏とは認められていないのだ。


094 ベルリ-ニ 歌劇「ノルマ」全曲

 正直言って、わたしはあまりオペラの良いききてではない。あれも、これも買ったうえで言うのだからお許しいただきたい。この曲についても心から感動したことが、ない。なにか挙げるべきなのでカラスのセラフィン/スカラ座と組んだ新盤(1960年)が決定盤あつかいです、と書いておく。ついでに書いてしまえば、わたしはカラスのファンですら、ない。


095 ベルク 抒情組曲(弦楽四重奏版あるいは弦楽合奏版)

 これは美しい曲だ。アルバン・ベルクという作曲家を知るうえで、まずは弦楽合奏版でききたい。カラヤンの「新ウィ-ン楽派管弦楽曲集」という3枚組のディスク(1973年。ドイツ・グラモフォン)は、しばしば「カラヤンのベスト10」にも選ばれるディスクで、シェ-ンベルク、ベルク、ウェ-ベルンという3人の管弦楽曲を知るために必須である。弦楽四重奏版をききたい方にはラサ-ルSQ(1968、70年。グラモフォン)とアルバン・ベルクSQ(1973年。テレフンケン)が拮抗している。精緻のラサ-ルSQ、濃厚な歌のアルバン・ベルクSQと言えよう。

  

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2009年12月16日

065~090  ベートーヴェン


065 ベ-ト-ヴェン ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調「春」 Op.24

066 ベ-ト-ヴェン ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調「クロイツェル」
                                Op.47

 だいたい1枚のディスクに両方収録してあることの多い曲だ。どちらの曲にしてもさして演奏家を選ぶ作品ではない。だいたいパ-ルマンとアシュケナ-ジ(1973、74年録音。ドイツ・グラモフォン)の組み合わせか、オイストラフとオポ-リン(1962年録音。フィリップス)の組み合わせの二派にわかれる。前者がネアカにきっちり歌っていて、後者は大真面目で深刻だ。大昔(1930年代)にはフ-ベルマンとフリ-ドマンによる演奏が評価されていた。新即物主義にはいる以前の、表現主義の様式を知りたいと思われる方はご一聴あれ(録音はたいそう古い)。


067 ベ-ト-ヴェン チェロ・ソナタ第3番イ長調 Op.69

 この曲のディスクには昔からロストロポ-ヴィチとリヒテルのものが推奨されるが、わたしとしてはベ-ト-ヴェンのチェロ・ソナタという曲目はもっと溌剌とした再現がほしいと思う。その要求に見事こたえているのがヨ-ヨ・マとアックスによる盤だ(1983年。ソニ-)。


068 ベ-ト-ヴェン チェロ・ソナタ第5番ニ長調 Op.102-2

 067でのチェロ・ソナタ第3番とおなじことが言える。ヨ-ヨ-・マとアックスによる盤を推す(1983年。ソニ-)。
 これは余談だがヨ-ヨ-・マを言うときに「マ」と言うことができにくいのはなぜだろうか。馬友友だから「マ」で正しいわけだが、語感がわるいからであろうか。ペ・ヨンジュンやチェ・ジウも「ペ」とか「チェ」とは言わないようだ。


069~090
    ベ-ト-ヴェン ピアノ・ソナタ全集(第1~32番)

 わたしが下敷きにしている『名曲名盤500』では067がピアノ・ソナタ全集の名盤選びになっていて、その後14ペ-ジを割いて作品番号順に090まで選考がなされている。つまりピアノ・ソナタが21曲、吟味されている。これから書く文章のなかに「きいておいて面白い盤」がすこし登場するが、それを除けばわたしの考えとして「全集をいきなり買ったほうが理解がはやい」と思う。それがグルダがアマデオ・レ-ベルに残した全集(1967)である。どの曲ひとつをとっても、スタンダ-ドな意味ではこれがトップの座にすわることに異議のあるひとはすくないのではないか。有名な「三大ソナタ」のひとつであるソナタ第14番嬰ハ短調「月光」の第3楽章の演奏にしても「完全にひけていてかつ美しい」とおもわれるのは、わたしにはグルダ盤だけである。

 各論として「これは面白い」という盤を挙げるとすればグレン・グ-ルドのソナタ30番、31番、32番であろう(3曲まとめて1枚のディスクに入っている。1956年の録音だから「ゴルトベルク変奏曲」の録音の翌年である)。
 あとギレリス、ポリ-ニ、リヒテル、バックハウス、アシュケナ-ジといった名人の名がつらなるが、いろんな盤をつごう50枚くらいもとめた身として「グルダ盤の全集になさい」という気持ちは、かわらない。

  

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