2009年12月15日

060~064 ベートーヴェン

060 ベ-ト-ヴェン 弦楽四重奏曲全集

 全集としてもとめるのであれば、アルバン・ベルクSQによる再現がもっとも好ましいだろう。「明るく美しく歌う」というこの四重奏団の特性がのびのびと発揮されてまことに美しい。わたしが学生の頃までベ-ト-ヴェンの弦楽四重奏曲のチョイスというと、なにやら恐ろしげな哲学的発言が飛び交って「初心者入るべからず」的な空気が充満していた。たしかに後期の作品などにはそうした発言を喚起するつくりになっているということもあるが、どんな曲にしたってそこには「美」があるはずだ。戦前のブッシュSQなどをさんざんきいたあげく「ちっとも美しくない」と思ったわたしのホンネである。

061 ベ-ト-ヴェン 初期弦楽四重奏曲集(第1~6番) Op.18

 ここではバリリSQによる演奏を推す。6番における明るく浮き浮きとした表現はバリリならではだ。ほんとうのところを言うと、弦楽四重奏曲全集でバリリSQもおもとめなさい、と書きたかったのである。わたしが学生時代にはウエストミンスタ-・レ-ベルに所属するバリリSQの演奏はなかなかきくことができなかった。いまはCD化された音源がきちんと存在する。ありがたいことだ。


062 ベ-ト-ヴェン 中期弦楽四重奏曲集(第7~11番)
                        Op.59、74、95
 この期間の作品の再現としてはジュリア-ドSQの1964年から1970年にかけての演奏(ソニ-クラシカル)が面白い。メンバ-の入れ換えと第1ヴァイオリンのロバ-ト・マンの音楽的変化によって四重奏団の表現が1970年を境にガラリと変わるところがききもの。ベ-ト-ヴェンが何も表情指定をしていない部分を「眉ひとつ動かさずにひいてしまう」(吉田秀和氏の表現である)4人の演奏は1960年代において「これは新即物主義であるか否か」という議論を醸したものだ。


063 ベ-ト-ヴェン 後期弦楽四重奏曲集(第12~16番、大フ-ガ)
                     Op.127、130~3、135
 吉田秀和氏が著書『この1枚』でメロスSQをとりあげて賞賛しているのを読み、わたしも急いでディスクをもとめた。だがあまりにも硬いというか鋼鉄製というか、その突き刺さってくるような表現に、めげた。その再現に往年のブッシュSQに通じる「堅固な造形」があることはわかったが、いくらなんでも硬かった。同様の理由からラサ-ルSQ、ブダペストSQも選外となり、けっきょく初期とおなじくアルバン・ベルクSQとバリリSQを推すことに。


064 ベ-ト-ヴェン ピアノ三重奏曲第7番変ロ長調「大公」 Op.97

 よく音楽家などが「トリオならどなたとでもいたしますよ、カルテットはそうはいきませんけどね」と言う。つまりトリオというのはそれぞれの3人の個性のぶつかり合いであって「協奏」とはちょっとちがう。だから達者な3名が揃えばできてしまう、とも言える部分がある。だがわたしとしてはなるべく「協奏」に重点をおいた表現を、ききたい。そこでケンプ、シェリング、フルニエによる演奏(1969、1970。グラモフォン)を選ぶ。


ちょっと休憩。

 いろいろなディスクを推薦して、いざ市場には出ていて廉価かなとインタ-ネットで検索してみると意外に栄枯盛衰がある。バリリ弦楽四重奏団のベ-ト-ヴェンは全集でしか入手できないし、ベルリン・フィル八重奏団員のベ-ト-ヴェン:七重奏曲は廃盤のようだ。わたしの推薦を頼りにしている方がおられたらお腹立ちのことだろう。しかしそのあたりの感覚は以前に「コレクタ-になるなかれ」と書いたときと同じで、そうか、コクマルガラスの推薦したディスクはいま入手できないのだな、それなら世評がたかそうでやすいものを探しておこう、とお考えいただきたい。ムキになって執着めさるな。世の中、百人の聴き手がいれば百の名盤あり。たかがクラシック、である。

  

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2009年12月14日

048~059  ベートーヴェン


048 ベ-ト-ヴェン 交響曲第6番ヘ長調「田園」 Op.68

 ベ-ト-ヴェンの交響曲のなかで唯一の標題音楽。何度全集をきいてもこの曲だけが異色だという感はまぬがれない。まず推薦できるのがベ-ム/VPO(1971)。録音がよくとれているし、ウィ-ン・フィルもベ-ムが指揮者だと真面目にやっている。ほかにワルタ-/コロンビアso.の演奏もあるが、どうせワルタ-に傾倒するなら1937年のワルタ-/VPOの再現も美しい。ただし録音は当然、よくない。ウィ-ン・フィルが戦前は立派なオ-ケストラであったことがわかる。ワルタ-/VPOの戦前の録音についてはのちのちマ-ラ-のディスク選びをするときに出てくるかもしれないから、「どうしても」という感じに執着する必要は、ない。


049 ベ-ト-ヴェン 交響曲第7番イ長調 Op.92

 交響曲第5番の項でクライバ-/VPOをあげた。同じディスクにカップリングされているのがこの曲だから敢えてほかの盤を選ぶこともあるまい。


050 ベ-ト-ヴェン 交響曲第8番ヘ長調 Op.93

 この曲はセル/クリ-ヴランドo.がいい。もしセルが好きになれない、という方がおられたのならカラヤン/BPOの2回目の録音(1976、77)だろう。


051 ベ-ト-ヴェン 交響曲第9番ニ短調「合唱」 Op.125

 第一に推すのがベ-ム/VPO(1970)の演奏。テノ-ルがジェス・ト-マス、バスがカ-ル・リッダ-ブッシュ、合唱がウィ-ン国立歌劇場合唱団と揃って重量級の演奏をきかせる。伝説的になったフルトヴェングラ-/バイロイト祝祭o.の録音(1951ライヴ)は2巡目でよい。テノ-ルとバスに注目するのならラインスドルフ盤でプラシド・ドミンゴとシェリル・ミルンズが共演したのがある。なかなかすぐれた演奏だったと記憶する(ラインスドルフという指揮者は一流の仕事をする人であった)。


052 ベ-ト-ヴェン 序曲集(選集あるいは全集)

 この曲目ではセル/クリ-ヴランドo.の再現を第一に推す。「レオノ-レ序曲 第3番」での畳みかけなど、凄い迫力であった。わたしは外盤で入手したが、手に入りにくければ同等にすぐれたカラヤン/BPOによる録音を。


053 ベ-ト-ヴェン ピアノ協奏曲第1番ハ長調 Op.15

054 ベ-ト-ヴェン ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 Op.19

055 ベ-ト-ヴェン ピアノ協奏曲第3番ハ短調 Op.37

056 ベ-ト-ヴェン ピアノ協奏曲第4番ト長調 Op.58

057 ベ-ト-ヴェン ピアノ協奏曲第5番変ホ長調「皇帝」 Op.73

 これも全集があるならば(わたしは1枚ずつもとめて3枚で揃ったが)グルダのピアノでホルスト・シュタイン指揮ウィ-ン・フィルの演奏がよい。各曲についてそれぞれの名演が存在するが、そのひとつひとつをグルダ盤と比較してみると結局はグルダ盤にひかれる、ということになる。あえて挙げろと言われればブレンデルがレヴァイン/CSOと組んだものになるが、わたしには響きがちょっと厚ぼったいように思われる。


058 ベ-ト-ヴェン ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.61

 この曲には名演がふたつある。録音順に挙げるとまずオイストイラフがクリュイタンス/フランス国立放送o.と組んだもの(EMI盤)。もうひとつはパ-ルマンがジュリ-ニ/フィルハ-モニアo.と組んだもの(EMI盤)である。クライスラ-がレオ・ブレッヒ/ベルリン国立歌劇場o.と組んだ1926年の録音を褒める人がいるけれど、そういう「雑音の彼方から響いてくる」といった録音はたとえば1930年前後の声楽家の吹き込みをきくときだけで充分だと思う。スタジオ・ジブリの「火垂るの墓」で使われていた「埴生の宿( Home, sweet home )」の歌唱がそのころの録音で歌手がアメリタ・ガリ=クルチであった、と言えば雰囲気はわかっていただけようか。


059 ベ-ト-ヴェン 七重奏曲変ホ長調 Op.20

 ベルリン・フィル八重奏団による1972年の録音(フィリップス)。ここでお断りしておくが、わたしはウィ-ン・フィルよりベルリン・フィルをはるかに高く評価する。ベルリン・フィルがとびきりの職人集団だとすれば、ウィ-ン・フィルは一流の芸者集団である。ウィ-ン・フィルのみの得意演目があるとすれば、まあラデツキ-行進曲ぐらいではなかろうか。のちのちたとえば弦楽四重奏曲の名演でバリリSQ(ウィ-ン・フィルの奏者集団)をあげたりすることもあるからなにからなにまでとは言えないが、そういった理由で「ウィ-ン風室内楽」といった趣味は遠ざけることになる。この曲でたとえばウィ-ン・フィル室内アンサンブル(1975年。グラモフォン)を挙げない理由はそれである。

  

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2009年12月13日

036~047  バルトーク~ベートーヴェン


036 バルト-ク 弦楽器・打楽器とチェレスタのための音楽 Sz.106

 前の項で挙げたようにライナ-/CSOの演奏を推す。「管弦楽のための協奏曲」と一緒になってCD1枚であるから徳用だ(まあもっとも、この2曲はたいていカップリングされるけれど)。いまは老齢になって昔の栄光でなんとかやっているブ-レ-ズも、この2曲を録音した頃(1972年と67年)は実力と勢いがあった。しかしソニ-クラシカルはたぶんいまでもこの2曲を別売にしているだろうから推薦できない。


037 バルト-ク ピアノ協奏曲第3番 Sz.119

 これは決定的な盤が存在する。ゲザ・アンダがフリッチャイ/ベルリン放送so.と組んで1960年に録音したものがそれだ。わたしがもとめたときは2枚組でバルト-クのピアノ協奏曲1、2、3番とヴァイオリン協奏曲第2番(ヴァイオリンはティボ-ル・ヴァルガ)を収録していたが、いまなら単発でもとめられるのではなかろうか。


038 バルト-ク ヴァイオリン協奏曲第2番 Sz.112

 前の項で挙げたティボ-ル・ヴァルガとフリッチャイの組み合わせもよかったが、個人的に「ヴィオラ協奏曲とのカップリングですぐれたものを」という思い入れがある。よってピンカス・ズッカ-マンがヴァイオリンとヴィオラを弾いてレナ-ド・スラットキンがセントルイス交響楽団を振ったもの(RCA)を推薦する。


039 バルト-ク 弦楽四重奏曲(全曲)
               Sz40、67、85、91、102、114

 ふたつ傑出した演奏がある。ひとつは1963年のジュリア-ドSQ(ジュリア-ドの綴りは Juilliard である)によるもの。ジュリア-ドSQは三回録音しているが、この1963年の二度目の録音はその演奏によって多くの人々がバルト-クの弦楽四重奏曲を「発見」したという点で、もはや記念碑的と言うべきである。
 もうひとつは1984年から86年にかけて録音されたアルバン・ベルクSQによるもの。近年惜しまれつつ解散した団体だが、その「美しい歌」によって、さまざまな曲目の決定盤を生み出したことは音楽界にとって大きな貢献であった。


040 バルト-ク 2台のピアノと打楽器のためのソナタ Sz.110

 これはエラ-トのラベック姉妹による演奏が、楽しい。ジャズ評論家をして「ばんばんにスウィングしている」と言わしめた「2台のピアノのための7つの小品(ミクロコスモスより)」とカップリングされており、晦渋な現代音楽という地点から軽々と飛翔するさまは見事である。


041 バルト-ク 歌劇「青ひげ公の城」全曲 Op.11、Sz.48

 わたしにとって「バルト-ク開眼」を経験させてくれた、忘れがたい曲目である。それまでなんとも難解な音列にすぎなかった現代音楽が、いちどきにパッと視野がひらけるように提示されたときの驚きは、いまでも記憶にあたらしい。そのときのディスクはサヴァリッシュ/バイエルン国立o.で、タイトルロ-ルを歌ったのはフィッシャ-=ディ-スカウであった。
 このディスクのフィッシャ-=ディ-スカウに「彼の声質では重さや暗さが足りないのではないか」という感覚を持たれる方にはネステレンコをお薦めする。フェレンチ-ク指揮のハンガリ-国立o.で1981年の録音。フンガロトン原盤。


042 ベ-ト-ヴェン 交響曲全集

 この文章を読んでおられる方々の多くは、5枚組とか6枚組とかいった大冊ものを惜しげもなくもとめる方ではないだろうと思う。しかしベ-ト-ヴェンの交響曲のみならず、いろいろな「セットもの」にはそれなりの利点がある。1枚あたりの単価が安くなるということがひとつ、そしてもうひとつは「全体を俯瞰するにあたって有利」ということだ。ここでは「セットでも単発でももとめられるもの」ということを主眼にしてショルティ/CSOの1970年代の1回目の全集(2回目は1980年代後半)をあげておく。
 あと推薦できる全集としてカラヤン/BPOの1回目(1960年代)のものと、セル/クリ-ヴランドo.のものがあるが、わたしの選択を信じてくださるのであればやはりショルティ盤がいいと思う。爽快で力強い表現と、オ-ケストラのとびきりの能力がたのしめる。
 わたしの手元の『名曲名盤500』では1位と2位がバ-ンスタイン/VPOとフルトヴェングラ-/VPO他になっているが、これはどちらも「買うべからず」の全集であると言い切れる。


043 ベ-ト-ヴェン 交響曲第1番ハ長調 Op.21

044 ベ-ト-ヴェン 交響曲第2番ニ長調 Op.36

 この2曲はLPの時代は単発ものだと1枚に収録されることの多い曲だった。CD時代にはそうした慣行も崩れてゆくのかもしれないが。セル/クリ-ヴランドo.の演奏とワルタ-/コロンビアso.の演奏をあげておく。セルは交響曲第8番の演奏が卓越しているから後にも登場するが、ワルタ-はこの曲だけになりそうなので芸風を知るために買ってみるのもいいかもしれない。


045 ベ-ト-ヴェン 交響曲第3番変ホ長調「英雄」 Op.55

 この曲についてはフルトヴェングラ-/VPO(1952)のEMI盤が昔から高く評価されている。わたしも謙虚に50回くらいはきいたのだが、録音の悪さに辟易せずに最後まできけたためしがない。30年くらい前はトスカニ-ニ盤を持ち上げる批評家もたくさんいたが、どうやら絶滅したらしい(わたしはトスカニ-ニのディスクで好きな演奏のものがひとつもないと断言できる。いったいあの癇癪持ちの棒で、しかも録音がカチカチのディスクのどこが良いのだろうか)。
 まあ基本的にはショルティ/CSOであろう。それだと全集の選択と重なるという観点からほかを選ぶとジュリ-ニ/LAPO(1978)とかベ-ム/BPO(1961)だろうか。同じショルティが1959年にVPOを振ったものがあって、吉田秀和氏はそれと前述のベ-ム/BPOの演奏を『世界の指揮者』の「ショルティ」の項で比較させている。そう、そういう点からもベ-ム/BPO(1961)が、いいだろう。


046 ベ-ト-ヴェン 交響曲第4番変ロ長調 Op.60

 この曲は案外名盤に恵まれていない。クライバ-/バイエルン国立o.はどうかと言われれば、いいですけど・・と言う他ない(わたしはいわゆる「クライバ-・ファン」には属さない)。とりあえずベ-ム/VPO(1972)を選んでおく。カラヤン/BPOの2度目の録音(1976~77)も美しい。


047 ベ-ト-ヴェン 交響曲第5番ハ短調「運命」 Op.67

 この曲にはもう「運命」という副題がつかないことが多くなったが、それはともかくベ-ト-ヴェンの交響曲のなかでトップクラスの人気を誇る曲だ。クライバ-/VPOの演奏が交響曲第7番とカップリングされているので、まずは選ぼう。フルトヴェングラ-/BPOの1947年5月27日録音のグラモフォン盤も「奔流のような」と形容できる内容を持っている。ただし録音はぎりぎり60点というところ。もうひとつ、これはすこし好事家むけになるがクレンペラ-/VPOの盤がある(1968ライヴ)。同じ1968年の「未完成」とカップリングされているが、吉田秀和氏が著書のなかでクレンペラ-について書いたとき、ウィ-ン滞在中にラジオできいて「あとにもさきにもあんなすごい拡がりをもった「運命」はきいたことがない」と思ったという物件だ。「未完成」の方も演奏終了まぎわにクレンペラ-が「シェ-ン(美しい)」と呟く声が収録されているといういわくつきの盤なのでどこかで見かけたらもとめて間違いない。


ちょっと休憩。

 ここですこし「蒐集」ということについて書いておこう。さきほどベ-ト-ヴェンの交響曲第5番でもちょっと入手が難しいかもしれない盤について書いた。わたしがはっきり申し上げておきたいのは、そうした珍しい盤を「とにもかくにも集める」という人間には絶対に「なってはいけません」ということだ。
 そうした希少盤ばかり集める人間はビョ-キである。クラシックにもジャズにも、ロックンロ-ルの世界にも「コレクタ-」という人種が存在して法外な値段で取り引きをおこなっている。
 どの時代にも「○○のナニナニ」みたいな名称を奉られた「コレクタ-ズ・アイテム」があって、LP1枚やCD1枚がとんでもない値段になっている。わたしが生まれた頃、LP1枚が10万円というのがあった。東大卒の初任給が1万円くらいの時代である。 いま、そのLPとおなじ内容のCDが復刻されて2千円ぐらいの値段で売られている。あの時代そのLPを死ぬ思いでもとめた人間は何のために何をやったか。その当時安価でもとめられる同じ曲のほかのLPではなぜ、いけなかったか。
 音楽を愛する友たちよ。「蒐集家」になっては、いけません。

  

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2009年12月12日

022~035 J・S・バッハ


022 バッハ 半音階的幻想曲とフ-ガ ニ短調 BWV903

 この曲については、まずブレンデルの演奏を。組み替えがなければそのCDには後述の「イタリア協奏曲」がカップリングされていてお得であるし、どちらの演奏もよい。ピアノではなくチェンバロでききたいという方にはピノックであろうか。


023 バッハ ゴルトベルク変奏曲 BWV988

 1955年録音のグ-ルド盤をまず推す。世評がたかいのでどなたもCD店で見かけたことがあるのではなかろうか。市場でLPからCDへの切り換えがすすんでいる1980年代にこの演奏はなぜかCD化が遅れ、やっと出たとおもったら3枚組であったという椿事があった。そういう商売をするCBSソニ-(現在のソニ-・クラシカル)の体質はわたしが学生のときから変わっておらず、あまり尊敬できない会社である。グレン・グ-ルドやホロヴィッツが東芝EMI(いまのEMI)と契約していてくれたら、という話題は砂川しげひさ氏も引き合いに出しておられた。


024 バッハ イタリア協奏曲ヘ長調 BWV971

 「半音階的幻想曲とフ-ガ」の項でブレンデルを挙げたから、それをもとめられた方はこの曲の新しいディスクをもとめる必要が無い。2巡目としてあがってくるのはアマデオ・レ-ベルから出ている1965年録音のグルダ盤か。これは「グルダ・アンコ-ル」というタイトルで出されたもので、吉田秀和氏が著作のなかで「こういうショウ・ピ-スをアンコ-ルで弾くときのグルダはギアが一段あがったようなすごい名演をきかせる」と取り上げている盤である。ブレンデルのふっくらとした、いかにもグランド・ピアノ(たぶんベヒシュタインかベ-ゼンドルファ-であろう)ならではの響きをいかした演奏とくらべて、グルダの演奏は敢えてそうした豊かな響きを振り払ったようなおもむきのある演奏になっている。


025 バッハ カンタ-タ第140番「目覚めよと呼ぶ声あり」
                            BWV140
 リヒタ-/ミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団で決まり。現役国内盤で出ているかどうか調べていないが、バッハのカンタ-タにはたとえばシュ-ベルトの歌曲と同様に対訳がほしい(これがイタリアオペラなどでは、あらすじを知っていれば単語の意味などいらないという言い分もあるのだが)。1990年代であったか「カ-ル・リヒタ-:カンタ-タ選集」という10数枚組のボックス・セットが出たことがあった。あれの対訳だけでも(他にもこのカンタ-タは何週間の第何節のもの、という知識もある)発売してくれると助かるのだが。


026 バッハ カンタ-タ第147番「心と口と行いと生命もて」 BWV147

 リヒタ-/アンスバッハ・バッハ週間o.(1961)を選ぶ。1980年代になるとこうしたカンタ-タにも古楽器の派閥が台頭してきてリリング、リフキンといった指揮者の名前があがる。最近ではバッハ・コレギウム・ジャパンも有名である。しかしわたしには「オリジナル演奏」の旗印に味方する気が、ない。


027 バッハ カンタ-タ第202番「消えよ、悲しみの影」
                     (結婚カンタ-タ) BWV202

 これもリヒタ-/ミュンヘン・バッハo.による再現をえらぶ。ソプラノを担当しているシュタ-ダ-の声がまことに格調高く、美しい。


028 バッハ カンタ-タ第211番(コ-ヒ-・カンタ-タ) BWV211
        カンタ-タ第212番(農民カンタ-タ) BWV212

 オリジナル楽器嫌いを言い募るわたくしだが、この曲についてはコレギウム・アウレウム合奏団、アメリング(S)他の演奏を選ぶ。古楽器臭さがあまりないし、なによりアメリングの声が美しい。シュライア-がベルリン室内o.を振った演奏は、わたしにはいささか退屈であった。


029 バッハ ミサ曲ロ短調 BWV232

 この曲(だけではなく、受難曲についてもそうだが)についてはリヒタ-盤(61年)の評価が非常に高い。しかしこの曲に関してはわたしはクレンペラ-盤(67年)も同格に推したい。リヒタ-盤の切羽詰まった迫真力もすばらしいが、-これはリヒタ-の指揮したバッハの声楽曲をいろいろときくうちにどうしても出てくる不満なのだが-ミュンヘン・バッハ合唱団がもともとはプロ集団ではないことがなんとも気になる。クレンペラ-の棒のもとでニュ-・フィルハ-モニア管弦楽団とBBC合唱団が桁外れにスケ-ルの大きな演奏をきかせる盤に、どうしてもひかれる。リヒタ-盤でバスを受け持っているのはフィッシャ-=ディ-スカウで、クレンペラ-盤ではプライである。そのことも選択肢になるだろう。


030 バッハ マタイ受難曲 BWV244

 リヒタ-盤の1958年盤(いちばんポピュラ-である)を第一に推す。リヒタ-はこの後1969年と1979年にそれぞれこの曲を録音している(69年盤はライヴ録音であった)。1979年になるとかなりレガ-トを重視する演奏になってきて、評論家によってはそちらを好むむきもあるようだ。


031 バッハ ヨハネ受難曲 BWV245

 ドナルド・キ-ン氏の著作に「わたしはこの曲のディスクを、マタイ受難曲と似たようなものだろう、というたいへんおぼつかない理由から持っていない」という文章があって吹き出してしまったことがある。わたしは勢いでリヒタ-盤をもとめたが、他の盤を持っていない。だからリヒタ-盤が素晴らしいということ以外は言う権利が、ない。


032 バッハ クリスマス・オラトリオ BWV248

 この曲は「カンタ-タの集合」のような曲で、ぼんやりきいていると次々とアリアが歌われてはコラ-ルで集結してまたアリア、という印象になる。それはそれで楽しいききかたであるが、そんな散漫な聴き方をしても許してくれそうなのが美しい演奏(特に合唱)のコルボ/ロ-ザンヌ室内o.の盤である。リヒタ-盤はわたしにとってはあまりにも立派なので、つい神棚に載せておく扱いになる。


033 バッハ 音楽の捧げ物 BWV1079

 この曲も漠然ときいていると「なんだか1曲ずつがバラバラだなあ」というきこえ方をする。この曲の場合「クリスマス・オラトリオ」とちがってそういうきこえ方は、いささかまずい。そのへんを飽きさせずにきかせるのがパイヤ-ル盤。DENONから1974年に、RCAから1986年にそれぞれ出ているが、解釈はほぼ同じである。わたしとしては1986年盤が「フ-ガの技法」とカップリングされており、それが抜群の出来なのでそちらを推す。


034 バッハ フ-ガの技法 BWV1080

 合奏もののディスクとしては033の項でパイヤ-ル盤をあげた。鍵盤楽器演奏ものとしてはエラ-トのコ-プマン盤を推したい。2台チェンバロによる再現で、まことに素晴らしい。


035 バルト-ク 管弦楽のための協奏曲 Sz.116

 これは次の項の「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」とのカップリングという意味からもライナ-/CSOを、とる。「古典的な現代音楽作曲家」としてバルト-クを決定的に位置づけたのがこのディスクであることは間違いない。

  

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2009年12月11日

007~021 J・S・バッハ


007 バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティ-タ
                            BWV1001~6

 ずいぶん昔からシェリングのグラモフォン盤の評価がたかいが、わたしとしてはもうすこし柔軟で美しい表現に酔いたい。この感想は初めてシェリング盤をきいた20代のときからだ。当時はシゲティやシェリングのバッハには「精神性」という言葉が冠せられてこれを侵害すべからず、という空気が濃厚だった。
 まずシェロモ・ミンツのグラモフォン盤を推す。それと並んでグリュミオ-のフィリップス盤を。どちらも美音で自在に歌って、それでいて情に溺れることのないしっかりした歌になっている。


008 バッハ 無伴奏チェロ組曲(全曲) BWV1007~12

 これもカザルスの1930年代の録音がよく推薦される。わたしも最初にもとめた。今になったから言えることだが、あの録音状態では素晴らしい演奏なのかどうか見極めることが困難ではないだろうか。そのくらい音がわるい。
 わたしとしてはジャンドロンによる美しい歌い方に、ひかれる。この曲については堂々とした風格がほしい向きにはシュタルケルの1963~65年の録音をお薦めする。どちらの録音もフィリップスで、チェロの美音があますところなくとらえられている。


009 バッハ ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ(全曲)
                           BWV1014~9

 エラ-トから出ているバルヒェット(vn)とヴェイロン=ラクロワ(cemb)の組み合わせがいまのところいちばん気に入っている。バルヒェットのヴァイオリンにはしっかりした堅さがあって、それでいて野放図に大きくならない。こうしたアンサンブルをやるにはうってつけの音だと言える。その点でグリュミオ-も得意にする曲ではあるまいかとディスクをもとめてみたが(サルトリのチェンバロ)、あまりよくなかった。以前から評判のたかいシェリングとヴァルヒャの組み合わせは、なんだか合わせるのに必死になっているようで、きいていて愉悦感がない。


010 バッハ フル-ト・ソナタ集(全集あるいは選集)
                   BWV1030~5、1020、1013

 これは、どのフル-ト奏者が好きかで決する。わたしはニコレがもっともバッハの再現に適すると考えるから、アルヒ-フから出ている盤(チェンバロはリヒタ-。1969年と73年の録音)を推す。BWV1013の「無伴奏フル-ト・ソナタ イ短調」の演奏など、実に素晴らしい。


011 バッハ チェロ・ソナタ(全曲) BWV1027~9

 原曲がヴィオラ・ダ・ガンバのための作品であるから、チェンバロをレオンハルトが受け持ってガンバをW.クイケンあるいはコッホが弾いたもの(どちらもハルモニア・ムンディ盤)ということになる。しかしわたしはガンバやバロック・チェロの音色がどうも好きになれない。そこでフルニエがル-ジイチコヴァと組んだ盤(エラ-ト)か、シュタルケルが同じル-ジイチコヴァと組んだ盤(DENON)をえらぶ。


012 バッハ オルガン作品集

 下敷きにしている『名曲名盤500』にこの選曲があるので標題になったが、わたしはバッハのオルガン曲というのはあまりまとめて聴くと、どれも同じにきこえてくるものだという考えの持ち主である。もとめるとすればヴァルヒャの全集であろうが(新旧2種類がある。どちらも同じようなものだ)20枚ちかくになる全集を買う余裕があるなら013から016にかけて選ぶおのおののオルガン曲のCDで満足しておいて(それとてもわたしは2枚か3枚のCDでじゅうぶんだと思う)、他のディスクを探究するほうに力をそそぐべきであろう。


013 バッハ トッカ-タとフ-ガ ニ短調 BWV565
014 バッハ 幻想曲とフ-ガ ト短調「大フ-ガ」 BWV542
015 バッハ パッサカリアとフ-ガ ハ短調 BWV582

 うまい具合にこの3曲が1枚に収まっているCDがある。マリ-=クレ-ル・アランがエラ-トに1978年から1980年にかけて録音したものだ。わたしはオルガニストとしてのアランの資質をたかく評価している。ヴァルヒャはリズム感覚に難があるし、リヒタ-のオルガン演奏はときとしてややヒステリックになる傾向がある。アランの演奏にはそうした問題はなく、穏やかで平明な地平がひろがる。このCDには有名な「小フ-ガ ト短調 BWV578」「コラ-ル 目覚めよと呼ぶ声が聞こえ BWV645」も収録されている。


016 バッハ シュ-プラ-・コラ-ル(全曲) BWV645~50

 ことこの曲目についてはどうしてもヴァルヒャに頼らねばならない。しかしいまのところ2枚組でしか入手できないようだ。015でアランの「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」をきいて、心底気に入った方はもとめられるべし。ここで書いておくが、「オルガン演奏における古楽器演奏派」とも言うべきコ-プマンの演奏は、やはりアド・リブ的な要素がつよすぎてわたしには馴染めない。チェンバロを弾くときにくらべて、オルガンに向かうと悪乗りする傾向があるようだ、この人は。


017 バッハ インヴェンションとシンフォニア BWV772~801
018 バッハ イギリス組曲 BWV806~11
019 バッハ フランス組曲 BWV812~7
020 バッハ パルティ-タ(全曲) BWV825~30

 以上の曲については、やはりどうしてもグレン・グ-ルドの録音を挙げることになる。レオンハルトのチェンバロ演奏やシフによるピアノ演奏もすぐれているが、やはり2巡目にまわることになる。「インヴェンションとシンフォニア」については、グ-ルドの演奏はあまりにも風変わりかもしれないので、ごく規範的とも言うべきドレフュスのチェンバロ演奏(アルヒ-フ)を挙げておく。


021 バッハ 平均律クラヴィ-ア曲集 第1、2巻(全曲)
                          BWV846~93

 この曲集については昔からリヒテル、グ-ルドの競争が激しい。まるでスタイルがちがうのだから同一の俎上に上げること自体に無理があるのだが、わたしとしてはどちらの演奏家のディスクをきいていても不満が残る。リヒテルをきいているときは「なんとも重い演奏だなあ」、グ-ルド盤をきいているときは「風変わりだなあ」ということになって、あまりきかないうちにSTOPボタンを押すことになる。
 わたしが聴いていて「ああ、いい演奏だ」と思うのはグルダ盤。1972年にフィリップスに録音したものだが、音がとてもいい。音がいいというのは録音もいいし、グルダの出す音もいいという両方である。グルダはここで、ベ-ト-ヴェンをひくときとはまるで違った、透明感のある音をひびかせている。

  

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2009年12月10日

001~006  J・S・バッハ


001 バッハ 管弦楽組曲(全曲)BWV1066~9

 わたしが学生時代をおくった1970年代後半は古楽器演奏によるのLPがブ-ムであった。ア-ノンク-ルをはじめとする演奏家(彼は最初はヴィオラ奏者として出た)がさまざまなルネサンス期からバロック期の楽曲を演奏し、そうしたLPがつぎつぎと発売された。しかしオリジナル楽器による演奏を愛するかたがたには申し訳ないが、わたしはその当時から古楽器による演奏や音色のクセに馴染めなかったし、いまでもその好みは変わっていない。古楽器演奏によるディスク購入は三巡目くらいからでよい、と思う。

 管弦楽組曲の全4曲にはリヒタ-/ミュンヘン・バッハ管弦楽団による2枚組がある。1960年と61年の録音だからずいぶん古いが、音質は決して悪くない。第2番でフル-トを担当するのが若きニコレであることも大きな魅力だ。


002 バッハ ブランデンブルク協奏曲(全曲)BWV1046~51

 この6曲についてもやはりリヒタ-/ミュンヘン・バッハ管弦楽団による1967年の演奏がまず挙がる。この2枚組には後述の「オ-ボエとヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 BWV1060a」がカップリングされていて徳用になっていた(現在もそうであるかどうかは不明)。これに並ぶ名演として1973年に日本コロムビア(レ-ベルはDENON)がエラ-トと共同制作したパイヤ-ル/パイヤ-ル室内管弦楽団による2枚もの(別売であった)が挙げられる。ピエルロ(ob)、オンニュ(fg)、アンドレ(tp)、ランパル(fl)らを始めとするフランスの管の大名人がずらりと揃って自由自在に吹くさまは圧巻。パイヤ-ルはその後1990年にもRCAに録音をしており、メンバ-は入れ替わるが愉悦的なアプロ-チは同じなので同等にお薦めできる(このような書き方をすると「なんだ、結局は1973年盤の方がいいということか」と勘繰られそうだが、わたしがこういう文章を書くときはまったくおなじ、と思っていただいてよい)。


003 バッハ チェンバロ協奏曲第1番ニ短調 BWV1052

 この曲についてはピノック/イングリッシュ・コンソ-トを第一に推す。古楽器が好きでないと書いたではないかと言われそうだが、イングリッシュ・コンソ-トという楽団の演奏には古楽器特有のアクがすくなく、そのへんがウィ-ン・コンツェントゥス・ムジクスと違う。それにこの曲においてはチェンバロを弾き振りしているピノックがとても溌剌としていて気持ちがよい。ピノックはバッハの2台チェンバロ、3台チェンバロのための協奏曲も録音しており、それらも含めた3枚組が存在する。しかしバッハのチェンバロ協奏曲はチェンバロの台数が増えるごとにだんだん退屈なものになるから、一度でほれこんでしまわれた方以外は1番を収録した1枚を購入するだけでよいと思う。


004 バッハ 2台のチェンバロのための協奏曲第1番ハ短調
                                   BWV1060
 チェンバロ協奏曲第1番とおなじくピノック/イングリッシュ・コンソ-ト盤を推薦するが、この曲はバッハによって後述の「オ-ボエとヴァイオリンのための協奏曲ニ短調」に編曲されており(BWV1060a)、そちらの方がわたしには親しみがもてる。


005 バッハ ヴァイオリン協奏曲第1、2番
        2つのヴァイオリンのための協奏曲 BWV1041~3

 昔からシェリングがマリナ-と組んでフィリップスに録音した盤(1976)の評判が高いが、いかんせん「2つのvnのための協奏曲」の演奏が悪い(第二ヴァイオリンのアッソンが愚図愚図である)。そこでグリュミオ-がクレバ-スと組んで入れた盤を選ぶ。このディスクではフランコ-ベルギ-楽派のヴァイオリンによる透明感のあるアンサンブルがききものである。ゲレッツ指揮。ソリスト・ロマンドによる1978年の録音。このディスクでグリュミオ-の音色が気にいった方には彼のフォレなどもお薦めできる。


006 バッハ オ-ボエとヴァイオリンのための協奏曲ニ短調
                                   BWV1060a

 リヒタ-/ミュンヘン・バッハ管弦楽団による「ブランデンブルグ協奏曲」の2枚組に発売当初カップリングされていたのがこの曲であった。シャンのオ-ボエ、ビュヒナ-のヴァイオリンにリヒタ-/ミュンヘン・バッハo.がツケていて、いい演奏だった。録音は1963年。リヒタ-盤での演奏は硬度のたかい鉛筆でくっきりと描いた絵画のような「勁さ」があったが、これがクロッキ-のような柔らかな描線になっているのがヴィンシャマン(ob)とヘンデル(vn)によるドイツ・バッハ・ゾリステンの演奏(1962)だった。わたくしの個人的な好みからリヒタ-盤の「冷たい硬さ」を、とる。


ちょっと休憩

 ここで、わたしの「ネタ本」をいくつか紹介しておこうと思う。

○ 吉田秀和著『吉田秀和全集』第1巻~第10巻   白水社

 言うまでもなくクラシック音楽愛好家にとってのバイブル。現在は16巻を過ぎていると記憶するが、わたしが学生のとき図書館にあったのは1巻から10巻までだった。「わからない人は読んでくれなくともよい」式の、なんともとっつきにくい文章には泣かされたが、それでも「この全集を読破することは決して無意味でない」と思わせるだけの何かがあった。30年を経た現在でもわたしの価値観の基本にあるのは、この全集だ。

○ 柴田南雄著『レコ-ドつれづれぐさ』 音楽之友社
○ 柴田南雄著『私のレコ-ド談話室 演奏スタイル昔と今』 朝日新聞社

 柴田南雄氏の文章もわたしには抜かすことのできないものだ。吉田秀和氏もそうだが大正生まれの評論家の文章には「選ばれた者」としての自負と責任と気骨がある。昭和10年代なかば頃まで東京大学に入学するというのは「勉学がしたいのだ」という発言であった。

○ ドナルド・キ-ン著『ドナルド・キ-ンの音盤風刺花伝』 音楽之友社
○ ドナルド・キ-ン著『音楽の出会いとよろこび 続 音盤風刺花伝』        
                          音楽之友社
○ ドナルド・キ-ン著『ついさきの歌声は』 中央公論社

 ドナルド・キ-ン氏は日本文学・日本文化史の教授であるが、同時に大戦前からのオペラ・ファンである。氏の文章は「日本的批評」というものに対する痛棒としてもきわめて雄弁で(翻訳をつとめている中矢一義氏の能力も素晴らしい)何度読んでも飽きるということがない。

○ 三浦淳一著『レコ-ドを聴くひととき ぱあと1』 東京創元社
○ 三浦淳一著『レコ-ドを聴くひととき ぱあと2』 東京創元社

 三浦淳一氏も戦中からのつわものだが、氏はさまざまな演奏家をそのエピソ-ドから浮き彫りにしてみせた大家である。世界中の巨匠がその言行や失態によって活写されるさまはじつに粋で、楽しい。

○ アンドレ・プレヴィン編『素顔のオ-ケストラ』 日貿出版社

 これはわたしにとって、オ-ケストラの楽団員の日常や本音を知るために特筆すべき一冊である。気にくわない指揮者に対する「いじめ」であるとか、楽器のメインテナンスにかかわる苦労話、はてはオ-ケストラ内での派閥抗争にいたるまで、この本を読めばわかる。翻訳を担当した別宮貞徳氏の力もすばらしい。

○ ヒュ-・ヴィッカ-ズ著『珍談奇談 オペラとっておきの話』
                       音楽之友社  ON BOOKS
○ ジョン・カルショ-著『ニ-ベルングの指環 録音プロデュ-サ-の手記』
                                 音楽之友社

 上記の2冊はわたしにオペラとはいかなるものかを教えてくれた。それも裏側からである。ジョン・カルショ-は言うまでもなくロンドン・デッカのワ-グナ-「指環」の全曲録音を成し遂げた人物であるが、複雑きわまる録音作業のなかでさまざまな歌手の入り乱れるさまは圧巻である。


  

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2009年12月09日

はじめに。


 この文章はわたしの作った「名曲名盤500」である。学生時代から現在までおよそ30年間、市井のクラシック愛好家としてLP、CDを蒐集してきた男として「このディスクなら間違いないと思います」という文章を記しておきたいという願望が強くなり、こうして原稿にむかっている。

 その昔、野村あらえびすは『名曲決定盤』において「十枚の蒐集にて可」という文章を編んだ。ここでの十枚とはSP十枚のことである。4万枚にのぼる蒐集を誇ったあらえびすも結局は「必須という盤は百枚より決して多くない」と述べている。収録時間において現在のCD1枚が当時のSP10枚にあたることを思うと隔世の感があるが、SP1枚の価格が現在の約10万円であったことを思うと1930年代の蒐集家の懸命さはひしひしと伝わってくる。

 それから約30年後、吉田秀和による『LP300選』が刊行される。執筆を依頼した新潮社の斎藤十一氏は最初『名曲決定盤』的な文章を希望したらしい。吉田氏はそれを断って西洋史的かつ音楽史的な曲の選択をおこない、巻末に各曲のLPを紹介した。それでも「吉田秀和氏の推薦したLP」ということで当時(昭和50年代はじめ)のクラシック愛好家はこぞって読んだものだ。

 昭和50年代がおわる頃、音楽之友社が『レコ-ド芸術』3か月にわたって名曲名盤を選ぶという編集をおこなった。それはその年末に冊子体で『名曲名盤500選』と銘打って発売された。そうした編集はそれまでも『レコ-ド芸術』でおこなわれていたが、その年の編集は、おのおのの曲の名盤を選ぶにあたってその曲を専門分野にしている7人の評論家に採点をさせ、かつその根拠となる評論を全部掲載したという点で画期的だった。わたしは、選曲についても世評の判断についてもその『名曲名盤500選』を下敷きにしてCD選びをしようと思う。もう25年にちかい年月が流れてはいるが、ほんとうに決定的な盤というものは10年や20年で次々に出るものではないし、SP時代から昭和50年の間を名盤として生き抜いてきたディスクは価値を失いはしない。

 わたしの選択は多くの場合において折衷的で中途半端なものかもしれない。しかしこれはこれからたくさんのディスクをきいてゆくわかい人に特に言っておきたいが、まずもって標準とするにたるディスクをきく、ということは大切なことだ。ときどき「自分は〈新世界〉を100何十枚持っている」といった発言をするひとがいるが、そういう行動はまずもっていろいろな分野の曲をおしなべて知ったうえで、やるべきだ。そういう「とりあえず1周」というコレクションだけでたぶん千枚をこえるのではないかというのがわたしの予測だ。
 わたしの所有するCDはだいたい4千枚。どの1枚にも物語があって、無意味なディスクは、ない。それでもやはり「この曲についてはこれがベストであろう」という感覚は持っている。このCDについてはあの評論家が褒めたから買い、あのCDはあの批評家が激賞したから買った。そのふたつのCDのあいだになんの有機的関係も無いことが、わたしにはくやしかった。

 そうした30年間を経て「わかったこと」を発信したい。それがわたしがこの文章を綴ってゆく理由です。ときとして批評家の悪口が名前入りで出てくるかもしれない。ときとして「こんな本があって興味深い」というサブテキスト提示があるかもしれない。よみすすんでいくうちに「なるほど、こういう視点のひとか」とわかってきて、面白いとおもわれたかたは、ついてきてください。
  

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