2010年02月04日

343~350 プロコフィエフ


343 プロコフィエフ 交響曲第1番ニ長調「古典交響曲」

 この曲にあんまり裏打ちや奥行きをもとめても無駄骨、という気がする。さして長くない曲なので他の曲とカップリングされることが多い。バ-ンスタイン/NYPが1968年に録音した演奏がショスタコ-ヴィチの交響曲第5番(1959年。ソニ-)とカップリングされており、それが凄い名演なので挙げておく。いまのところ廉価盤らしいがありがたいことだ。


344 プロコフィエフ 交響曲第5番変ロ長調

 バ-ンスタイン/イスラエルpo.(1979年ライヴ。ソニ-)を挙げておく。イスラエル・フィルというオ-ケストラはあまりアンサンブルがよくないので、それが気になりそうな方にはカラヤン/BPO(1968年。グラモフォン)を。


345 プロコフィエフ 組曲「キ-ジェ中尉」

 アバド/CSO(1977年。グラモフォン)とセル/クリ-ヴランドo.(1969年。ソニ-)が拮抗する出来ばえ。スケ-ルではアバド盤がまさるが、オ-ケストラのコントロ-ルではセルが上。個人的にはセルに軍配を上げたい。


346 プロコフィエフ バレエ「ロメオとジュリエット」

 全曲なのか抜粋なのかが問題である。わたしは抜粋盤のほうを好むが、抜粋盤の演奏にも「モンタギュ-家とキャピュレット家」と「兵士の行進」を連結して演奏するスタイルと分けて演奏するスタイルがある。わたしは連結スタイルを好む。結論から言ってしまえばミトロプ-ロス/NYPの演奏(1957年。ソニ-)が学生時代から頭に刻みつけられてしまって離れないのである。他にもいろいろな演奏のディスクをきいたが、1957年当時のNYPの優秀なアンサンブルと硬質で冷たい音色による再現にまさる演奏に出会ったことはまだ、ない。


347 プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番ハ長調

 この曲も好きでいろいろなディスクを漁った。ピアノ協奏曲全集のかたちになってしまうがベロフ、マズア/ゲヴァントハウスo.の録音(1974年。EMI)が群を抜いて素晴らしかった。これと競合できる盤だと他にクライバ-ン、ヘンドル/CSOの盤があるのだが、こちらに注目された方には言っておかないといけないことがある。一般的に国内盤で出ているものはカップリングがラフマニノフのピアノ協奏曲第3番で、コンドラシン/シンフォニ-・オブ・ジ・エアの伴奏だ。このラフマニノフ協奏曲第3番はライヴ録音で、クライバ-ンがアメリカで凱旋公演を繰り返していた頃の記録なのだが、コンドラシンの指揮も聴衆も最悪の状態である。無神経きわまる指揮。最初から最後まで咳をしている女性。最後の和音が鳴りおわらぬうちに爆発する嬌声とバカ拍手。クライバ-ンを押し潰した「1960年代アメリカ」がここにある。わたしはこのCDをとても推薦するわけにいかない。クライバ-ンのプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番はもともとはシュ-マンのピアノ協奏曲とのカップリングで、そちらはライナ-/CSOの伴奏であった。外盤ならばその組み合わせできくことができるので、是非そちらをおもとめください。


348 プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調
            ヴァイオリン協奏曲第2番ト短調

 まずもってパ-ルマン、ロジェストヴェンスキ-/BBCso.の演奏(1980年。EMI)がベストであろう。ソ連系の粗野な指揮はきらいだという方(わたしはこの曲については許せるが)にはミンツ、アバド/CSO(1983年。グラモフォン)がいいだろう。


349 プロコフィエフ ヴァイオリン・ソナタ第1番ヘ短調

 線の太いヴァイオリンの音か、細い音かでわかれる。わたし個人は線の太いギコギコした演奏の方が好きで、オイストラフとリヒテルによる1971年のライヴ録音(メロディア)を推薦する。線の細い鋭利な音をもとめるのであればクレ-メルとマイセンベルクの演奏(1974年。メロディア)だ。


350 プロコフィエフ ピアノ・ソナタ第7番変ロ長調「戦争ソナタ」

 この曲については決定盤が存在する。ポリ-ニの演奏がそれだ(1971年。グラモフォン)。ショパン・コンク-ルの優勝から10年、行方知れずになっていたポリ-ニが復活してきたのがこの盤だった(その名声はショパン:練習曲で確立されることになる)。最近では物分かりのいい老人になってしまったポリ-ニだが1970年代には剃刀のような切れ味のある、凄い人だったのだ。

  

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2010年02月03日

336~342 ムソルグスキー~ペルゴレージ


336 ムソルグスキ- 組曲「展覧会の絵」(管弦楽版)

 「総譜を完全に弾けるか」どうかで勝負のきまる曲だけに、実力のあるオ-ケストラをえらびたい。この曲の圧倒的なパワ-を存分に出せるオ-ケストラといえばフィラデルフィア管弦楽団とシカゴ交響楽団、クリ-ヴランド管弦楽団と、あとベルリン・フィルくらいだろう。この中で「展覧会の絵特産地」を誇るのがCSOで、ジュリ-ニが振った1976年盤(グラモフォン)、ショルティが振った1980年盤(ロンドン)のいずれもが凄い名演奏になっている。オ-マンディがフィラデルフィアo.を振った録音(1973年。RCA)は未聴だが、いい演奏だろうと想像せられる(オ-マンディはラフマニノフの協奏曲やムソルグスキ-になると実力を発揮する指揮者だ)。


337 ムソルグスキ- 組曲「展覧会の絵」(原曲ピアノ版)

 1960年代から1980年代にかけて、この曲となると必ず引き合いに出されるのが1951年のホロヴィッツ盤(RCA)と1958年のリヒテル盤(フォンタナ)であった。いずれもライヴ演奏のモノラル盤で、たしかに録音の古さを超えて放射されてくるオ-ラの強さは比類なきものだ。しかし、もう21世紀だ。最初に聴くのはもうすこしよい録音の盤にしたい。そこでわたしが推すのがワイセンベルク盤(1971年。EMI)だ。ワイセンベルクのパワフルな名技が全開になってきくものを圧倒する。ワイセンベルクにくらべたらアシュケナ-ジ(1982年。ロンドン)すらもいささか小さい気がする。


338 ニ-ルセン 交響曲第4番「不滅」

 北欧ものはカラヤン/BPOがうまい(1981年。グラモフォン)。「またカラヤンですか」と仰有る方にはラトル/バ-ミンガム市立so.による1984年の演奏(EMI)をお薦めする。この録音の頃のラトルはピ-クにあった。ヤナ-チェクやニ-ルセンを得意にしている若い指揮者を、なんでまたBPOは雇ったのであろうか。


339 オルフ カルミナ・ブラ-ナ

 この曲が「名曲」だって? と、いささか考えさせられる。まあストラヴィンスキ-の「春の祭典」みたいなもので、要点を押さえれば伝統の呪縛から解放されてイキのいい演奏ができる点では名曲かな、とは思う。以前から評判のたかいヨッフム/ベルリン・ドイツ・オペラo.による再現を(1967年。グラモフォン)。ム-ティ/PO(1979年。EMI)やレヴァイン/CSO(1984年。グラモフォン)も同じレヴェルだと思う。


340 パガニ-ニ ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調

 これで決まり、という盤はいまのところ無いように思う。庄司沙矢香、メ-タ/イスラエル・フィルの録音(2000年。グラモフォン)やヒラリ-・ハ-ン、大植英次/スウェ-デン放送so.の録音(2005年。グラモフォン)があるが、随所随所にムラがあってスタンダ-ドとして推すには弱い。結局のところアッカルド、デュトワ/LPOによる1975年の録音(グラモフォン)ということになる。


341 パガニ-ニ カプリ-ス

 これも選ぶのが意外と難しい。個人的には「モ-ツァルトをひくようにパガニ-ニをひきたいと思った」と述べているフランク・ペ-タ-・ツィンマ-マンの録音(1984年~85年。EMI)が好きだ。パガニ-ニの曲をジプシ-・ヴァイオリン風に弾いたディスクをお探しであればパ-ルマン(1972年。EMI)かミンツ(1981年。グラモフォン)がいいだろう。


342 ペルゴレ-ジ スタ-バト・マ-テル

 アバド/LSO団員の1983年の盤(グラモフォン)はたしかレコ-ド・アカデミ-賞を受賞したのではなかったか。記憶ちがいであったらお詫びするが、なにはともあれ日本のクラシック・ファンはアバド盤によってこの曲を再認識したのだ。グラチス/ナポリ・スカルラッティo.(1972年。アルヒ-フ)も悪くはないが、結局のところ二番手の盤だという評価からはのがれられない。

  

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2010年02月02日

331~335 モーツァルト


331 モ-ツァルト 歌劇「フィガロの結婚」全曲 K.486

 ベ-ム/ベルリン・ドイツ・オペラo.の録音が良い(1968年。グラモフォン)。ときどき「同じ組み合わせで1963年に来日したときのベ-ムはもっと良かった」ということを言う評論家がいて、わたしはそのライヴ録音が出たときにとびついたが、録音状態があまりよくなくてさして感激もしなかった。


332 モ-ツァルト 歌劇「魔笛」全曲 K.620

 何度きいても「おかしな構成の曲だ」と思う。まあそれはともかくこの曲のハイライトが「夜の女王のアリア」にあることは事実で、それを比較するためだけに何セットか買ったものだ。指揮と歌手が揃ったショルティ/VPOの盤(1969年。デッカ)を推薦する。あとひとつ、サヴァリッシュ/バイエルン国立歌劇場の録音(1973年。EMI)もなかなかいい出来だった。


333 モ-ツァルト コンサ-ト・アリア集

 モ-ツァルトが高音自慢のソプラノに目がなかったことは有名だ。バスやテノ-ルのアリアも存在するが、ソプラノのための楽譜に圧倒的に力が注がれていることを考えるとコンサ-ト・アリア集はソプラノのためのものでよいという気がする。
 グルベロ-ヴァがハ-ガ-/ザルツブルク・モ-ツァルテウムo.と入れた1枚(1979~82年。グラモフォン)が素晴らしい。素晴らしいと言うよりは「凄い」という言葉のほうがぴったりくる。
 あと、コンサ-ト・アリアでなくオペラ・アリアを録音したディスクにシュワルツコップ(EMI)とベルガンサ(ロンドン)の名盤があることは吉田秀和氏の著作にもある通りだ。


334 モ-ツァルト ミサ曲ハ長調「戴冠式ミサ」 K.317

 カラヤンの盤もあるが、音楽のはこびに対して無理がなく、誠実に指揮をしているという点でク-ベリック/バイエルン放送so.をとる(1973年。グラモフォン)。カップリング曲も「雀のミサ」「エクスルタ-テ・ユビラ-テ」「アヴェ・ヴェルム・コルプス」となっていて徳用だ。独唱者もすぐれている。


335 モ-ツァルト レクィエム ニ短調 K.626

 なんといってもベ-ム/VPOだ(1971年。グラモフォン)。冒頭の旋律をきいたときに「一体こんなにおそいテンポで保てるのだろうか」と猜疑的になってしまうききても多いだろう。それを保持してしまうウィ-ン国立歌劇場合唱団の低音男声陣に拍手。この低音男声陣はマ-ラ-の交響曲第2番でもメ-タの棒の下で朗々とD音を出しており、わたしはVPOはあまり好まないが、ウィ-ン国立歌劇場合唱団についてはファンなのである。

  

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2010年02月01日

315~330 モーツァルト


315 モ-ツァルト ヴァイオリン・ソナタ第34番変ロ長調 K.378

 モ-ツァルトのヴァイオリン・ソナタといえばハスキルとグリュミオ-の演奏が評価がたかい。しかし1958年ごろの初期ステレオということもあって、音質はあまりよくない。グリュミオ-は後年他のピアニスト(クリ-ンやアラウ)と録音しており、そちらの方が音がいいしグリュミオ-のヴァイオリンにも自発性がある。廃盤などの問題もあろうからここでは「どちらも良い演奏です」と書いておこう。他のヴァイオリニストではゴ-ルドベルクがルプ-と組んでいい演奏をしている(1974年。ロンドン)。


316 モ-ツァルト ピアノ・ソナタ全集

 「まずは全集を」というコクマルガラスの主張から選ぶとワルタ-・クリ-ンの演奏がすぐれている。もとはフィリップスと思われるがVoxBoxから上下各2枚組、つまりCD4枚に収められている(1964年)。モ-ツァルトのピアノ・ソナタ全集というのは意外と選びにくいもので、わたしも30代のときは「安心してきける全集」探しに苦労させられた。この盤に出会ってやっと溜飲が下がったときの晴れやかな気持ちはいまでもはっきり覚えている。クリ-ンのピアノはまったくの正攻法で、音もカチッとした陶磁器を思わせるものだ。その点、セル/クリ-ヴランドo.のモ-ツァルト交響曲などの演奏と類似するところがあるように思う。ダイナミックスもしっかりとられていて、いわゆる「箱庭的演奏」には、ならない。モ-ツァルトのピアノ・ソナタにはしばしば女流が登場するが、そのあたりの問題(スケ-ルが小さくまとまってしまう)がわたしにとっては大きかった。
 わたしが底本にしている音楽之友社『名曲名盤500』では317番から328番にわたってモ-ツァルトのピアノ・ソナタ、幻想曲、ロンド、変奏曲の名盤が選ばれている。それを追って順にわたしの好みの盤を挙げていこうかとも思ったが、結局はクリ-ンの演奏に戻ることになる傾向がつよいのでここではとばすことにする。『コクマルガラスの名曲名盤500』がとりあえず500番まで行って、そのあとまた各曲の「落ち穂拾い」に戻ったときの楽しみとしてモ-ツァルトのピアノ・ソナタはとっておくことにする。


329 モ-ツァルト 歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」全曲 K.588

 まずはベ-ム/フィルハ-モニアo.の録音を、とる(1962年。EMI)。EMIのプロデュ-サ-、ウォルタ-・レッグはこの録音について、この先10年(と言ったように記憶するが、もしかしたらもっとだったかもしれない)はこの録音を超えるものは出ないだろうと述べたが、その予想は謙遜に過ぎた。40年以上過ぎたいまでもまだ凌駕されていない。主役ふたりのシュワルツコップとル-トヴィヒの歌唱も傑出している。


330 モ-ツァルト 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」全曲 K.527

 思えばこのオペラも全曲盤をいくつか買ったものだ。なかで一番「デモ-ニッシュなドン・ジョヴァンニ」をきかせてくれたのはクレンペラ-/ニュ-・フィルハ-モニアo.でうたっているニコライ・ギャウロフであった(1966年。EMI)。騎士長のフランツ・クラスとのかけあいの部分はまさしく「低音の魅力」であった。
 しかしこの選び方はすこし私的にすぎるかもしれない(クレンペラ-盤は曲全体のバランスがいささか重い)ので、カラヤン/VPOの盤(1985年。グラモフォン)を挙げておく。口うるさくて強引な指揮者がオペラを振ったときだけは真面目にやるオ-ケストラであるし、真面目にやれば実力はあることを示す盤である。

  

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2010年01月31日

310~314 モーツァルト


310 モ-ツァルト 弦楽四重奏曲第14~19番「ハイドン・セット」

311 モ-ツァルト 弦楽四重奏曲第21~23番「プロシャ王」
                           (全曲あるいは選集)

 アルバン・ベルクSQは2回、モ-ツァルトの弦楽四重奏曲全集を出している。1980年代に録音された2回目の全集(EMI)は力感にみちた演奏になっており、そのぶんたしかに迫力は増しているがわたしの感想としては「ベ-ト-ヴェンならこの再現でぴったりだろう」というものであった(事実ABQがEMIに入れたベ-ト-ヴェンの弦楽四重奏曲全集は素晴らしいできばえになっている)。それに比して1回目の全集(1975~78年。テルデック)は完璧なアンサンブルに視点がいっており、そのすこしひんやりとした質感がモ-ツァルトにうまく合っていた。まずもって1回目の全集をチョイスすべきであろう。


312 モ-ツァルト ピアノ四重奏曲第1番ト短調  K.478
           ピアノ四重奏曲第2番変ホ長調 K.493

 ネタ本ではクリ-ン、アマデウスSQ団員(1981年。グラモフォン)を第1位に推している。これもわたしが若いときに廃盤になっていて、1位推薦盤をきいていない。このトシになって「なるほど、その組み合わせならうまくいくだろう」と思うが手遅れもはなはだしい。わたしが持っているのはセル、ブダペストSQ団員(1946年。ソニ-)による録音だが、セルのピアノがどうにもカチカチで「これがモ-ツァルトの指揮を得意とする人の演奏であろうか」と思ったことを覚えている。つまり、この曲については録音のいい名演にめぐまれていない。クリ-ン盤の再発を望むばかりである。


313 モ-ツァルト フル-ト四重奏曲(全4曲)

 この曲など、クイケン兄弟が得意にしている(1982年。アクサン)が、どうも古楽器によるピロピロした音色はユ-モラスすぎて好きでない。他にいろいろ探したことがあるが、フル-ト奏者のイマジネ-ションをかき立てないのか、あまり名人によるディスクが見当たらなかった。ニコレ、モ-ツァルト・トリオによる日本での録音(1983年。デンオン)もまずまずだが、わたしとしては日本コロムビアの残響のすくない録音にはいささかの疑問が残る。


314 モ-ツァルト オ-ボエ四重奏曲ヘ長調 K.370

 この曲もホリガ-が録音した演奏は何故かわたしの好みでない。やはりロ-タ-・コッホが録音したふたつの盤(ひとつはベルリンpoゾリステンとの共演。1965年。もうひとつはアマデウスSQ団員との1975年盤)が良い。わたし個人の好みとしてはベルリンpoゾリステンとの録音のほうを、とる。コッホの後にBPOの首席に座ったシェレンベルガ-の演奏した盤もあるが、いささか以上に弾き崩しがあってわたしはあまり好きでない。

  

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2010年01月30日

304~309 モーツァルト


304 モ-ツァルト クラリネット協奏曲イ長調 K.622

 なるべく録音のよい盤を先行させてきたが、この曲についてはウラッハ、ロジンスキ/ウィ-ン国立歌劇場o.の盤(1954年。ウエストミンスタ-)が素晴らしい。ウラッハの人懐こい音色はモ-ツァルトやブラ-ムス、シュ-マンなどにぴったりである(もっとも当人は怒りっぽくて厳しい人だったそうだが)。そうした音色を鬱陶しいと思う方にはシア・キングのバセット・クラリネット、テイト/ECOの盤(1985年。ハイペリオン)を挙げる。こちらも目のつんだしっとりとした音色だが、爽やかに吹き抜ける風がある点がウラッハ盤と情緒を異にしている。


305 モ-ツァルト ホルン協奏曲(全4曲)

 この曲についてはブレイン、カラヤン/POの演奏の世評がたかいが、わたしはブレインの再現はすこし音楽が流れすぎる気がするので、とらない。ザイフェルト、カラヤン/BPO(1968年。EMI)、ヘ-グナ-、ベ-ム/VPO(1978~79年。グラモフォン)のいずれも立派な演奏だが、こちらは逆にすこし音楽が重くなっている。そうした状況からタックウェル、マリナ-/アカデミ-室内o.(1971年。EMI)を、とろう。管弦楽の演奏人数も少なめで、シェイプアップされたモ-ツァルトを楽しむことができる。


306 モ-ツァルト 弦楽五重奏曲第3番ハ長調 K.515

307 モ-ツァルト 弦楽五重奏曲第4番ト短調 K.516

 小林秀雄氏や吉田秀和氏がこの曲(第4番の第2楽章であったか)について「トリステ・アランテ(走るかなしみ)」と評されているのを読んで「モ-ツァルトの音楽をひとことで言い表されたように驚いた」と書いておられる。そうした感覚を実際に音楽にすることはなかなか難しいが、アルバン・ベルクSQ(1986年。EMI)はその完璧なアンサンブルと歌心でそれを成し遂げている。ブダペストSQは「モ-ツァルト弦楽五重奏曲集」という3枚組のセットを出しているが、ABQには遠くおよばない。


308 モ-ツァルト ピアノと管楽のための五重奏曲変ホ長調 K.452

 グルダとウィ-ンpo管楽アンサンブル(1960年。グラモフォン)の評判が高い。わたしが30代のとき廃盤できかずにしまったが、いまは復活しただろうか。わたしの所有しているのはプレヴィンのピアノ、ウィ-ン管楽合奏団による1985年のテラ-ク盤だが、これもなかなかいい。


309 モ-ツァルト クラリネット五重奏曲イ長調 K.581

 しばしばブラ-ムスのクラリネット五重奏曲とカップリングされる曲だ。曲想も似通っているから片方がよければまずはもう一方もいい演奏である。新しい録音としてはプリンツとウィ-ン室内合奏団(1979年。デンオン)が濃密な表現をみせる。古い方ではなんといってもウラッハとウィ-ン・コンツェルトハウスSQ(ウエストミンスタ-)であろう。こちらもひたひたとせまってくるような演奏で、ブラ-ムスの演奏ともどもまことに寂寥感にみちた再現になっている。

  

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2010年01月29日

298~303 モーツァルト


298 モ-ツァルト ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216

299 モ-ツァルト ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調 K.218

300 モ-ツァルト ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調「トルコ風」 K.219

 モ-ツァルトのヴァイオリン協奏曲には、再現においてなにがしかのコツがあるみたいである。曲との相性と言い換えてもよい。「それならスケ-ルが小さめで肌理のこまかい音楽をやるヴァイオリニストが合うのだろう」と言われると、部分的にはたしかにそうだけれど、それだけでもない気がする。
 個人的に好きなのはここでもグリュミオ-とコリン・デイヴィス/LSOの演奏(1961~62年。フィリップス)であるが、もう一方でオイストラフがBPOを弾き振りした盤(1970~72年。EMI)も挙げておきたい。パ-ルマンやムタ-による再現もきいたけれど、なんとなく馴染めなかった。ここで「モ-ツァルトとの相性」についての表現が浮かんだのだけれど、「内に向かっていく力と外に放射される力のバランスがたいせつ」なのではないか?
 これもいま思いついたのだが、いっときヒラリ-・ハ-ンがすごい人気だったけれど彼女はモ-ツァルトの協奏曲を録音しないのかしら。それとももう録音したのだっけ?


301 モ-ツァルト フル-ト協奏曲第1番ト長調 K.313
    モ-ツァルト フル-ト協奏曲第2番ニ長調 K.314

 選ぶのがむずかしい。良い盤のいくつかは挙げることができるが、いまのところ決定盤と言えるものがない。列挙してゆく。グラ-フ、レパ-ド/ECO(1984年。クラ-ヴェス)。ゴ-ルウェイ、ブリユ-ル/ニュ-・アイリッシュ室内o.(1973年。RCA)。ニコレ、リヒタ-/ミュンヘン・バッハo.(1960年。テレフンケン)。これらの盤のなかでフル-トの音色にいちばん納得がいったのはゴ-ルウェイ盤であった。モイ-ズもきいたが録音が悪すぎた。協奏曲第1番のみの選択ではウィ-ン・フィルのトリップ(ベ-ム盤)は歌い方にクセがあり、ベルリン・フィルのブラウ(カラヤン盤)はレガ-ト奏法に傾きすぎた。結局ゴ-ルウェイが平均打点の高さで首位に立ったが、わたしの知らない決定盤がどこかにあることを信じて待つとしよう。


302 モ-ツァルト フル-トとハ-プのための協奏曲 K.299

 30年前からランパル、ラスキ-ヌ、パイヤ-ル/パイヤ-ル室内o.の演奏が高く評価されている(1963年。エラ-ト)。良く売れるのでエラ-トも廉価盤にして出しているようだ。これでまずもって充分だが、ランパル以外のフル-ト奏者によってきいてみたいという方にはゴ-ルウェイ、ヘルミス、カラヤン/BPO(1971年。EMI)の演奏をお薦めする。ゴ-ルウェイのすっきりとした音色がこの曲によく合っている。


303 モ-ツァルト オ-ボエ協奏曲ハ長調 K.314

 ホリガ-の演奏した盤の評価がたかい。自身が指揮も受け持ったアカデミ-室内o.の盤(1983年。フィリップス)とデ・ワ-ルト/ニュ-・フィルハ-モニアo.が伴奏をした盤(1970年。フィリップス)がある。わたしの見解ではどちらもいまひとつという気がする。どちらか選んでほしいと言われればオ-ケストラの順応性の優位で前者をとる。カップリングが徳用という理由もある(クラリネット協奏曲とバス-ン協奏曲が入っている)。個人的に好きなのはコッホのオ-ボエ、カラヤン/BPOの演奏による1971年の盤(EMI)だ。わたしの個人的な好みを共有する人もけっこういるらしくてEMIのこの盤はいまでも現役だ。しかし初発のときはクラリネット協奏曲とファゴット協奏曲(別名バス-ン協奏曲)がカップリングされていたのに、最近ファゴット協奏曲のほうが削られてしまった。乱暴な話である。まあカラヤンのモ-ツァルトの木管協奏曲はオ-ボエ協奏曲だけが突出していてあとはいまひとつなのでいいと言えばいいけれど。

  

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2010年01月21日

292~297 モーツァルト


292 モ-ツァルト ピアノ協奏曲第22番変ホ長調 K.482

 このへんからますます「ブレンデルの全集をおききなさい」と言いたい曲ばかりになってくる。カサドシュがセル/コロンビアso.と組んだ盤が昔から評判がたかい。ここでのコロンビア響というのはワルタ-の下のときとまた違ってクリ-ヴランドo.が実体である。版権の問題らしいが、みんなソニ-レ-ベルに属するのになぜ問題が発生するのかいまだによくわからない。もしかしたらワルタ-/コロンビアso.のときと同じで実体はLAPOか? とも思うのだが音色が違う。これもお教えを乞いたいところだ。カサドシュの盤は1959年録音。ソニ-。


293 モ-ツァルト ピアノ協奏曲第23番イ長調 K.488

 ハスキルの演奏。ザッヒャ-/VSO(1954年。フィリップス)。あとグルダがア-ノンク-ルとテルデックに入れた盤があるが、わたしはア-ノンク-ルの指揮を好まない。


294 モ-ツァルト ピアノ協奏曲第24番ハ短調 K.491

 この曲にもハスキルの盤があるが指揮者のマルケヴィチが鉄腕すぎてモ-ツァルトらしくない。やはりカサドシュがセル/クリ-ヴランドo.と入れた盤(こちらは昔からクリ-ヴランドo.という呼称になっている。1961年。ソニ-)か。


295 モ-ツァルト ピアノ協奏曲第25番ハ長調 K.503

296 モ-ツァルト ピアノ協奏曲第26番ニ長調「戴冠式」 K.537

297 モ-ツァルト ピアノ協奏曲第27番変ロ長調 K.595

 このへんになるともう選択の余地なくブレンデル盤、ということになる。グルダがアバド/VPOと組んだグラモフォン盤(25番、27番)、同じグルダがア-ノンク-ル/ACOと組んだテルデック盤(26番)、内田光子がテイト/ECOと組んだフィリップス盤(25、26、27番)、ペライア(25番。ソニ-)、カサドシュ(26番。ソニ-)、カ-ゾン、バックハウス(27番。いずれもロンドン)など、いろいろなディスクをきいたが結局のところブレンデル、マリナ-/アカデミ-室内o.に比肩するものはなかった。

  

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2010年01月20日

288~291 モーツァルト


288~297 モ-ツァルト ピアノ協奏曲

 ピアノ協奏曲という分野でもコクマルガラスの「まず、いい全集をもとめなさい」という主張はおなじである。決して1枚ずつ探究していく楽しみを否定するものではないが、まずは全集で把握してしまったほうが楽だし全体の理解も早まる。マ-ラ-の交響曲などではそれがむずかしかったので1曲ずつ言及したが、モ-ツァルトのピアノ協奏曲全集についてはいいCDがある。ブレンデルがマリナ-/アカデミ-室内o.と録音したものがそれだ(フィリップス)。モ-ツァルトのピアノ協奏曲は2台ピアノや3台ピアノによるものや、初期の他の作曲家からの転用の曲を含めると27曲より多くなる。ブレンデルの盤でも初期の曲はヘブラ-が弾き、複数ピアノの曲のときはク-パ-が加わりといった具合にいろいろあるが、わたしは「ざっと20曲くらいでいいや」という説なので、そうした「いろいろあります」という部分には無頓着である。お許しを。
 全集は他にいろいろなピアニストがやっているがブレンデルの次席にくるのはゲザ・アンダくらいで、それも後期の曲になるとさすがに苦しくなる。協奏曲であるからたとい小規模であってもオ-ケストラが重要なのは言うまでもない。その点アカデミ-室内o.はとてもいい伴奏をする。他にアシュケナ-ジの全集とペライアの全集にツケたフィルハ-モニアo.とイギリス室内o.もいいのだが、当のピアノがアシュケナ-ジやペライアでは食えない。ピリスやハスキル、ヘブラ-、クラウスといった女流のピアノは各論で挙げればよいだろう。


288 モ-ツァルト ピアノ協奏曲第9番変ホ長調「ジュノ-ム」 K.271

 このへんの曲はハスキルがいい演奏を残している(ザッヒャ-/VSO。1954年。フィリップス)。このディスクは音もまあまあ良くとれているので推薦に値する。


289 モ-ツァルト ピアノ協奏曲第19番ヘ長調 K.459

 この曲あたりでペライアの弾き振りをきいておこう。オ-ケストラは全集の項で述べたとおりイギリス室内o.である(1983年。ソニ-)。ペライアのピアノは技巧が弱いがこの曲ならどうにかカヴァ-できる。そんな中途半端なピアノなら厭だという方は無理してよそ見せずブレンデルの全集に立ち戻るといい。


290 モ-ツァルト ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K.466

291 モ-ツァルト ピアノ協奏曲第21番ハ長調 K.467

 この2曲には両方を組み合わせた名盤がある。グルダのピアノ、アバド/VPOによる演奏(1974年。グラモフォン)だ。交響曲第40番、41番とおなじでアバドが旋律重視のすっきりした造形をやっていた頃の録音だ。グルダも透明感のあるタッチでアバドに呼応しており爽快である。ときどき「協奏曲第21番でグルダはスワロフスキ-/ウィ-ン国立歌劇場o.と装飾音符いっぱいの演奏も残している」という評論がなされるが、わたしはその盤(1963年。コロムビア)をきいてもあまり何も感じなかった。グルダの変化球を見たいのであれば「トルコ行進曲付き」のアマデオ盤をきいたほうが面白いと思う。

  

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2010年01月19日

280~287 モーツァルト


280 モ-ツァルト 交響曲第40番ト短調 K.550

 この曲と交響曲41番はよくカップリングされる。そのカップリングでアバドがロンドンso.を振った1980年の録音(41番が79年。グラモフォン)を推す。1970年代のアバドは最も勢いのある時期で、ロンドンのオ-ケストラを振って立て続けに大きなヒットを放っていた。70年代後半からはヨ-ロッパのオケとアメリカのオケでマ-ラ-を振るようになり、そのピ-クの終わり(1980年代おわり)でBPOに就任して凋落の道をたどる。いまアバドのマ-ラ-をきくと「この演奏のどこがいいんだ」と思うが当時はBPOの理事会も目眩ましを食ったのだ。そのアバドが「本当に良かった」時期の傑作がこのモ-ツァルト録音(グルダと入れた協奏曲も含めて)である。


281 モ-ツァルト 交響曲第41番ハ長調「ジュピタ-」 K.551

 この曲の冒頭の「威風堂々」といった感じから終楽章の小林秀雄『モオツァルト』で言えば「主題を梃子にして旋律が奇跡のようにゆらめく」状況までをあますところなく満足させるのは至難のわざである。280でアバド/LSOを挙げたのでセカンド・チョイスになるがベ-ム/BPOの演奏は凄かった。1枚もので出ていたら買ってみることをお薦めしておく。セル/クリ-ヴランドo.も素晴らしい。これはときどき外盤で35番「ハフナ-」とカップリングになっていることがあり、大変な徳用と言える(わたしが所有する盤では35、40、41番のカップリングになっている)。


282 モ-ツァルト セレナ-ド第7番ニ長調「ハフナ-」
                          K.250(248b)

283 モ-ツァルト セレナ-ド第10番変ロ長調「グラン・パルティ-タ」
                          K.361(370a)

284 モ-ツァルト セレナ-ド第13番ト長調
             「アイネ・クライネ・ナハトムジ-ク」 K.525

 セレナ-ドという分野は「モ-ツァルトの管弦楽曲」というとらえかたのできるジャンルだ。前の項目でも述べたように、この分野ではベ-ム/BPOが偉大な業績をのこしている。外盤でセレナ-ド集のセットものがあったが、いまはどうだろうか。「ウインド・アンサンブル」(つまりフル-トやオ-ボエ、ファゴットの協奏曲)という組物もあってどちらも徳用であった。評価はセレナ-ド集と管楽アンサンブル、いずれも最高点をつけうるが、管楽アンサンブルは個々の曲でいろいろ名盤もあるのでここではまずセレナ-ド集はベ-ム/BPOという括り方にしておく。
 1曲だけの選になって恐縮だが、284「アイネ・クライネ・ナハトムジ-ク」についてはベ-ム以外にセル/クリ-ヴランドo.の名演がある。セレナ-ドにしては正面きった演奏になっているが、弦のアンサンブルの精度が息をのむようなレヴェルであって、それでいて「コワモテ」にはなっていない。このへんが旧ソ連のオ-ケストラなどとの根本的な違いである。これもわたしの所有する外盤でモ-ツァルトの交響曲第28、33、35番とセレナ-ド第13番、そして歌劇「フィガロの結婚」序曲がカップリングになったものがある(セル/クリ-ヴランドo.ソニ-)。交響曲第41番のところで挙げた盤と交響曲35番がダブるが、廉価でこのカップリングはたいへん徳用である。インタ-ネット購入でソニ-の廉価盤(の外盤)を購入することができるのはまことに有り難い。


285 モ-ツァルト ディヴェルティメント K.136~138

 これにはいい演奏がある。マリナ-/アカデミ-室内o.(1967年。ロンドン)がそれだ。アンサンブルがキチッと統一されている点はセル/クリ-ヴランドo.などと同じで、この曲(特にK.136の第1楽章)は「疾走感」が大事なだけにそうした能力が活きてくる。以前友人に贈ろうと思ってインタ-ネットで調べたら廃盤だったことがあるので、二番手としてカラヤン/BPO(1968年。グラモフォン)を挙げよう。


286 モ-ツァルト ディヴェルティメント第17番ニ長調
                         K.334(320b)

 わたしには「地味だな」と思わせる曲で、なぜかあまりCDを取り出してきくことがない。ウィ-ン八重奏団員による1961年の録音(ロンドン)が評価の高いものだ。ブラ-ムスのホルン・トリオなんかが好きな人はこの曲にも親しみをおぼえるだろう。あくまでしっとりとした室内楽、といった印象である。編成の大きなカラヤン/BPO(1965年。グラモフォン)などできいたらイメ-ジも変わるのだろうか。


287 モ-ツァルト 協奏交響曲変ホ長調 K.364(320d)

 この曲もモ-ツァルトのスペシャリスト、セルの独壇場だ。セル/クリ-ヴランドo.にドルイアン(vn)、スカ-ニック(va)が参加して1963年に録音したディスクである(ソニ-)。わたしは勉強不足にしてこのドルイアン、スカ-ニックという人はクリ-ヴランドo.のリ-ダ-だと思っていたが、なんだかCSOやBSOのディスクでもこの名がクレジットされているのを見たことがあるような気がする。どなたか正確なところをお教えくださると幸いである。

  

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2010年01月18日

276~279 モーツァルト


276 モ-ツァルト 交響曲第35番ニ長調「ハフナ-」 K.385

 この曲の「リズム感覚」を見事にとらえてみせたのがセル/クリ-ヴランドo.である(1960年。ソニ-)。吉田秀和氏の表現を借用すれば「まるで射撃の名人の腕前を見るよう」な演奏である。これだけ快速なテンポでよくもまあメトリックを曖昧にせずに前面に出せるものだと感嘆させられる。セルの盤は外盤などで他の後期交響曲とカップリングされているし、廉価なので是非ともお薦めしたい。


277 モ-ツァルト 交響曲第36番ハ長調「リンツ」 K.425

 ワルタ-が1955年にコロンビア交響楽団(これはモノラル期の録音なので後年のステレオ期とちがってNYPが母体である。ステレオ期のコロンビア交響楽団はロスアンジェルス・フィルが母体で、いずれも権利上の問題から別称を使っていたことになる。モノラルとステレオでまったく違うオ-ケストラであるから注意されたし)を振ったディスクにはLP時代にリハ-サル風景がおまけでついていた。CD時代にもなんらかのボ-ナストラックでついているのかもしれないが、この練習風景はまことにワルタ-という指揮者のトレ-ニングを知る上で重要であった。なんとかして販売してもらいたいものだ。まあそのLPでのコロンビア響の演奏は意外にも凡庸な出来におわっているが、後年ステレオ期にコロンビア響(よってこれはLAPOが実体)を振ってなされた録音(1960年。ソニ-)の演奏は素晴らしいものになっている(ワルタ-は冒頭主題の演奏について同じ要求をしたと想像されるが、完全にできている。みごと!)。こうした経緯からだけでもワルタ-盤をもとめる価値はあるし、じっさい全曲を通して名演なのだから躊躇するいわれもない。


278 モ-ツァルト 交響曲第38番ニ長調「プラハ」 K.504

 10数年前わたしが買ったときのワルタ-/コロンビアso.のステレオ盤(1959年。ソニ-)は「リンツ」と抱き合わせになっていたが、ソニ-という会社はまことにずるい商売をやるようで、数年前にはカップリングが変わっていた。しかしそれをはずすとベ-ム/BPOくらいしか選ぶものがなくなる。違うカップリングでも泣く泣くもとめるしかないだろう。ワルタ-/コロンビアso.の後期モ-ツァルトにくずはないから2枚買うのもやむなしか。


279 モ-ツァルト 交響曲第39番変ホ長調 K.543

 これはベ-ム/BPOの演奏がいいのだが単発では出ていないようだ。ベ-ムのモ-ツァルトはセレナ-ドできくとしておこう。またぞろワルタ-のステレオ盤を出すのも芸がないので、このへんでホグウッド/エンシェント室内o.をきいておいてもいいかもしれない(1981~82年。オワゾリ-ル)。ク-ベリックもバ-ンスタインも、カラヤンもシュ-リヒトもダメですからご用心あれ。

  

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2010年01月17日

271~275 モーツァルト


271 モ-ツァルト 交響曲第25番ト短調 K.183(173dB)

272 モ-ツァルト 交響曲第29番イ長調 K.210(186a)

273 モ-ツァルト 交響曲第31番ニ長調「パリ」 K.297(300a)

274 モ-ツァルト 交響曲第33番変ロ長調 K.319

275 モ-ツァルト 交響曲第34番ハ長調 K.338

 おおむね「中期」に分類される交響曲である。バラで1枚、また1枚ともとめてゆくのも楽しいが、後期の35番から41番までの6曲(37番を欠くため6曲になる)とちがって1曲ずつの解釈と言うよりは「ひとまとまり」として演奏される傾向が強い。
 そこで問題は、あなたがどういう傾向の演奏を好むかになる。そしてあなたの好む傾向で「交響曲全集」をもとめてしまうことをまずお薦めする。それをたっぷりきいた後で後期交響曲を違う指揮者とオ-ケストラで1枚ずつきいてゆけば理解もはやい。

傾向1.古楽器演奏による歴史考証的演奏。
 これにはホグウッドの全集がある。1980年代にはオ-ケストラの名前はエンシェント室内o.と呼ばれていたが吉田秀和氏が「書くたびに腹がたつ」と評してからはすこし変わったらしい。どっちにせよ学究的な面では立派かもしれないがまったくもってわたしの好みではない。全集を買って全部きいた男のいつわらざる感想である。

傾向2.モダン楽器によるロマンティックな演奏。
 ワルタ-/コロンビア交響楽団とかカザルス/マ-ルボロ音楽院o.などの演奏がここに入る。しかしどちらも全集ではない(録音は後期に集中する)。全集があるものとしてはベ-ム/BPOの風格ゆたかな演奏がある。わたし個人としてはベ-ムの全集が最初のセットだったこともあって推したいが、モ-ツァルトにしてはちょっとばかり押し出しが強すぎるかなと思う(しかしベ-ムの構成力とBPOの演奏は素晴らしい!)。そんな具合でこれらは「あとから1枚ずつ聴く後期交響曲集」に分類してよさそうだ。

傾向3.折衷的な解釈でモダン楽器による演奏。
 ジェフリ-・テイトがイギリス室内o.を振ったもの。ベ-ムの豪快にくらべてテイトの柔軟といえる。「すこし頼りないかな」と思うときもあるが、旋律に一本シンが通っていて噛むほどにあじわいが出てくる。ECOのすぐれた合奏力ゆえのことだろう。モ-ツァルトの解釈としてはこのへんがベストではないか。もうひとつ、これはわたしも買ったけれどまだききこんでいない全集としてマリナ-/アカデミ-室内o.によるフィリップスへの録音がある。2回ずつくらいはきいたのだが、その時点での評価ということでお許しいただければ「ちょっと曲ごとに指揮の視点がバラつく」という気がした。そこで現段階としてはテイトの全集を推す。

 というわけで「まず買う全集」としてテイト/ECOのものを推薦する。

  

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2010年01月16日

266~270 メンデルスゾーン~モンテヴェルディ


266 メンデルスゾ-ン 劇音楽「真夏の夜の夢」全曲 Op.61

 この曲の優美な幻想感をうまく出しているのがプレヴィン/LPOだ(1976年。EMI)。クレンペラ-の盤もあるが、この曲にはいささか身振りが大きすぎた。序曲だけをとればセル/クリ-ヴランドo.の演奏(1967年。ソニ-)が素晴らしい。セルの演奏はおおむねメンデルスゾ-ンの交響曲第4番とカップリングされるから、それをもとめれば徳用である。


267 メンデルスゾ-ン ヴァイオリン協奏曲ホ短調 Op.64

 ネタ本ではクライスラ-やらハイフェッツやらが挙げられているが、わたしは断然オイストラフの盤をとる(オ-マンディ/フィラデルフィアo.1956年。ソニ-)。オイストラフでは恰幅がよすぎてメンデルスゾ-ンには合わないんじゃないかって? 大丈夫です、まるで妖精のように弾いていますから。しかしわたしの所有するネタ本が執筆された1980年代中盤というのはハイフェッツ、スタ-ン、クライスラ-が1、2、3位を占める時代だったのであるなあ。感無量だ。


268 メンデルスゾ-ン ピアノ三重奏曲第1番ニ短調 Op.49

 わたしが所有するのはイストミン(p)、スタ-ン(vn)、ロ-ズ(vc)が組んだもの(1966年。ソニ-)だ。わたしが30代のときにこれしか現役でなかったのでいままでそれをきいてきた。だがこのメンバ-はメンデルスゾ-ンの演奏にはいささかヤニっこいと思うようになった。今度もとめるとしたらケフェレック(p)、アモイヤル(vn)、ロデオン(vc)の組み合わせをとるだろう(エラ-ト)。


269 メンデルスゾ-ン 無言歌(全曲あるいは選集)

 どうといったことのない曲がならぶ。美しいことは確かだが、あんまりわたしの心に入ってこない。わたしの持っているのは田部京子が1993年の録音したデンオン盤だ。こういう曲にかんしては録音がいい方がいい。非力の代表みたいなエッシェンバッハが全曲を出していたが、まだ現役盤だろうか。バレンボイムとギ-ゼキングはやめたほうがいいと思う。


270 モンテヴェルディ 聖母マリアの夕べの祈り

 声楽指揮の天才コルボは2回、録音している。新盤はオリジナル楽器を使用して歴史的考察を取り入れている。結論から言えばこれはコルボの土俵ではなかった。モダン楽器による1966年の旧盤(ロ-ザンヌ室内アンサンブル。エラ-ト)のほうがはるかに初発的な美しさにみちている。バロック期のこうした作品になると評論家はいきまいて古楽器スタイルを持ち上げるが、さっぱり美しくも面白くもない。もう一度言う。コルボの旧盤だ。

  

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2010年01月15日

260~265 マルチェッロ~メンデルスゾーン


260 マルチェッロ オ-ボエ協奏曲ニ短調

 この曲になると、昔からホリガ-の盤が定評がある(ネグリ/ドレスデン国立o.1972年。フィリップス)。まあ、この『コクマルガラスの名曲名盤500』においてオ-ボエ協奏曲が出てくるのはマルチェッロとモ-ツァルトの項ぐらいだろうからホリガ-に花を持たせておいてもよいのだが、ばらしてしまうとわたしはホリガ-の音があまり好きでない。きいたあとに「芸術に接した」というよりは「偉い先生の講義をきいた」という感覚になってしまうのだ。その点、ピエルロの盤(シモ-ネ/イ・ソリスティ・ヴェネティによるものとパイヤ-ル/パイヤ-ル室内o.によるもののふたつがある。レ-ベルはどちらもエラ-トだ)はまことに愉悦的な音色で吹かれており、ニ短調という哀感のまつわる曲想にも不足なく応えている。モ-ツァルトのオ-ボエ協奏曲ではロ-タ-・コッホを挙げることになるだろうから、マルチェッロはピエルロだ。


261 マスカ-ニ 歌劇「カヴァレリア・ルスティカ-ナ」全曲

 このオペラの「間奏曲」をもっともうまく演奏できるのはカラヤン/BPOである。序曲とか間奏曲を集めたディスクが出ているはずだから(グラモフォン)買ってみるのもいい。全曲という要求ならばシノ-ポリ/PO、ドミンゴとバルツァの盤(1989年。グラモフォン)であろうか。古典的名盤をという方にはエレ-デ/フィレンツェ五月音楽祭o.、テバルディ、ビョルリンクの演奏(1957年。ロンドン)がいいと思う。セラフィンがロ-マ聖チェチ-リア音楽祭o.を振った1960年の盤もあるが、わたしはいまもってロ-マ国立歌劇場o.以外のオ-ケストラを振ったセラフィンに感動したことがない。


262 マスネ 歌劇「ウェルテル」全曲

 このオペラならクラウス、クラウスなら「ウェルテル」というくらいアルフレ-ト・クラウスの名がたかい。プラッソン/LPOと組んだクラウス(1979年。EMI)の歌唱をきいてわたしも異議なし。


263 メンデルスゾ-ン 交響曲第3番イ短調「スコットランド」 Op.56

 クレンペラ-のメンデルスゾ-ンは重厚で巨大なつくりになっている。テンポも大変におそい。それがメンデルスゾ-ンの再現にふさわしいかどうかは議論もあろうが、わたしは好きである。特にこの曲についてはそうした指揮が合うように思うがどんなものだろうか。フィルハ-モニアo.1960年の録音。EMI。


264 メンデルスゾ-ン 交響曲第4番イ長調「イタリア」 Op.90

 冒頭の陽光の差し込んでくるような旋律のイメ-ジをいちばん鮮明にとらえているのがセル/クリ-ヴランドo.の演奏だ(1967年。ソニ-)。セルの性格無比な演奏がもっともエラン・ヴィタルを感じさせることに気づいたときは驚いたものだ。シノ-ポリ/POやトスカニ-ニ/NBCso.を持ち上げる批評があるが、クリ-ヴランドに比べるとフィルハ-モニアは生ぬるいし、トスカニ-ニの苛々した演奏など聴きたくもない。


265 メンデルスゾ-ン 交響曲第5番ニ長調「宗教改革」 Op.107

 3番や4番と比べると、あまり面白くない曲だ。ミュンシュ/BSO(1958年。RCA)を推しておく。これ1曲だけではCD1枚にならないから3番あるいは4番とのカップリングになるが(ミュンシュ盤はどちらともカップリングされた経歴がある)、その曲でミュンシュの明快な解釈を聴くのも楽しいだろう。

  

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2010年01月14日

256~259 マーラー


256 マ-ラ- 歌曲集「子供の不思議な角笛」(全曲あるいは抜粋)

 正直言ってわたしはこの曲と相性がわるい。マ-ラ-の歌曲であるなら「リュッケルト歌曲集」のほうがはるかに親しみがもてる。そんなわけで抜粋のセル/LSO盤(1968年。バリトンはフィッシャ-=ディ-スカウ。ソプラノはシュワルツコップ。EMI)を挙げておく。バ-ンスタインがNPOを振って管弦楽伴奏でいれた盤(1969年。ソニ-)もバ-ンスタインがピアノ伴奏をした盤(1968年。ソニ-)もきいたが(どちらもル-トヴィヒとベリ-の独唱である)、結局馴染めなかった。


257 マ-ラ- さすらう若人の歌

 次項の「亡き児をしのぶ歌」ならびにその次の「リュッケルトによる5つの詩」と一緒のカップリングになった盤があり、それがすべてベスト・チョイスになるので第一に挙げる。「さすらう若人の歌」についてはフルトヴェングラ-がフィルハ-モニアo.を振って、フィッシャ-=ディ-スカウの歌った盤(1952年。EMI)である。セカンド・チョイスとしてはアンドレアス・シュミットが歌ってロペス=コボス/シンシナティ交響楽団が伴奏したもの(1991年。テラ-ク)を挙げる。この盤では「リュッケルトによる5つの詩」の中の第2曲「美しさゆえに愛するのなら」が削除されているが、いちばん重要度のひくい曲のクリティカル・カットであるから問題あるまい。


258 マ-ラ- 亡き児をしのぶ歌

 257で挙げたフィッシャ-=ディ-スカウ盤がここでも1位。この曲ではケンペ/BPOがツケている(1955年。EMI)。1950年代のケンペの録音には案外すぐれたものがすくないが、歌手に触発されてかここでは素晴らしい演奏を見せる。第2位にシュミットの盤を挙げることも同じだ(シュミット盤では一貫してロペス=コボス/シンシナティ交響楽団がツケている)。


259 マ-ラ- リュッケルトによる5つの詩
 257と258で挙げたフィッシャ-=ディ-スカウのEMI盤の最後にこの曲が収められている(1978年)。バレンボイムのピアノもよく意図を汲んでいるし、フィッシャ-=ディ-スカウの声も全盛期の最後半にあたる。管弦楽伴奏でききたいという方にはここでもシュミット盤をお薦めする(ロペス=コボス/シンシナティ交響楽団。1991年。テラ-ク)。


ちょっと休憩。

 マ-ラ-の歌曲集のいくつか(「さすらう若人の歌」「亡き児をしのぶ歌」「リュッケルトによる5つの詩」)のすぐれたディスクを選ぶにあたって、なぜ女声によるものを対象にしなかったのか訝る方もおられよう。わたしの正直な意見を述べさせてもらえば、これらの曲は女性には無理だ。そのあまりの深刻さについてゆけるだけの歌唱をきかせる女性を、わたしはまだ知らないのである。こんな差別的な発言をする前にわたしが女声によるディスクをいろいろきいたことは言うまでもない。フェリア-、ベイカ-、ル-トヴィヒ等々。どれも、駄目であった。女性というのは生の歌はうたえても死の歌には向かないのではなかろうか。

  

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2010年01月13日

251~255 マーラー


251 マ-ラ- 交響曲第6番イ短調「悲劇的」

 これはラインスドルフ/BSOの演奏がいい(1966年。RCA)。CD1枚に収まっていることも有り難いし、演奏もすばらしい。第1楽章からフィナ-レまで一貫した緊張感を保つのがむずかしい曲だが、見事にやりおおせている。1966年という演奏年代から「スタイルが古いのではないか」と心配されるむきもあろうが、演奏、録音ともに最新のものに比してもひけをとらない。


252 マ-ラ- 交響曲第7番ホ短調「夜の歌」

 交響曲第3番と同じく、名演の生まれにくい曲である。ショルティ/CSOの録音もいいが(1971年。デッカ)、個人的にクレンペラ-/ニュ-・フィルハ-モニアo.の1968年の録音(EMI)にひかれるときがある。「個人的に」と書いたのは極端に遅いテンポをとっている部分が一般的でないかもしれないと思ったからだが、その遅いテンポから浮き彫りにされる音楽の「巨大さ」はすごい。


253 マ-ラ- 交響曲第8番変ホ長調「千人の交響曲」

 この曲はク-ベリック盤がいい(バイエルン放送so.1971年。グラモフォン)。CD1枚に収められているのもうれしいし、録音、演奏、いずれも良い。ショルティ盤の評判がたかいようだが、ちょっと勢い込んだ感のある指揮と独唱者の不揃いがどうしても気になる。スケ-ルの大きさというものは落ちついた人でないと出せないことの好例。


254 マ-ラ- 交響曲第9番ニ長調

 この曲についてはいろんなディスクを買った。カラヤンは1979年にBPOを振って録音している。その後バ-ンスタインがBPOを振って同じ1979年に名演のライヴ録音をのこすと、1982年にカラヤンがBPOを振って再びライヴ録音をする(カラヤンがライヴ音源の発売をこうした大曲で認めるのは珍しい)。クラシック・ファンは「たぶんカラヤンはバ-ンスタインの持ってきたパ-ト譜を使ったのだろう」と噂したものだ。このへんの事情はアバド下のBPOがヴァントを迎えてブルックナ-の5番の名演をのこしたあと、アバドが来日公演で同じ曲を振ったのと似ている。
 ほかにワルタ-/VPOの1938年ライヴ(EMI)、バルビロ-リ/BPOのいわくつきの名演の1964年盤(EMI)なども棚に、ある。
 結論としてわたしが挙げる盤は2種になる。お許しを。クレンペラ-/ニュ-・フィルハ-モニアo.の演奏(1967年。EMI)がまず、すごい。終楽章の滔々たる流れの感覚はクレンペラ-ならではだ。ふたつめはジュリ-ニ/CSOの演奏だ(1975年。グラモフォン)。交響曲第1番のところでも述べたようにジュリ-ニという指揮者の「把握の大きさ」を痛感させられる演奏である。第3楽章の機動性から終楽章へのきわめて静かな流れへの対比が感動的で、ここでもシカゴ交響楽団の実力を思い知らされる。


255 マ-ラ- 大地の歌

 クレンペラ-/ニュ-・フィルハ-モニアo.による1964、66年の録音を第一に推す。テノ-ルとアルト(もしくはテノ-ルとバリトン)による歌唱が重要な位置を占めるのは当然で、クレンペラ-盤のヴンダ-リヒとル-トヴィヒが素晴らしい。特に奇数楽章でのヴンダ-リヒの歌いぶりは絶品で、トラック1、3、5だけを抜き出して聴くこともよくある。ワルタ-/VPOの1952年の録音(ロンドン。独唱者はパツァ-クとフェリア-)も良い演奏だが、この盤をきくにあたっては「フェリア-のこもった声が好きかどうか」が別れ道になる。わたしは彼女のモゴモゴした歌唱を好まない。
 偶数楽章をアルトではなくバリトンでききたい、という方にはクレツキ/POによる演奏(テノ-ルはマ-レイ・ディッキ-、バリトンはフィッシャ-=ディ-スカウ。1959年。EMI)をおすすめする。フィッシャ-=ディ-スカウはバ-ンスタインがウィ-ン・フィルを振った盤でも歌っているが(1966年。テノ-ルはジェ-ムズ・キング)1959年の盤のほうがコンディションが良い。

  

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2010年01月12日

246~250 マーラー


246 マ-ラ- 交響曲第1番ニ長調「巨人」

 マ-ラ-についてはブルックナ-とちがい「全部この指揮者で良い」という決め方ができない。それにはいろいろな要素が絡んでくる。交響曲9曲のうち4曲に声楽が入ってくることもそうした要素のひとつであるし、1曲ごとの「性格分け」がひとりの指揮者とひとつのオ-ケストラでは難しいということもある。
 ジュリ-ニ/CSOによる演奏(1971年。EMI)を選ぶ。1970年代、シカゴ交響楽団はショルティの下で次々とマ-ラ-の名演を生み出すが、それと拮抗するかのようにこの名盤が生まれていることは驚きだ。ジュリ-ニの棒の下でマ-ラ-は「ひとつの大きな完結した世界」を造形せられる。この「大きさ」は破格であり、そのことがジュリ-ニが振ったもうひとつのマ-ラ-:交響曲第9番できわめて興味深く生かされることになる。


247 マ-ラ- 交響曲第2番ハ短調「復活」

 この曲には決定盤が存在する。メ-タ/VPO盤がそれだ(1975年。ロンドン)。ウィ-ン・フィルなんて、たまにしか名演を残さないが、これはその「たま」である。合唱を受け持つのはむろんウィ-ン国立歌劇場合唱団であるが、その威力がすごい。終楽章の中盤でベ-スがDを要求される部分があるが、その部分だけとってもこの盤にせまることのできる演奏は、ほとんどない。女声がコトルバス(S)とル-トヴィヒ(Ms)であるのも強みである。


248 マ-ラ- 交響曲第3番ニ短調

 この曲には決定的な盤がいまのところ、ない。曲そのもののすこし散漫になりやすい性格にも責任がある。バ-ンスタイン/NYPの勢いのある演奏(1961年。ソニ-)を挙げておく。アバドもショルティもメ-タもダメであった。


249 マ-ラ- 交響曲第4番ト長調

 終楽章のソプラノが美しいかどうかも大きな問題だが、楽章間の屈折した対比がうまくいっているかどうかによって成否がわかれる。わたしはバ-ンスタイン/NYPの盤(1960年。ソニ-。ソプラノはレリ・グリスト)が好きだ。ヴィヴラ-トのすくないグリストの清楚な声が曲にぴったりだと思う。バ-ンスタインは新盤でボ-イ・ソプラノを起用したりしてみたが旧盤の美しさにはおよばなかった。


250 マ-ラ- 交響曲第5番ハ短調

 人気のある曲だ。この曲にかんするかぎりショルティ/CSOの1970年の録音以外に考えられない(デッカ)。シカゴ交響楽団の金管セクションの素晴らしさを思い知らされる盤でもある。最初のCD化の時点では終楽章の圧倒的なコ-ダの部分-ホルンのファンファ-レがあるところ-でリミッタ-がかかったように音量がポンと小さくなる録音技術上のミスがあったが、2008年にもとめた盤では改善されていた。第4楽章のアダ-ジェットの美しさも比類がない。

  

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2010年01月11日

237~245 ラロ~リスト


237 ラロ チェロ協奏曲ニ短調

 これはヨ-ヨ-・マのディスクで決定。マゼ-ルの指揮。フランス国立管弦楽団(1980年。ソニ-)。カップリングがシュ-マンとサン=サ-ンスのチェロ協奏曲で、その両方がベスト・チョイスなのだからまったく迷わない。


238 レハ-ル 喜歌劇「メリ-・ウィドウ」全曲

 わたしには「ウィ-ン趣味」というものがよく、わからない。ウィ-ン・フィルハ-モニカ-のどこがいいオ-ケストラなのかよく、わからない(たまに凄い演奏をすることもあるが、本当にたまにだ)。陰険な街だなあと昔から思う。ウィ-ンとかパリとかいう街に行ったら、ひそひそ悪口を言われないように注意しないといけない。古都というのはいろいろな感覚が飽和状態になっていて、しまいに人の不幸だけが楽しみになる。「メリ-・ウィドウ」やら「こうもり」やらの陰湿さはどうであろうか。わたしにはさっぱり笑えないオペラなのである。
 わたしの持っているのはカラヤン/BPOの演奏。1枚ものの抜粋盤(1972~73年。グラモフォン)だが不足を感じたことはない。どうしてもウィ-ンの脂粉の香りをと仰有る方にはアッカ-マン/PO(1953年。EMI)を。


239 レオンカヴァッロ 歌劇「道化師」

 モリナ-リ=プラデルリ盤(ロ-マ聖チェチ-リア音楽院o.1959年。ロンドン)がデル・モナコの歌唱で光る。ドミンゴの歌でききたいのだが、全曲では指揮が弱い。ドミンゴとパヴァロッティの歌唱がなかなかオペラの全曲盤で楽しめないというのはカラヤンを除く20世紀指揮者の怠慢であったと思うのはわたしだけか。


240 リスト 交響詩「前奏曲」 S.97

 リストがきらいな人は多い。わたしもそのひとりである。カラヤン/BPOにまかせておこう。1967年の録音と1983年の録音がある。どっちも同じだ。


241 リスト ハンガリ-狂詩曲集(オ-ケストラ版、ピアノ版を含む)

 この曲には面白いCDがある。RHAPSODIES(ラプソディ-ズ)というタイトルのCDでストコフスキ-がRCAso.を振っている(1960年。RCA)。カップリングに「売られた花嫁」などの管弦楽ショウ・ピ-スが収録されているが、なかに「トリスタンとイゾルデ 第3幕への前奏曲」がある。これを演奏しているのがシンフォニ-・オブ・ジ・エア、つまりトスカニ-ニ引退後のNBC交響楽団である。ここでの彼らはなんとも凄いような名演を成し遂げている。最初に述べたハンガリ-狂詩曲第2番もストコフスキ-ならではの名調子で、たいへんに楽しめる。


242 リスト ピアノ協奏曲第1番変ホ長調 S.124

243 リスト ピアノ協奏曲第2番イ長調 S.125

 この2曲はしばしばカップリングされる。わたしの挙げるリヒテル盤(コンドラシン/LSO。1961年。フィリップス)もそうだ。リヒテルが西側にデビュ-してから初めてのレコ-ディングだが、老年になってバッハやシュ-ベルトを弾くようになった爺さんとはおよそ別人かと思うほどの豪腕である。コンドラシンという指揮者の伴奏も「ソ連の鉄腕指揮者」というイメ-ジそのものの無神経ぶりで、この曲をチマチマ解釈してなにが面白いと言わんばかりの演奏だ。仄聞したところではこの曲のレコ-ディングにあらわれたリヒテルは休憩もなしで朝から夕方までセッションを続け、LSOの猛者もさすがに参ったそうである。この曲のイメ-ジにぴったりではないか。


244 リスト ピアノ作品集

 このあたりで「昔のホロヴィッツ」をきこう。RCAから1947~53年のあいだにホロヴィッツが弾いたリストの作品が収録されたCDが出ている。アホのホロヴィッツが馬鹿のアメリカで大受けに受けた白痴超絶技巧がここにある。彼以上のアホがいつ出てくるだろう。21世紀中に出るだろうか。


245 リスト ピアノ・ソナタ ロ短調 S.178

 これはアルゲリッチの1971年の録音(グラモフォン)がいいだろう。アルゲリッチとホロヴィッツというふたりのピアニストは、どういうわけか似たような資質を持っていてときどきそっくりな演奏をする(ホロヴィッツがデビュ-当時のアルゲリッチのレコ-ドをきいて感嘆したというエピソ-ドは夙に有名だ。もっともホロヴィッツという人はほかにもいろいろ感嘆したという話があるけれど)。のちのち出てくるがシュ-マンの「クライスレリア-ナ」の冒頭の弾き方が二人ともそっくりなのでわたしがびっくりしたことがある。

  

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2010年01月10日

235~236 クライスラー~ラロ


235 クライスラ- ヴァイオリンのための小品集

 これはもう、パ-ルマンとサンダ-スによる盤だ(1975~78年。EMI)。LPで3枚になっていたが、CDではどうだろうか。まずもって「第1集」というやつを買っておけば問題なかろう。個々の曲に愛着があれば収録されている盤をもとめればよい。ひとによってはクライスラ-の自作自演盤(1924~29年のラムソンとのRCA盤と1926~38年のルップとのEMI盤の2種がある)をとるようだが、いかに本場ものの強みを主張されても、これだけ雑音だらけの古い録音では良いも悪いもない、とわたしは思う。


236 ラロ スペイン交響曲 Op.21

 この曲は学生時代から好きで、けっこういろいろ聴いた。グリュミオ-とロザンタ-ル/コンセ-ル・ラムル-o.の1963年の録音(フィリップス)にとどめをさす。同じグリュミオ-がフルネ/コンセ-ル・ラムル-o.と組んだ1956年の盤はなにさま音がよくない(こういう曲については録音のよしあしは大きい)。5楽章の全曲版かどうかを気にするむきもあるようだが、わたしにはシュ-マンの「謝肉祭」で「スフィンクス」を弾くかどうかと同程度の、瑣末な問題におもわれる。


ちょっと休憩。

 この『コクマルガラスの名曲名盤500選』をお読みになっておられるかたのなかには「コクマルガラスはどうして録音が古い盤をそんなに毛嫌いするのだろう」とお思いの方もおられるだろう。なにを隠そう、はるか30年以上昔の学生時代にわたしはなんとかして廉価でLPをもとめるためもっぱらモノラル録音の古い盤を漁っていた。録音がすこしくらい悪いくらいがなんだ。きちんと聴けばいい演奏からは感動を得られる。第一録音がわるいのに販売されているのは演奏がいいからじゃないか。
 20代後半に入るとドナルド・キ-ン氏の著作に出会うという事件もあった。キ-ン氏の「1930年代のメトロポリタン歌劇場はすごかった」という文章に接して文章にきら星のように登場する歌手の名前に目をこらし、それらの歌手の声をなんとか聴きたいと思った。
 そして野村あらえびす氏の『あらえびすの名曲決定盤』が、この「1930年代の録音盤めぐり」に拍車をかけた。「ホロヴィッツというピアニストはまだ若いが将来に期待がもてる」などという文章はたまらなくわたしの懐古趣味を刺激したものだ。

 そんな具合に30代はすぎて、40の声をきくようになると「一体なにをやってきたのだろう」と思う日が増えた。わたしは50をすぎた現在でも、20代から30代いっぱいまでの20年間、自分が不必要なLPやCDをきいてきたと思ったことはない。だが40をすぎて、自分が若かった頃に「古い録音こそ交換不可能な名盤也」という「荷物」を背負ってきたことへの疑問が生じてきた。たしかにそういう名盤も存在する。それはきいた方がよい。だが、なにからなにまでそんなにムキにならずともいいのではないか?

 すごく面白くきける「往年の名盤」というものはたしかに存在する。どこかでそれを紹介するときもくると思う。だが、わたしとしてもことのはじまりは「貧乏」だった。いま現在、21世紀の平成時代において貧ゆえに録音のわるいCDをきかなければ教養を蓄えられない若者がどれだけいるだろう? そして、ある作曲家のある曲が、どうしても代替不可能な状況で悪い録音の盤できかなければ「わからない」ということがどれだけあるだろう?
 そうした塩梅で「録音がわるいから、はずす」ということになっているのです、はい。

  

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2010年01月09日

230~234 ダンディ~コダーイ


230 ダンディ フランスの山人の歌による交響曲 Op.25

 201のフランク「交響的変奏曲」で述べたと思うが、オ-マンディ/フィラデルフィアo.盤がこの曲とのカップリングになっており(ピアノはカサドシュ。1959年。ソニ-)、演奏もすぐれているので推す。


231 ヤナ-チェク シンフォニエッタ

 それほど大人気の曲というわけでもないと思うが、けっこういろいろな指揮者が振っている。マッケラス/VPOの演奏(1980年。ロンドン)はヤナ-チェクの権威としての安定感があるが、ヤナ-チェクのオペラ「利口な女狐の物語」をマッケラスの指揮する盤できいてさほど感心もしなかった男としてはセル/クリ-ヴランドo.(1965年。ソニ-)を挙げるのが正直なところ。


232 ヤナ-チェク グラゴル・ミサ

 これも名盤の多い曲だ。アンチェル/チェコpo.による演奏(1968年。スプラフォン)がなかなかいい。若かりしラトルがバ-ミンガム市響を振った盤(1981年。EMI)も注目していい。ベルリン・フィルに就任してからのラトルのル-ツを聴くことができる。個人的に「たぶんク-ベリック/バイエルン放送so.(1964年。グラモフォン)がいい演奏をしているのではないか」と思うのだが、わたしが30代のとき廃盤でいまだに聴いていない。


233 ハチャトゥリアン ヴァイオリン協奏曲ニ短調

 「剣の舞」を知っておられる方なら「あんな曲想です」という説明で足りるだろう。わたしとしてはどちらかといえば苦手な曲に属する。オイストラフとハチャトゥリアン/モスクワ放送so.の盤(1965年。メロディア)を推しておく。「モスクワ放送so.ならさぞかし派手にやってくれるだろう」という予想を裏切らない演奏である。まあ、予想を裏切ってノ-ブルに弾いたって仕方ないから、この場合それでよいのだが。


234 コダ-イ 組曲「ハ-リ・ヤ-ノシュ」

 お手本としてはセル/クリ-ヴランドo.であろう(1969年。ソニ-)。しかしこの曲をそこまで突き詰めた表現でやる必要があるのかな、という気もする。そこでもうちょっと開放的なオ-マンディ/フィラデルフィアo.の演奏を、とる。1961年のソニ-盤と1975年のRCA盤があるが、オ-マンディという指揮者も1930年代と1970年代で変化のない演奏をするタイプなのでどちらでも問題あるまい。わたしはこのごろオ-マンディを好きになっている自分を感じるときがある。

  

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