2010年01月13日
251~255 マーラー
251 マ-ラ- 交響曲第6番イ短調「悲劇的」
これはラインスドルフ/BSOの演奏がいい(1966年。RCA)。CD1枚に収まっていることも有り難いし、演奏もすばらしい。第1楽章からフィナ-レまで一貫した緊張感を保つのがむずかしい曲だが、見事にやりおおせている。1966年という演奏年代から「スタイルが古いのではないか」と心配されるむきもあろうが、演奏、録音ともに最新のものに比してもひけをとらない。
252 マ-ラ- 交響曲第7番ホ短調「夜の歌」
交響曲第3番と同じく、名演の生まれにくい曲である。ショルティ/CSOの録音もいいが(1971年。デッカ)、個人的にクレンペラ-/ニュ-・フィルハ-モニアo.の1968年の録音(EMI)にひかれるときがある。「個人的に」と書いたのは極端に遅いテンポをとっている部分が一般的でないかもしれないと思ったからだが、その遅いテンポから浮き彫りにされる音楽の「巨大さ」はすごい。
253 マ-ラ- 交響曲第8番変ホ長調「千人の交響曲」
この曲はク-ベリック盤がいい(バイエルン放送so.1971年。グラモフォン)。CD1枚に収められているのもうれしいし、録音、演奏、いずれも良い。ショルティ盤の評判がたかいようだが、ちょっと勢い込んだ感のある指揮と独唱者の不揃いがどうしても気になる。スケ-ルの大きさというものは落ちついた人でないと出せないことの好例。
254 マ-ラ- 交響曲第9番ニ長調
この曲についてはいろんなディスクを買った。カラヤンは1979年にBPOを振って録音している。その後バ-ンスタインがBPOを振って同じ1979年に名演のライヴ録音をのこすと、1982年にカラヤンがBPOを振って再びライヴ録音をする(カラヤンがライヴ音源の発売をこうした大曲で認めるのは珍しい)。クラシック・ファンは「たぶんカラヤンはバ-ンスタインの持ってきたパ-ト譜を使ったのだろう」と噂したものだ。このへんの事情はアバド下のBPOがヴァントを迎えてブルックナ-の5番の名演をのこしたあと、アバドが来日公演で同じ曲を振ったのと似ている。
ほかにワルタ-/VPOの1938年ライヴ(EMI)、バルビロ-リ/BPOのいわくつきの名演の1964年盤(EMI)なども棚に、ある。
結論としてわたしが挙げる盤は2種になる。お許しを。クレンペラ-/ニュ-・フィルハ-モニアo.の演奏(1967年。EMI)がまず、すごい。終楽章の滔々たる流れの感覚はクレンペラ-ならではだ。ふたつめはジュリ-ニ/CSOの演奏だ(1975年。グラモフォン)。交響曲第1番のところでも述べたようにジュリ-ニという指揮者の「把握の大きさ」を痛感させられる演奏である。第3楽章の機動性から終楽章へのきわめて静かな流れへの対比が感動的で、ここでもシカゴ交響楽団の実力を思い知らされる。
255 マ-ラ- 大地の歌
クレンペラ-/ニュ-・フィルハ-モニアo.による1964、66年の録音を第一に推す。テノ-ルとアルト(もしくはテノ-ルとバリトン)による歌唱が重要な位置を占めるのは当然で、クレンペラ-盤のヴンダ-リヒとル-トヴィヒが素晴らしい。特に奇数楽章でのヴンダ-リヒの歌いぶりは絶品で、トラック1、3、5だけを抜き出して聴くこともよくある。ワルタ-/VPOの1952年の録音(ロンドン。独唱者はパツァ-クとフェリア-)も良い演奏だが、この盤をきくにあたっては「フェリア-のこもった声が好きかどうか」が別れ道になる。わたしは彼女のモゴモゴした歌唱を好まない。
偶数楽章をアルトではなくバリトンでききたい、という方にはクレツキ/POによる演奏(テノ-ルはマ-レイ・ディッキ-、バリトンはフィッシャ-=ディ-スカウ。1959年。EMI)をおすすめする。フィッシャ-=ディ-スカウはバ-ンスタインがウィ-ン・フィルを振った盤でも歌っているが(1966年。テノ-ルはジェ-ムズ・キング)1959年の盤のほうがコンディションが良い。
Posted by コクマルガラス at 10:12│Comments(0)│TrackBack(0)