2010年02月08日

374~377 レスピーギ~ロドリーゴ


374 レスピ-ギ 交響詩「ロ-マ三部作」
            (ロ-マの噴水、ロ-マの松、ロ-マの祭り)

 以前はトスカニ-ニ/NBCso.のモノラル録音が有り難がられていた。まあ骨董的趣味でトスカニ-ニをきくとすれば確かにこれだろうが、今となってははるかにすぐれた録音と演奏で他の指揮者/オ-ケストラを楽しむことができるのだから、無理にきくこともないだろう。まずム-ティ/フィラデルフィアo.(1984年。EMI)がほとんど決定盤といって良いと思うが、ほかにオ-マンディ/フィラデルフィアo.(1973~74年。RCA)もなかなかの出来ばえだ。


ちょっと休憩。

 「コクマルガラスはどうやらトスカニ-ニが嫌いらしい」というご推察の通りである。わたしが学生時代の1980年ごろ、LP批評の世界ではフルトヴェングラ-、トスカニ-ニ、ワルタ-の3人は「1930~50年代録音の巨匠三羽烏」であった。神聖冒すべからず、といった空気が漂っており「もう古い」などと発言することは御法度そのものであった。そうなればもう好き嫌いしか発言の余地はなかったわけだが、迂闊に嫌いだと口にすれば「あいつはもののわかっていない男だ」と村八分。そんな思潮を作りだしたのはいったい誰であったのか、いまとなっては自分も「ききて」として立派に戦犯のひとりであったことよなあと回想せられる。
 フルトヴェングラ-とワルタ-には、いまきいてもそれなりの美点を発見することができる。フルトヴェングラ-はなんといってもベ-ト-ヴェンの交響曲の再現については権威であったし、3番や5番についてはいまでも名盤で通用するものもある。あと、シュ-ベルトの交響曲第9番「ザ・グレ-ト」(シュ-ベルトの交響曲番号の呼称はここ20年くらいでいろいろ異動があったようだが、「ザ・グレ-ト」が9番というのは結局残ったらしい。要は7番の欠番をどうするかで動いているのだが、シュ-ベルトの交響曲は全部で8曲と言うわけにもいかないようだ)とかシュ-マンの交響曲第4番など、録音状態が比較的良いものは現在でもやはり名盤と言える。ワルタ-は亡命後にアメリカに渡ってモ-ツァルトの交響曲をステレオで残せたことが大きかった。彼はドイツ在住中の1930年代においてもマ-ラ-の交響曲第9番、大地の歌といった曲をHMV(現在のEMI)に比較的良好な録音で残しているし、それらはいまもってやはり名演である。
 そうした状況とくらべてトスカニ-ニの録音は1950年代初頭のものをきいても耳が痛くなってくるくらい状態がわるい。1930年代にはすでにアメリカに亡命してNYPを手中にし、1937年からは彼のために設立されたNBC響を振るようになっていたトスカニ-ニであるが、この時期において既に70代であったことも関連して(1867年生まれ)ひどく癇癪もちの拍節感で指揮をしている。1940年代に入ってNBC響と多くの録音を残すが、その大半は残念なことに悪名高いRCAの8Hスタジオでおこなわれた(これが1950年代の引退までずっと続いた)。いま残された録音をきいても「なんでまたこのような残響ゼロの場所で録音をしたものだろう」と思わせられる。録音に不向きなスタジオでセッションを行っただけなら歴史的名盤のひとつやふたつあってもよさそうなものだが、トスカニ-ニ老人の怒りっぽさとボケはさらに進行しており、平明なイン・テンポというものがまったく保てなくなってしまっている。1936年にNYPを振ったベ-ト-ヴェンの交響曲第7番は戦前のクラシック・ファンにとっては「熱狂型」の代表として懐かしい盤であろうが、いまとなってはイタリア・オペラの転化であったという評価をまぬがれない。
 いまのところわたしにとって「トスカニ-ニ指揮のディスクで癇癪もちでない演奏のもの」というと、1920年代から30年代にNYPを振った「トスカニ-ニ&ニュ-ヨ-ク・フィル名演集」(RCA)くらいだ。この中に1929年に指揮をしたハイドンの交響曲101番「時計」が収められており、「ああ、1920年代にはどうやらマトモな演奏をやっていたか」と思わせられる。他に収録されているのは前述した1936年のベ-ト-ヴェン:交響曲第7番で、こちらも1950年ごろの録音にくらべると設計がそれなりに行き届いていて、すべてのフレ-ズに「キャ-ッ」という加速がかかる、というほどの感じではなかった(後年の録音ではそうなっている)。
 結局のところトスカニ-ニの余燼をしのぶ盤というのはロッシ-ニの序曲集であるとかレスピ-ギの「ロ-マ三部作」になってしまう。わたしのような物好きがおられた場合にはNYPとのベ-ト-ヴェンの交響曲第7番(1936年)もいいだろう。しか-し。間違ってもNBC響とのベ-ト-ヴェン、それからブラ-ムスやシュ-マン、シュ-ベルトといったドイツ・オ-ストリア系の盤を買ってはいけない。それからオペラもダメ。トスカニ-ニという人は歌手の好みも歪んでいて、妙にぺしゃんこの声質の歌手を選ぶ。「オテロ」にしても「椿姫」にしても、ただもううるさいだけである。

 最後に、ほんとうに心からの親切をこめてひとこと。トスカニ-ニはおよしなさい。


375 レスピ-ギ リュ-トのための古風な舞曲とアリア(全3組曲)

 最初にこの曲をきいたとき、これが「ロ-マ三部作」とおなじ作曲家の作品? と驚いたものだ。静かに胸にしみこむ穏やかな旋律の美しさ。いまでも体の調子がよいときにときどき棚からとりだすことあるディスクである。演奏者はマリナ-/ロスアンジェルス室内o.(1975年。EMI)。


376 リムスキ-=コルサコフ 交響組曲「シェエラザ-ド」

 こういう曲を大真面目に振れるかどうか。指揮者のアイデンティティが問われる場面である(わたしは振れないほうが偉いなどとは考えていない。ただ振れる指揮者はチャイコフスキ-の「1812年」とかムスルグスキ-の「展覧会の絵」とか、ラフマニノフのピアノ協奏曲とか、そうした派手な曲を得意にして恥じない男であろう)。そうした視点からオ-マンディ/フィラデルフィアo.(1972年。RCA)とかプレヴィン/VPO(1981年。フィリップス)が浮上してくる。コンドラシン/ACOとストコフスキ-/LSO、マゼ-ル/BPOはどれもあまり面白くなかった。


377 ロドリ-ゴ アランフェス協奏曲

 規範的な演奏としてイエペス、アルヘンタ/スペイン国立o.の演奏(1959年。ロンドン)とジョン・ウィリアムス、フレモ-/POの演奏(1983年。ソニ-)を挙げておく。オ-ケストラがさほど技術を要求されないので、ギタリストの好みによって選べばよい。たとえば村治香織が好きであれば彼女のアルバムがいいであろう。



Posted by コクマルガラス at 11:52│Comments(86)TrackBack(0)

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